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草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

唐十郎「腰巻きおぼろ〈妖鯨編〉」

2025-04-12 05:02:14 | 読書記録

唐十郎「腰巻きおぼろ〈妖鯨編〉」

 唐十郎の「腰巻きおぼろ〈妖鯨編〉」を読んだというよりは観たのは、もう五十年近く前のことになる。

 場所は何処だったのだろうか。まだ新宿花園神社だったのだろうか。何処に行ったのかはまったく覚えていなが、翌年「おちょこの傘持つメリーポピンズ」を「夢の島」に観に行ったのは覚えている。

 アングラだの紅テントだの状況劇場など全く知らなくて、だた詳しい人について行っただけの話だ。公園みたいな所だった。ああ、もしかしたら上野の野外音楽堂だったかもしれない。ちゃんと舞台があって紅テントも張ってあった気がする。今でも不忍池のあたりをウロウロすると不思議に心が浮き立つのは、そのときの記憶が残っているからだろうか。

 演劇と名のつくものを観たのは、中学校の修学旅行で宝塚を観て以来だった。それがいきなりアングラだ。驚いたのなんの!何の話なのだか訳がわからないし、衣装も汚らしい。唐十郎なんて油揚のスーツを着込んで寅さんみたいな格好で登場すると、「私の上に降る雪は霙のようでありました」なんていきなり中也の詩を朗読し始めた。

「いったい何なんだ」と思いながらもグングン引き込まれていった。ちなみみ「油揚スーツ」とは油揚をパッチワークのように縫い合わせたて作った油揚げ色のスーツのことだ。もちろん本物ではないだろうが、遠目でも油揚げと油揚げのつなぎ目が分かった。なんだかギタギタと油ぎって、唐の演じる役にぴったりの衣装だと思った。

 ただ残念ながら内容は油揚スーツのと中也の詩くらいしか覚えていない。それから出身地の油揚は三角なので、あんなスーツは出来ないだろうと思ったことは覚えている。ただよほど感激したのだろう。後日立ち寄った書店で「腰巻きおぼろ〈妖鯨編〉」の本を見かけて、迷うこと無く買った。まだ生家の二階の本棚にしまってあるかもしれない。今度帰ったら探してみよう。

 このところ地区の図書館に通うことが多くなった。自前のパソコン持ち込み可のコーナーがあるので、利用している。二時間と時間が制限されているせいか、集中して書くことができる。図書館の玄関には、昨年逝去された作家の方々の作品が展示されている。

 詩人の谷川俊太郎氏 絵本作家のいわむらかずお氏 ノンフィクション作家高橋秀実氏などの方々に混じって唐十郎氏の名前を見つけた時は驚いた。そうなんだ。知らなかった。2024年5月4日(84歳)で亡くなっていた。彼の名前ともに「海ほうずき」という本が展示されていた。

 正直いうと演劇と名のつくものは数える程しか観たことがない。だが胸を張って「演劇が大好きだ」と言えるのは、唐十郎の「腰巻きおぼろ」を最初に観たからだろう。

 合掌

 


折り鶴を添えて

2024-12-12 06:45:38 | 読書記録

折り鶴を添えて

 先日買った折り紙の本を見ながら、昨日は折り紙をしていました。四、五歳児向けのごく初歩的な折り方なので、私でも折ることができました。それでも時々考えこんでしまいましたが、いい頭の体操になりました。

 それにしても真四角の紙でいろんな物が作れるのですね。サンタさんやクマやカエル。中には懐かしい風船や奴さんと袴もありました。紙風船なら私は本を見ずに折ることができます。

 紙風船の折り方は幼稚園の時に教わりました。先生が大きな折り紙を使って折るのを、小さな折り紙で真似して折りました。四角に折ったり三角にしたり……。途中までは割と簡単だったのですが、折り目の中に折り目を刺し込む最後の仕上げに苦戦しまた。

 何度も同じ折り紙を折ったり広げたりして、やっと風船ができあがりました。今でも風船だけはスラスラ折れます。手が覚えていいるのですね。ただ当時は風船が折れたことよりも、折り紙を貰ったことの方が嬉しかった記憶があります。

 家に持って帰って何度も開いたり折ったりしました。多分折り紙を手にしたのはそのときが初めてだったのかもしれませんね。遠い昔の嬉しかった記憶は今でもはっきり覚えているものですね。

 昨日は半日ほど熱中して折っておりました。その間テレビがついていたのですが、ニュースやワイドショーではノーベル平和賞の授賞式が放映されていました。受賞者の手には折り鶴がありました。

「世界の核兵器現実に向けた努力と核兵器が二度と使われてはならないことを本人たちの証言を通して示したこと」を評価しての受賞とされます。遠い日の記憶として終わらせてはならないのですね。

 出来上がった折り紙は綺麗な袋に入れて、本と一緒に孫たちのクリスマスプレゼントにします。袋の一番上には折り鶴を入れて贈ります。

 


世界から猫が消えたなら

2024-04-05 11:55:20 | 読書記録

 川村 元気「世界から猫が消えたなら」

 月曜日の朝僕は医者から、あと一週間しか生きられないと告げられた。

 アパートに戻ると、そのまま気を失って倒れた。飼い猫の鳴き声で目を覚ました僕の前に、悪魔が現われてささやいた。「この世界から一つだけ何かを消す。その代わりに、あなたは一日の命を得ることができるのです」

 考えてみると、この世界は世の中はいらないもので溢れている。その中から要らないものをひとつ消せば一日の命がもらえる。僕は取引に応じた。だが消すものは、悪魔が自分で決めるという。

 悪魔は僕の携帯電話見て、世界から電話を消すといった。

 僕はさんざん迷った末に電話を消すことを承知したのだが、ふと父のことを思った。母が死んで四年、父とは一度も連絡を取っていないし会ってもいない。自分は死んでしまうのに、こんなことでいいのか……。

 悪魔は僕の気持ちを見透かしたように言った。

「最後に一回だけ消すものを使っていいという、オプションをつけましょう」

 それでも僕は、どうしても父に電話をすることはできなかった。母の死んだ四年前のことが許すことができかったのだ。

 そこでぼくは悩んだすえ、あの人に電話をした。あの人の電話番号は登録されていなかったが、体が覚えていた。僕はゆっくりとダイヤルを回した。

 翌日の火曜日の朝、電話はほんとに消えていた。それから水曜日には映画が、木曜日には時計が消えたが、世の中は混乱することはなかった。すると悪魔は金曜日に「世界から猫を消しましょう」言い出した。

 だが金曜日の朝、ぼくの飼い猫は僕の隣で寝ていた。僕は世界から猫を消すことができなかったのだ。それはつまり僕が消えるということだった。

 土曜日には僕が消える。その前に僕にはしなければならないことがあった……。

 佐藤健さんの主演で映画化もされましたね。主人公の僕は30歳になる郵便配達員です。こんな素敵な配達員さんがいたらな、毎日自分宛に手紙を書いて、配達してもらうかもしれませんね。

 この手紙と郵便配達員、この話の中では重要な役割を果たします。でもそれは読んでのお楽しみですね。

 作者の川村元気さんは若き映画プロデューサー、映画原作を捜して年間五百冊を読んだといいます。

 どんな人なのでしょうね。きっと映画が好きで、猫はそれよりもっと好きなのかも知れませんね。


寺地はるな「夜が暗いとは限らない」

2024-02-20 12:16:54 | 読書記録

寺地はるな「夜が暗いとはかぎらない」

 閉店が決まった「あかつきマーケット」のマスコット・キャラクター「あかつきんちゃん」が突然失踪した。この「あかつきん」失踪の謎を背景に、13の物語が展開する。

 第一話に登場するのはあかつきマーケットで働く芦田さん。この芦田さんとごみ捨て場で挨拶をした白川さんが次の物語の主人公になる。

 物語の主人公という名のバトンが、物語の中に少しだけ登場した人物に渡される。渡された人が次の物語主人公になる。主人公たちは葛藤を抱えながら、今日も頑張っている。優しくて不思議な物語。

 興味をひかれたの、表紙の絵だった。ネズミとも猫とも犬ともつかない人形みたいな生き物が、赤い頭巾をかぶり赤いブーツをはいてベンチに腰かけている。ちょっと見は可愛いけど、よく見たら不気味で引いちゃいそうだ。いったいどんな話なのだろうか。

 表紙の絵がもっと可愛かったら手には取らなかっただろうと思う。

 寺地はるなの作品は今回初めて読んだ。申し訳ないが作者の代表作どころか名前さえ知らなかった。しかし図書館のずらりと並んだ本の中から、よくまあこんな素敵な本を一発で探し当てたものだと感心した。

  さて、第五話の「赤い魚逃げた」では父親の葬儀に赤い振袖を着るという娘が登場した。 娘は成人式のために用意した振袖も、父の反対で着ることができなかったのだ。父娘の確執が弟の目線で書かれている。

 結局振袖は着たのかどうかは読んでみてのお楽しみである。

 ただ父親の葬式に赤い振袖というのが引っかかる。私は子供の時に実際に父親の葬式の時に、赤い振袖を着ていた娘を見たがあるのだ。

 振袖だったか訪問着だったかは定かにではないが、その人は確かに赤い着物を着て父親の棺桶の前に座っていた。

 昔はみんなそうだったのだろうか。その家だけそうだったのだろうか。家で葬式をせずに、墓地にある小さな広場に筵をひいて、葬式をしたような気がする。その時にその家のお姉さんが赤い着物を着て、棺桶の前に座っていたのだ。

 子ども心にも赤い着物は異様に見えたのだが、母はそれをおかしいとは言わかった。

「自分の一番いい着物で親を送るのだから、おかしくもなんともない」

 そのようなことを言った気がする。その家だけだだったのだろうか。娘が葬式に晴れ着を着たのは。  

 思い出してみると祖父の葬式の時には、叔母は晴れ着を着ていなかった。その時は叔母も晴れ着を着るのだろかと、内心冷や冷やしていた覚えがある。

 だから祖父の葬式よりも前の出来事だったのだろう。そんな幼い頃のことをよく思いだしたものだ。これもこの本を読んだおかげだろう。

 葬式に晴れ着を着たのを見たのは、その時だけだった。もしかしたら私がもの心つく前には、そんな風習があったかもしれない……?などと思ったりもした。

 何はともあれ、またひとつ幼年期の思い出ができた。


竹吉優輔「レミングスの夏」

2024-02-09 12:31:09 | 読書記録

竹吉優輔「レミングスの夏」

  二〇一四年、八月十七日

 僕たちは小高い丘に立っていた。モトオは四年前夏の計画を、中二病だったのだといった。あの計画に誰よりの必死だったヨーコは夢を見つけ、ミトは今でもみんなのことを祈り続けている。だがここにナギはいなかった。

 ナギは孤独に計画を練り上げ、僕たちを誘った。僕たちはナギと共に全力で戦った。そしてナギは僕たちの前から消えた。

 あの夏僕たちはレミングスと名乗り、市長の娘の白石宏美を誘拐した。レミングスとは集団で移動し川や海を渡り、新天地を目指す鼠のことだ。僕たちなら必ずやり遂げられる。そして新天地にたどりつける。僕たちはそう信じていた。

 その夜白石宏美の携帯から父である市長への要求を送りつけた。

「あなたの手腕は認めている。しかし改革を急ぐあまり、古きよきこの街を蹂躙しようとしている。我々はあなたに要求する。あなたが以下の六箇条をすべて守るなら、娘は八月末日には無事に戻るだろ。

 街を思うなら。誠意を見せてほしい。我々は心から、平和を望んでいる」

 六つの条件はいずれも町に古くからある施設の解体や運営にかかわるのもで、市長の独断で決定できるものばかりだった。市長が推し進めている開発計画の反対派の犯行のように見せかけたのだ。誰も中学生のやったことだとは思わないだろう……。

 

 中学二年の夏、彼らは何故こんな誘拐事件を起こしたのだろうか。事件の真相はフラッシュバックのように一瞬垣間見られるのだが、全容は最後の最後まで分からない。そこが気になって読みつづけてしまう。

 果たしてフレミングスの鼠たちは新天地にたどりつくことができたのだろうか。それとも途中でおぼれ死んでしまったのだろうか。