草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

草むしりの「幼年時代」その⑩

2019-02-28 14:16:09 | 草むしりの幼年時代
草むしりの幼年時代⓾ 

 「家の光」という農業関係者なら誰でもしっている月刊誌がある。私が子供の頃、我が家でもこの雑誌を毎月購読していた。子供には難しい本だったが、唯一料理の写真を見るのが好きだった。おいしそうな料理の写真の下には詳しい作り方が載っていた。

 本を見ながら「これ作って」と母にせがむと、「はい、はい。できました」と母は言い、料理の写真を手でつまんで食べる真似をした。子供だった私と姉は母につられて「むしゃむしゃ」と声を出して食べる真似をした。しかし食べたことの無い料理は、いくら想像力を働かせても何の味もしなかった。もちろん遊びとしてのそれは楽しかったが、やはり本当の料理を食べてみいと思っていた。

 そんなある日、母がおもしろい形の鍋を買ってきたことがあった。平らな蓋が特徴的な無水鍋という厚手の鍋で、蓋の部分はフライパンとしても利用できた。その上ケーキも焼けると言い、スポンジケーキの焼き型まで鍋と一緒に付いていた。

 鍋はその日から豆を煮たり、蓋の部分でお餅を焼いたりと八面六臂の活躍をした。ところがいつまで経っても、肝心のケーキはできてこなかった。待ちかねた私が「母ちゃんケーキは」と聞くと、「それを言うない」と母は首をすくめて笑っていた。

 でもそれからすぐのことだった、母が本当にケーキを焼いてくれたのは。

 家事や農作業にしろ、母は何事も手早く仕事をこなしていた。料理も手早くおいしかったが、その反面少々雑な所もあった。ある日味噌汁の中から、箸くらいの太さのごぼうの味噌漬けが丸々一本出て来たことがあった。
 
 当時は手作りした味噌の中に、野菜を入れて味噌漬を作っていた。確かめもしないで漬物の入った味噌を、そのまま汁の中に放り込んだのだろう。私が文句を言うと「味噌汁と味噌漬けをいっぺんに食べられたのだから、いいじゃないか」と言い返してきた。

 そんな母が作り方を書いた紙を見ながらケーキを焼いたのだ。砂糖以外はすべて自家製で、ハカリや計量カップは無かっただろうに。仮に有ったとしても、材料をはかって料理する習慣が無かっただろう。

 焼きあがったケーキは今でいうスポンジケーキのことで、期待していたクリームはついて無かった。それでも母のケーキはちゃんと膨らんでフカフカで美味しかった。

 何度も小麦粉をふるいにかけ、泡立てた卵と小麦粉を、ゴムベラで卵と小麦粉を切るように混ぜ合わせた。レシピを見ながら真剣にケーキを作る母の横顔を思い出す。

 母は十年前に他界したが、我が家の台所にはまだあの無水鍋がある。母と仲の良かった近所のお婆ちゃんたちは、皆元気にしている。私は今地区の元気老人たちの集まりの世話役を、自ら進んでしている。家付き娘の私は、昔から知っているお婆ちゃんたちとの方が、話が合うようだ。

 先日焼き芋をごちそうしようと無水鍋を持って行ったら、お婆ちゃんたちもみんなこの鍋を持っていると言った。でもケーキは焼かなかったそうだ。たぶん婦人会の集まりか何かで、売りに来たのをみんなして張り合って買ったのだろう。

 「みんなそうだったのか」と思いながら、ちゃんとケーキを焼いてくれた母を自慢に思ったりもした。

草むしりの「箭竹」

2019-02-22 16:21:04 | 平成
草むしりの「箭竹」
 
 山本周五郎の「日本婦道記」の主人公の女性たちは、多くを語ることなく日々の暮らしぶりが、周囲の人間を感動させる。とりわけ配偶者である夫には、大きな感動を与えている。その中にあって「箭竹」のみよの生き方は、彼女を取り巻く多くの人たちに、そして将軍にまでも感動を与えている。
 
 みよが息子の安之介を背負い、照り返しの河原を歩いて消えていく情景が目に浮かぶ。下僕の六兵衛の目には、ゆらゆらと揺れるかげろうの中にみよがみえたであろう。しかし私には熱く燃え立つようなかげろうが、みよの決心の象徴のように思えた。
 
 さて2011年の大学生の就職内定率は68,8パーセントと過去最低のものだった。そんな中でからくも内定を勝ち取った息子であったが……。意気揚々と帰省すると思っていたら、まるで人生が終わった人のように私の前に現れた。厳しい現実との闘いだったようだ。

 「これからが、本当の勝負ですよ」とみよを気取った私の言葉に、彼は素直に「はい」と答えた。今から八年ほど前の思い出である。

2011年2月文章講座

草むしりの不断草

2019-02-16 16:33:23 | 草むしりの得意料理
草むしりの不断草
 
 スイスチャードやうまい菜などと呼ばれる西洋不断草は、アクも少なくそのまま油炒めや煮物、汁の実などに使える。また赤や黄色のスイスチャードの葉は、そのままサラダに入れても美味しい。また一度種をまくと、翌年からはこぼれた種から芽をだし、畑のあちこちに生えてくる。手間がかからず、栽培も楽で虫もつきにくい。私のお気に入りの野菜である。
 
 また我が家の畑にはこの西洋不断草の他に、昔からある不断草が植えられている。私が子供の頃から植えられていて、夏の初めに種を取り、秋にその種を蒔く。
 
 濃い緑色の刃先の尖った西洋種に比べ、こちらはまるい葉先をしている。冬の間はちっとも大きくならないで、白っぽい緑色をしている。しかし冬野菜から夏野菜に変わる端境期のころに、グングンと成長し柔らかな緑色の葉を茂らせる。そしてそろそろ畑の夏野菜ができ始める頃、自らの役目の終わりを悟ったように、太い茎をのばして花を咲かせ実を結ぶ。
 
 昔は何処の家にでも植えていたのだが、近ごろではあまり見かけなくなった。
 
 湯がいておひたしや煮物にするとおいしいのだが、食べた時にちょっと土くさい匂がするのが玉に瑕。しかし同時期に出回る筍との相性は抜群で、一緒に味噌煮にすると大変に美味しい。味噌が筍のえぐみと不断草の土くささを消してくれる。
 
 母から譲り受けた不断草の種と、おいしい食べ方。どちらも大事にしていきたい。



春よ来い

2019-02-09 05:00:36 | 日記
春よ来い
 
 玉ねぎの苗の間の草むしりをした日だった。草が生えないようにと、玉ねぎの間にはもみ殻をたっぷりとまいているのだが、それでも草は強い。もみ殻の中で芽を出すと、根を張って葉を茂らせる。
 
 早めに取っておこうと、鎌の先を草の根元に差し込んで引きぬいた時だった。草の下の土がぐらり動いた。何だろうと思って鎌の先で突いてみたら、小さなカエルが出て来た。「ごめん、ごめん」と謝りながら、慌てて土の中に戻してやった。寒かろうと思い、深めに穴を掘り土も多めにかけてやった。ご丁寧にその上に、もみ殻をたっぷりとかけた。
 
 余計なことをしたものだと思ったのは、夕食の後だった。きっとあの深さでの温度が、カエルには最適なのだろう。それにもみ殻の下は意外に暖かいのかも知れない。それ以上の深さや暖かさは冬眠中の体には負担なのかも知れない。
 
 「過ぎたるは及ばざるがごとし」小さな生き物に生きていくすべを教わった。
 
 地中のカエルを見習って部屋の暖房の温度を下げてみた。少し寒くなったので、上着を羽織った。
 
 「春よ来い、早く来い」



草むしりの得意料理 その2

2019-02-05 14:27:44 | 草むしりの得意料理
草むしりの得意料理その2
 
 鰯

 一昨日の節分の日には、スパーの総菜コーナーに大量の巻寿司が並んでいた。節分の日に巻寿司にかぶりつくなんて、いつから始まったのだろうか。しかし日曜日の夕飯が買った巻寿司で済むのだから、何もそんなことに目くじらを立てることもなかろう。早速買い求めたのだが、何だか物足りない。
 
 もっと他に何かないかと店内を探したてみたら、鮮魚コーナーの一角に鰯が置かれていた。巻寿司の影に隠れるようにひっそりと置かれている。そういえば昔は節分の日には、鰯を焼いていたような気がする。鰯を焼く煙が、鬼は嫌いだと聞いたことがある。あの風習はいったい何処に消えてしまったのだろう。
 
 なンて、ことは全然思わなかった。大ぶりで鮮度もいいし、刺身用と書かれている。〆鯖の要領で酢〆にしたら美味しかろうと思い、早速買い求めた。

 魚の酢〆の作り方はいたって簡単である。三枚におろして小骨を抜いたサバや、手で開いて背骨を取り除いた鰯に、やや強めに塩を振り冷蔵庫で半日寝かせる。その後表面の皮を剥ぎ、酢でよく洗う。洗った酢は捨て、新しい酢に十五分浸して出来上がり。

 美味しくするポイントは酢でよく洗うことと、十五分酢に浸すこと。表面の皮は冷蔵庫で冷やしてから剥ぐと、綺麗にはがれる。

 以前NHKの朝ドラ「ごちそうさん」に、柿の葉寿司の具として登場した〆鯖を見て興味を覚え、インターネットで作り方を調べた。脂がのっていてトロリとしているのに、あっさりしており、魚の生臭みも無い。以来〆鯖は、私の得意料理になった。ところが困ったことに、夫の一番嫌いな料理でもある。

 せっかく作っても嫌な顔をされるよりはましと、結局その日は塩焼きにした。ところがこれがまた美味しい。塩を振って焼いただけなのに。こんなに美味しいなんて。

 言い直します。私の得意料理は「鰯の塩焼き」です。焼きたてのアツアツにカボスを搾り、焼酎のお湯割りを添えます。