草むしりの幼年時代⓾
「家の光」という農業関係者なら誰でもしっている月刊誌がある。私が子供の頃、我が家でもこの雑誌を毎月購読していた。子供には難しい本だったが、唯一料理の写真を見るのが好きだった。おいしそうな料理の写真の下には詳しい作り方が載っていた。
本を見ながら「これ作って」と母にせがむと、「はい、はい。できました」と母は言い、料理の写真を手でつまんで食べる真似をした。子供だった私と姉は母につられて「むしゃむしゃ」と声を出して食べる真似をした。しかし食べたことの無い料理は、いくら想像力を働かせても何の味もしなかった。もちろん遊びとしてのそれは楽しかったが、やはり本当の料理を食べてみいと思っていた。
そんなある日、母がおもしろい形の鍋を買ってきたことがあった。平らな蓋が特徴的な無水鍋という厚手の鍋で、蓋の部分はフライパンとしても利用できた。その上ケーキも焼けると言い、スポンジケーキの焼き型まで鍋と一緒に付いていた。
鍋はその日から豆を煮たり、蓋の部分でお餅を焼いたりと八面六臂の活躍をした。ところがいつまで経っても、肝心のケーキはできてこなかった。待ちかねた私が「母ちゃんケーキは」と聞くと、「それを言うない」と母は首をすくめて笑っていた。
でもそれからすぐのことだった、母が本当にケーキを焼いてくれたのは。
家事や農作業にしろ、母は何事も手早く仕事をこなしていた。料理も手早くおいしかったが、その反面少々雑な所もあった。ある日味噌汁の中から、箸くらいの太さのごぼうの味噌漬けが丸々一本出て来たことがあった。
当時は手作りした味噌の中に、野菜を入れて味噌漬を作っていた。確かめもしないで漬物の入った味噌を、そのまま汁の中に放り込んだのだろう。私が文句を言うと「味噌汁と味噌漬けをいっぺんに食べられたのだから、いいじゃないか」と言い返してきた。
そんな母が作り方を書いた紙を見ながらケーキを焼いたのだ。砂糖以外はすべて自家製で、ハカリや計量カップは無かっただろうに。仮に有ったとしても、材料をはかって料理する習慣が無かっただろう。
焼きあがったケーキは今でいうスポンジケーキのことで、期待していたクリームはついて無かった。それでも母のケーキはちゃんと膨らんでフカフカで美味しかった。
何度も小麦粉をふるいにかけ、泡立てた卵と小麦粉を、ゴムベラで卵と小麦粉を切るように混ぜ合わせた。レシピを見ながら真剣にケーキを作る母の横顔を思い出す。
母は十年前に他界したが、我が家の台所にはまだあの無水鍋がある。母と仲の良かった近所のお婆ちゃんたちは、皆元気にしている。私は今地区の元気老人たちの集まりの世話役を、自ら進んでしている。家付き娘の私は、昔から知っているお婆ちゃんたちとの方が、話が合うようだ。
先日焼き芋をごちそうしようと無水鍋を持って行ったら、お婆ちゃんたちもみんなこの鍋を持っていると言った。でもケーキは焼かなかったそうだ。たぶん婦人会の集まりか何かで、売りに来たのをみんなして張り合って買ったのだろう。
「みんなそうだったのか」と思いながら、ちゃんとケーキを焼いてくれた母を自慢に思ったりもした。
「家の光」という農業関係者なら誰でもしっている月刊誌がある。私が子供の頃、我が家でもこの雑誌を毎月購読していた。子供には難しい本だったが、唯一料理の写真を見るのが好きだった。おいしそうな料理の写真の下には詳しい作り方が載っていた。
本を見ながら「これ作って」と母にせがむと、「はい、はい。できました」と母は言い、料理の写真を手でつまんで食べる真似をした。子供だった私と姉は母につられて「むしゃむしゃ」と声を出して食べる真似をした。しかし食べたことの無い料理は、いくら想像力を働かせても何の味もしなかった。もちろん遊びとしてのそれは楽しかったが、やはり本当の料理を食べてみいと思っていた。
そんなある日、母がおもしろい形の鍋を買ってきたことがあった。平らな蓋が特徴的な無水鍋という厚手の鍋で、蓋の部分はフライパンとしても利用できた。その上ケーキも焼けると言い、スポンジケーキの焼き型まで鍋と一緒に付いていた。
鍋はその日から豆を煮たり、蓋の部分でお餅を焼いたりと八面六臂の活躍をした。ところがいつまで経っても、肝心のケーキはできてこなかった。待ちかねた私が「母ちゃんケーキは」と聞くと、「それを言うない」と母は首をすくめて笑っていた。
でもそれからすぐのことだった、母が本当にケーキを焼いてくれたのは。
家事や農作業にしろ、母は何事も手早く仕事をこなしていた。料理も手早くおいしかったが、その反面少々雑な所もあった。ある日味噌汁の中から、箸くらいの太さのごぼうの味噌漬けが丸々一本出て来たことがあった。
当時は手作りした味噌の中に、野菜を入れて味噌漬を作っていた。確かめもしないで漬物の入った味噌を、そのまま汁の中に放り込んだのだろう。私が文句を言うと「味噌汁と味噌漬けをいっぺんに食べられたのだから、いいじゃないか」と言い返してきた。
そんな母が作り方を書いた紙を見ながらケーキを焼いたのだ。砂糖以外はすべて自家製で、ハカリや計量カップは無かっただろうに。仮に有ったとしても、材料をはかって料理する習慣が無かっただろう。
焼きあがったケーキは今でいうスポンジケーキのことで、期待していたクリームはついて無かった。それでも母のケーキはちゃんと膨らんでフカフカで美味しかった。
何度も小麦粉をふるいにかけ、泡立てた卵と小麦粉を、ゴムベラで卵と小麦粉を切るように混ぜ合わせた。レシピを見ながら真剣にケーキを作る母の横顔を思い出す。
母は十年前に他界したが、我が家の台所にはまだあの無水鍋がある。母と仲の良かった近所のお婆ちゃんたちは、皆元気にしている。私は今地区の元気老人たちの集まりの世話役を、自ら進んでしている。家付き娘の私は、昔から知っているお婆ちゃんたちとの方が、話が合うようだ。
先日焼き芋をごちそうしようと無水鍋を持って行ったら、お婆ちゃんたちもみんなこの鍋を持っていると言った。でもケーキは焼かなかったそうだ。たぶん婦人会の集まりか何かで、売りに来たのをみんなして張り合って買ったのだろう。
「みんなそうだったのか」と思いながら、ちゃんとケーキを焼いてくれた母を自慢に思ったりもした。