草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

地域でいちばん

2024-01-31 11:21:22 | 日記

値域でいちばん

 東京の私が住まうマンションの近くに「天鈴」という天ぷら屋さんがあります。お昼時にはいつも行列ができています。高齢の店主夫妻と娘さん、いやお孫さんかな?三人で切り盛りしています。一番の人気は天丼です。

 店の中はカウンターがあって、お客さんは端から詰めて座っていきます。目の前で天ぷらを揚げて、一番奥の席の一番最初に座った人から順番に出していきます。

 来た順に出して行って、一番最後に座った人に出し終えたたころには、一番奥の最初に来た人が食べ終えて外に出ていきます。すると今度は外で待っていた人が一人入って来て、一番奥の席に座ります。

 お客さんも常連さんが多いのでしょうか、その流れが実にスムーズになのです。食べる速さが皆同じなのでしょうか。来た順に席を立っていきます。

 以前一度だけ食べに行ったことがあります。天丼がとてもおいしかったと夫に言うと、自分も行きたいと言い出しました。行ってもいいけど……。ちょっと考えてしました。

 実は私もそうなのですが、夫は私よりもっと早食いなのです。早食い夫婦が二人並んでガツガツ食べてさっさと席を立ったら、揚げる順番が狂ってしまうのではなでしょうか。

 そんな話をしたのも数年前です。お昼時に横を通ると、「天鈴」さんには相変わらずの行列ができています。

 ところが昨日しばらくぶりに「天鈴」さんの横を通ったのですが、いつもの行列がありません。高齢の店主夫妻のことが思い浮かんで、店の前に行ってました。店の前には女の人がいてシャッターの上の張り紙を読んでいました。「天鈴」さんのことを心配したのは私だけではなかったのですね。

 張り紙には「都合でしばらくお休みします」と書かれておりました。その横には別の紙も貼られており「ゆっくり休んで、また再開して下いね」とか「早く天丼が食べたいけど、ゆっくり休んでね」等との言葉がたくさん書かれておりました。地域でいちばん愛されているのでしょう。

「天鈴さん」ゆっくり休んで、また再開してくださいね。今度こそ早食い夫婦が食べに行きますからね。

  


二匹目のドジョウ

2024-01-30 09:03:41 | 草むしりの幼年時代

二匹目のドジョウ

 昨日は子牛を競り市に出した時のことを書きました。書いているうちに当時にことを色々と思い出しました。子牛が生まれると庭に柵をして、子牛を放し飼いにしていたこと等々。なんだか家が牧場になったみたいでした。

 しかし子どもが下手に近づくと親牛が興奮するので、遠くから見るだけでした。柵の中を子牛がぴょんぴょんと飛び跳ねていたことや、親牛の乳を飲んでいたのも思い出しました。

 それからしばらくして子牛が大きくなると、左右の鼻の穴の間にある壁に穴を開けて、鼻輪(はなわ)を通します。当地では鼻輪のことを「鼻グリ」と呼んでいました。鼻グリをするともう子牛も一人前?になります。

 それからすぐに売られるのですが、立派な子牛が生まれると品評会に出したりもしました。  

 いつもは腿のあたりに糞をこびりつけているですが、前日からブラシをかけられた子牛の茶色の毛がつやつやと光っていました。爪や角も磨かれピカピカで、尻尾なんかクルクルと内巻きカールがかかっていました。父と友人二人が、前日から牛を磨きあげていたのです。

 当日はトラックの荷台に乗せられて、子牛はクリンクリンの尻尾を振りながら会場に向かいました。その後どうなったかは覚えていないのですが、たぶん入選はしなかったのでしょう。いつもと変わらず、淡々として夕餉の食卓に着きましたから。

「一度だけ子牛が賞を取ったことがある」と後年母に聞いたとこがあります。たぶんあの時は二匹目のドジョウを狙っていたのでしょうね。子牛を磨き上げる大人たちの目の色が違っていました。


牛の競り市

2024-01-29 10:29:29 | 草むしりの幼年時代

 牛の競り市

 先日は当地で栽培している七島蘭(しちとうい)について書きました。当時この七島欄で作る畳表を買い付けに来る人のことを筵買い(むしろかい)と呼んでいました。

 久しぶりにそんな言葉を思い出したせいか、牛の買い付けに来る人のことを「ばくろう馬喰?博労?」と呼んでいたのも思い出しました。

 私が子供のころはまだどこの家でも飼っていました。牛を売るときは博労さんが直接家に来て買っていくとこもありましたが、競り市に出すこともありました。競り市には一度だけ連れていってもらったことがあります。 

 その日は土曜日だったと思います。学校に母が迎えに来て、そのまま競り市の会場に行きました。いつもの通学路の途中で横道に入り、墓地の中を通る坂道を上りきると、急に草原が広がっていました。

 いつも見ている山の上にこんな所があるなんて、思いもよりませんでした。草原は広くて牧場のようでした。けれども一番驚いたのは牛と人があふれんばかりにいたことでした。

 おそらく町内だけではなく近隣の町からも来たのでしょう。会場は牛の鳴き声と人々の話し声がごっちゃ混ぜになって、活気にあふれていました。

 大勢の人々の中に父の姿がありました。いつもと違って少し興奮気味で、顔が赤らんでいました。顔見知りなのでしょうか、誰か話をしていました。

「いい値で競ってな!」

 と言って父は牛をひいて、競りの会場の中に入って行きました。父が牛をひいて会場をぐるぐるまわると、あちこちから声があがりました。

 果たしていい値がついたのでしょうか?競り市に行ったのは、後にも先にもその時だけです。けれども人と牛がたくさんいたあの時のことは、忘れることはありませんでした。

 もしかしたらあれは幻だったのでは、と思うこともあります。今では建設会社の資材置き場になっていると聞きました。そう聞くとあれはやはり現実にあったのだと思います。


冬の思い出

2024-01-27 16:13:41 | 草むしりの幼年時代

冬の思い出

 当地は昔から七島井(しっとうい)と呼ばれる、畳表の材料になる植物の栽培が盛んでした。

 以前はどこの農家でも栽培していましたが、ほとんどの農家がやめてしまいました。我が家も私が小学生の時くらいまでは栽培していました。

 止めてしまったのは植え付けから製織まで、すべての作業が手作業だったことも大きな原因のように思えます。

 七月の末ごろからの刈り取り、分割、乾燥作業のことは、以前同じカテゴリー内の「真夏の夜の思い出」に詳しく書いたことがあります。今でこそ懐かしい思い出ですが、当時は過酷と表現した方がいいような重労働でした。

 そして仕事はそれで終わりではなく、畳表に製織する仕事が待っているのです。製織の作業を担うのは主に女性で、我が家でも母の仕事でした。

 当時畳表の製織作業のことは「筵を打つ」(むしろをうつ)と言い、製織機は筵機(ムシロバタ)と呼んでいました。そして時期は主に冬の農繁期でした。ただしどれも記憶がおぼろで、はっきりとしたことは覚えていません。

 学校から帰ると母は土間で筵打ちをしていました。筵機は布を織る機織り機を縦にしたような造りになっていて、縦糸が麻で横糸が乾燥させた七島井で、布を織る要領で筵を打っていくのです。

 カウンターチェアーのような足の高い椅子にこしかけて、二枚の板を交互に踏んで機(はた)を動かして製織します。

 足で板を踏むところが、室内で歩行運動をするときの足踏みステッパーによく似ています。この足踏みステッパーは15分踏むと50Kcal消費しますが、筵機の方は畳表を織るほどの大きな機ですから、それを動かそうとするともっと力がいったのではないでしょうか。

 たぶん筵打ちも足踏みステッパーと同じ有酸素運動だと思います。その頃の母の写真を見ると痩せています。やがて電気のモータがとりつけられ、座っているだけで製織ができるようになりました。

 ちょっとした産業革命ですね。おかげで作業がはかどったのか、母は筵を打っていないときは、編み機の前に座って毛糸の服を編んでいました。冬の時期の母といえば、筵機か編み機の前に座っているというイメージがあります。

 打ちあがった畳表は十枚をひとまとめにして丸められ、縄で括っておりました。それが何個かたまると業者が来て買って行きました。

 当時の農家にとっては貴重な現金収入でした。母が嬉しそうな顔をしていたのを覚えています。

 この業者のことを当時は筵買い(むしろかい)と呼んでいました。家に来るのは近所の人でちょっと面白い人でした。でも筵の買い付けの時は、いつもと違って厳しい顔をしていました。車輪が前に一個後ろに二個ついた、三輪車型の小さなトラックに乗っていました。

 家が七島を作らなくなった頃その人もやめてしまいました。たぶんその頃どこの農家もやめてしまったのでしょう。

 さてこの七島井ですが、当地でしか栽培されていない貴重な品種の植物です。出来上がった畳はとても丈夫で、柔道畳として広く利用されてきました。東京オリンピックの柔道会場にも使われました。

 このような優れた特性をも七島を絶やしてならないとう強い志の下、今でも数件の農家が栽培していています。また七島井は七島蘭(しちとうい)として知的表示保護制度に登録されています。


50Kcal消費するには

2024-01-24 11:30:31 | 健康管理

50Kcal消費するには

 健康管理のために夫が買った足踏みステッパーですが、私も時々利用しています。

 ステッパーの上に乗って、イチニイ、イチニイと足踏みをするのですが、このステッパーがけっこう重いです。十五分もすると背中が熱くなり薄っすらと汗ばんできます。

 これでだいたい50Kcal消費されたことになります。私の体重では中程度のウォーキングや普通に自転車をいでも、15分でほぼ50Kcalを消費します。

 また日常の作業でも室内の掃除が20分庭の草むしりが14分で、子どもと遊ぶが10分で50Kcalの消費になります。さて一番楽な50Kcalの消費方法はどれでしょうか。

 昨年は十二月の初旬から二週間、少し間をおいて年末年始にも息子の所で過ごしました。。一番上の孫は幼稚園に行っており、末の孫はまだ赤ちゃんなので、その間ほとんどの時間を真ん中の孫と遊んでおりました。

 朝起きてから夜寝るまでの時間のほとんどです。そして遊びながらよく喋りました。そのせいなのか、言葉が出るのが遅かった孫次男が徐々に話し出すようになりました。喉が枯れるくらいの喋り倒した甲斐がありました。

 年が明けて明日は家に戻るという晩でした。

「ああちゃんも、向こうで一緒。ネンネしよう」

 寝ている私の傍にきて、隣の部屋で自分たちと一緒に寝ようと、孫次男は誘ってくました。孫は「ばあちゃん」って言っているのですが、私には「ああちゃん」って聞こえました。可愛いでしょう……。とても嬉しかったです。そしてもう一つ嬉しい副産物もありました。

 ただ孫と遊んでお喋りをしただけなのに、1㎏以上も体重が減っていたのです。子守って相当体力使うのですね。子守でダイエット如何でしょうか?

「まっぴら御免」って答えが返ってきそうですね。でも楽しかったですよ。

「こんな遊んでくれる祖母ちゃん、めったにいない」って、嫁には感謝されました。

 でもダイエットの後はリバウンドが待っているものですね。

 家に戻ってからは疲れて何もせずにぐうたらしていたら、体重なんてすぐに戻ってしまいました。その上「ああちゃん」って私を呼ぶ孫の声がいつまでも耳から離れず、いまだに孫ロス状態です。

 結論から言えば「子守によるカロリーの消費は半端ないが、ダイエットには向かい」ですね。