草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

草むしり作「わらじ猫」後13

2020-04-28 18:09:58 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」後13

大奥のお局さま  わらじをくわえた犬

 心配されていたお局様の腰も順調に快復に向かった。若様もこの頃で乳母によく懐き、夜中にお局様の寝床の中に潜りこんでくることも無くなった。上様もお夏のお方様とは仲睦まじく、若君を連れだって中庭などを歩いておられる。

 心配事が無くなったせいか、お局さまの大奥での采配もますます冴え渡ってきた。今日も伊達殿と紀伊殿の縁談をひとつまとめた。さて明日はどの藩の縁談をまとめようかと思案していた。

「……………」
もの思いにふけっていて、そのままウトウトしてしまったのだろう。気がつくと部屋の中が暗くなっていた。もう夕暮れ間近なのだろう。さっき鳴いていたのは犬であろうか。ウツラウツラとした意識の中で犬の鳴き声を聞いた気がした。

―私としたことがうたた寝などしてしまった。
お局さまは誰にも見られていないか、部屋の中を見回した。少し空気を切れ換えようと中庭に面した襖を開けた。中庭の広間では小柄な女中が犬を遊ばせていた。

 若君の乳母様の飼っているのは、狆という種類の小さな犬だった。犬の世話は部屋子のお玉にまかせっ放しだった。ところがお玉は実に犬の躾が上手で、乳母様の狆もお玉の言うことならよくきく。

 お玉は毎日欠かさずに、明け方と夕暮れに狆を散歩させている。今も大奥の中庭を散歩させていたところだった。中庭の中央には広場があり、月見や花見の宴が催されるが普段はただの空き地になっている。お玉はここで鞠を放り投げて犬を遊ばせていた。今も鞠を放り投げたところだった。少し遠くに放りすぎたようだ、拾いに行ったきり犬がなかなか帰ってこない。

 犬は鞠を銜えて戻ろうとしていた。すると池の端に植わっている松の木の下に鼻緒の切れたわらじが、片一方だけ落ちていた。犬は銜えていた鞠を口から放すと、わらじを銜えてお玉のところに持っていった。

 お局さまは見るとは無しに女中が犬を遊ばせているところを見ていた。如何したのだろうか、鞠を追いかけて行ったきり犬が帰ってこない。遠くに飛ばしすぎたんだろと思っていたら、犬がやっと帰ってきた。

 尻尾をくるくると振りながら女中のところに大急ぎで帰ってくる姿がなんともあいらしかった。よく見ると犬が銜えて帰ってきたのは鞠ではなかった。女中も犬の銜えて来たものを見ながら頭をひねっている。
 ―あれはいったい何を銜えて来たのだろうか。しかし犬も可愛いいものじゃ。
とお局様は思った。

 おわり
明日よりマーガレット・ミッチェル作荒このみ訳「風と共に去りぬ」第2部のあらすじ
を連載いたします。


草むしり作「わらじ猫」後12

2020-04-27 18:14:27 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」後12

大奥のお局様 わらじを履いた猫

―その方、名はなんと申す。ですと……。

「その方、名は何と申す」それは大奥の合い言葉だった。上様が名前を訊ねた相手が、気に入ったということだ。
―上様はお夏を気に入られたのだろうか。
いやその前にタマの名前を訊ねられた。だとすれば猫が気に気に入ったので、そのついでに飼い主の名前を訊ねただけなのか……。
いやそれとも本当にお夏が気に入ったのだろうか……。しかし上様は、いつの間に好みが変わられたのだろうか。たしか色白の細面(ほそおもて)がお好みだったのでは。それが次の側室にお夏をご指名とは……。お局さまは上様の真意を測りかねていた。

もう腰が痛いなど言っている場合ではない。 どうしていいものか。いくら考えても分からまかった。

―当のお夏は先程の上様の御言葉をどう思っているのだろう。
「のうお夏、先程上様はお前になんとお聞きになったのじゃ」
遠回しにお夏に探りを入れてみた。
「はい、上様はタマがたいそうお気に召したようでございました」
お夏は大奥の合言葉をまだ知らないようだ。
「そちのことは、何か訊ねなれたか」
「はい、どうしてそんなに色が黒いのか」お訪ねになりました」
「まあ、なんということを……。一番引け目にしているところを、あれこれ言われて、その方傷ついたであろう」
「いえ、一番気にしていることではないので、さほど傷つきはいたしませんでした」
「面白いことを言うのう。ならばそちはいったい、自分のどこが一番嫌いなのじゃ」
「お局さま。それは御勘弁いただけませんでしょうか」
「うん。そのような事、人には言いたくはないわな」
 二番目は笑って許せるけど、一番目はゆるせない。お局さまは、お夏の娘心がわかる気がした。

―この娘はいったい自分のどこが嫌いなのだろうか……。
お局さまはかいがいしく、自分の身の回りの世話をするお夏を、見るとはなしに見ていた。
お夏は膏薬を張り替える準備をしている。手の上に広げた晒の上に、竹のヘラで膏薬を塗りつけているのだが、うつむいたその横顔がなんだが、嬉しそうに見える
「お夏、上様はそちの色が黒いと仰せになったほかは、なにも仰せではなかったのか」
「はい、他にはタマが可愛いと誉めて下さいました。それから私のことを、よく見ればところどころ可愛いと仰せでした」
 お夏は頬を赤らめて、恥ずかしそうに答えた。
「まあ、ところどころだなどと……」
上様はお夏のことをお気に召したのだろうか。
お局さまが考えあぐねていると、廊下をかけてくる、足音が聞こえて来た。

「おばば、煤かぶりにおとぎはなしをしてもらってもいいか。父上も一緒に聞きたいそうじゃ」
若様の声が大奥中に響き渡った。
「上様がおとぎ話でございますか」
お局さまは驚いて飛び起きてしまったが、もう腰に痛みは消え伏せていた。

「お夏、お夏。上様がおとぎ話を聞きたいとおおせじゃ。何の話をいたすにじゃ」
「はい、今日は「わらじを履いた猫」の話でございます」

上様は「わらじを履いた猫」の話がお気に召したようだ。
その夜、御鈴廊下の鈴の音は高らかに大奥に鳴り響いた.


草むしり作「わらじ猫」11

2020-04-26 17:24:32 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」後11

大奥のお局さま  猫のお見舞い

 ぐっすりと眠る若君の横で、お局さま動くことも声を出すこともできずに、額に油汗を浮かべていた。

「………」
―おお、タマか。
体がふわりと宙に浮いた。自分を抱きかかえているのは湯殿のお端下だろうか。不思議なことに抱かれている間は痛みを感じなかったのだが……。
「お床(とこ)に下ろしいたします。御覚悟ください」
「うぅ………」
床に下ろされたとたんに激痛が体中を走りぬけた。

寝付いてからもう十日になるのに、いっこうに痛みは止まらなかった。それどころかますますひどくなっていくようだ。お局さまは体を九の字に曲げたまま、起き上がるどころか寝返りを打つことさえも出来なかった。

「どうじゃ、具合は」 

 苦しそうに横に向いたまま寝ていたお局さまは、傍に控えていた部屋子に目配せした。部屋子は横になったまま身動きの取れないお局さまを抱え、床の上に座らせた。それからそのまま後ろに回って、お局様が倒れないように支えている。

 湯殿のお端下はそのままお局様の部屋子として召抱えられた。病人の扱いにもなれているのだろうか、それとも力が強いからだろうか。他の部屋子が抱えると激痛が走るのに、この部屋子が抱えると痛くないのだ。あれから部屋子は片時もお局さまから離れず看病をしている。

「上様、このようなむさ苦しいところにおいであそばすものではございません」
お局さまはほつれた髪を撫でつけ、乱れた襟元を慌てて直した。
「のう秋月、せめて膏薬を張ってはみないか。」
「上様心配には及びません、このようなもの日にちが薬でございます」
「いいから余の言いつけを聞け。幼い頃大病を患った余のために、一切の薬を絶ったのは存じておる。こうして元気でいられるのもそちのおかげと感謝もしておる。しかしあれから三十年以上も経っておる。神様のほうもそのような願い事とっくに忘れておるわ」
「上様にこのようなお言葉をかけていただき、身にあまる光栄でございます。もういつお迎えが来ても悔いはございません」
「何を申すか秋月、だいたいギックリ腰で死んだ者がおるなど、余はまだ聞いたこともないぞ。とにかくそちが居らねば、余が困るではないか。若もやっと落ち着いてきているのに。また元に戻ってしまうではないか」
「上様………」
「いいから膏薬を張れ、しかと申しつけたぞ」

 部屋の空気が少しだけ湿っぽくなったようだ。どうもこの手のお涙頂戴は上様の柄に合わないのだろう。襖を開けて外に出て行こうとしたときだった。
「なんじゃ、これは」
上様は部屋の襖を開けて一歩前に踏み出そうとして、慌てて後退りをした。すぐ目の前に大きな鼠が置かれている。危うく踏みつけそうになったようだ。

「上様それは、猫の見舞いでございます」
「猫の見舞いじゃと」
「はい私が寝ついてからというもの、こうして毎日このように部屋の前に鼠を置いていくのでございます。今、片付けさせますので……」
お局さまは自分を後ろで支えている部屋子に合図をした。部屋子は頷くとお局様を横に寝かせ、頭を畳にこすりつけたまま鼠の前に進み出た。
「猫とはこの猫のことか」
いつの間にか猫がやってきて、上様の足元に顔をこすりつけている。
「ご無礼いたします」
頭を畳にこすりつけたまま、女中が手に持った火箸で鼠をつかんだ。
「ほう、鼠専用の火箸まで持っておるのか。まてまて、せっかくの猫の見舞いじゃ。秋月の枕もとにおいてやれ」
「承知いたしました」
部屋子は三宝の上に鼠を置くと、うやうやしくお局様の枕もとに置いた。
「上様ご冗談はおやめください」
逃げるに逃げられず、横になったまま頭をブルブルと震わせて、お局様は必死に上様に訴えるのだが。
「そちは鼠が平気なようだが、この猫はそちの猫か」
「はい、私の猫でございます」
「よいか、これから猫の持ってきた鼠は、必ず秋月の枕もとに置くように申しつける」
「はい、かしこまりました」
「う、上様なんと言うことを。誰か、誰か膏薬を持ってまいれ。ええい、早よう、早よう持ってまいらぬか」
「うん、それでよい」

 上様は部屋から出て行こうとしてふと猫に目を留めた。猫は大騒ぎしているお局様を横目で見ながら、知らぬ顔で毛繕いを始めていた。
「その方、この猫の名はなんと申すか」
「はい、タマでございます」
「うん、美しい猫であるのう」
「ありがたき幸せでございます」
「その方、面をあげよ。して、そちの名はなんと申す」
「はい、おなつと申します」
「うん、よく見ればところどころ可愛いのう。しかしそちはその、ちと色が黒いのではないか。なぜそのように日に焼けておるのじゃ」
「しかとは分かりかねなすが、生まれたのが八月の真夏の最中でございましたから、生まれてすぐに日に焼けたのだと思います
「夏に生まれたからおなつか、そのほう以後はお夏と改めよ」
「ニャー」
お夏の代わりにタマが返事をした。

草むしり作「わらじ猫」後10

2020-04-25 16:51:14 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」後10
大奥のお局さま (悪魔のひと突き)

―この様子では明日から時化がしばらく続きそうだな、また魚が値上がりするだろう。
 生ぬるいような風に吹かれて、思わず太助が呟いた。それから七つ口の門を潜って帰路についた。

   太助が長年棒手振りの魚屋として培ってきた勘は見事的中した。前夜から降り始めた雨は次第に雨脚を強めて、翌日は強い西風にあおられて江戸の街に情け容赦なく吹きつけた。大奥の中庭も例外ではなく、宴のために用意された設えを台無しにした。

    湯から上がった若君はいつものようにお局さまの部屋にやってきた。少し頬が赤いのは湯殿の御端下に昔話をせがんで長湯しすぎたのだろう、お局さまの差し出した重湯をおいしそうに飲んでいる。けっきょくお局さまがあれほど力を入れていた観月の宴は、中止になってしまった。

 若君はひとしきり湯殿での話が終わると、縁側に寝転んで草紙本を開いている。桃太郎は若君のお気に入りで、桃太郎が鬼を退治する挿絵を毎日飽きずに眺めている。もう毎日のように同じ本ばかり開いているので、本は擦り切れて汚れている。他にも本は沢山あるのだが、他の本には見向きしない。一つのことに集中するのは今でも変わりが無い。

   腹ばいになりフンフンと鼻歌を口ずさみながら、上に向けた両方の足をホイホイと調子をつけて動かして拍子をとっている。いったい何の歌なのがさっぱり分からないが、こうしているときの若君はたいそう機嫌がよかった。  

   猫がやって来るのは決まってそういう、若君の機嫌のよいときだった。仔猫を産んで以来やって来ることがなかったのだが、今日は久しぶりにやって来た。仔猫の乳離れも近いのだろう。猫は若君の横に座ると、開いている本を覗き込んでいる。 
 
 まだまだ字を読むよりも絵を見ているだけなのだが、それでもバタバタとそこいら中を走り回っては、紙をビリビリと破いていたころに比べれば、だいぶ落ち着きが出てきた。お局さまもひと安心といったところだ。

「こら、まだだ」
どうやら猫のほうが堪えきれなくなったようで、開いている本の上に前脚を乗せ腹ばいに横たわった。若君は猫の脚を払いのけ挿絵に見入っている。
―それにしてもずいぶんと熱心なこと。
お局様は若君の鼻歌を聞きながら、思わず口元を綻ばせるのだった。

 心配していた若君も、少しず落ち着きが出て来た。ほっと一安心したものの、今度は上様の側室のことで思い悩んでいた。観月の宴にこじつけて側室を選ぼうとしたが、けっきょく宴は嵐のために中止になってしまった。あれこれと奥女中の中から上様好みの細身の色白美人を娶(めあわ)わせているのだが、肝心の上様のほうがのらりくらりと話を反らしてばかりいるのだ。

「このままでは大奥の威信にかかわります」
 業を煮やしたお局様が強気に出たせいか、それ以来なにやかにやと理由をこじつけては中奥泊まりが多くなり、大奥への足は遠のくばかりである。もう一度お鈴廊下の鈴を鳴らしてもらわねば。

―何か良い手立ては無いものだろうか。
思案にふけるお局さまは、いつの間にか若君の鼻歌が止んでいたのに気づいた。
「まあ、若君………」

 本を見ているうちに眠ってしまったのだろう。うつ伏せになったまま顔を畳の上に押し付けて眠っている。その横で猫も同じようにうつ伏せになって、揃えた前脚の上に頭を乗せている。開け放された縁側の陽だまりは早くもかげり始め、庭先からは冷たい風が吹いてきた。開いたままの本がパラパラとめくれた。リーンリーンと縁側の下から虫の鳴き声が聞こえてきた。

「これ誰か………」
そう言いかけて言葉を呑み込んだ。いやいやこのままにしておこう。下手に起こそうものなら後が面倒だ。機嫌が直るまで半時は泣いている。 
そういうところは上様の子どもの頃にそっくりだった。まったく似なくていいところが似るものだ。        

 それにしても少し肌寒くなってきたが、風邪でも召されては大変だ。部屋の障子を閉め、上に羽織っていた打ちかけを脱ぐと若君にそっと着せ掛け、開きっぱなしになっていた本を閉じようと手を伸ばしたときだった。

「半腰の態勢が一番いけません。お気をつけ下さい。最初よりも二番目のほうがもっと痛いと申します。くれぐれも半腰にならないようお気をつけください」 

 くどいように何度何度も半腰になるなと言っていたおさじの言葉を思い出したが、すでに遅かった。腰に一突き、稲妻が走り抜けたようだった、気の遠くなるような痛みは、息をするだけで何度も襲ってきた。もう声も出せねば、動くことすら出来なくなっていた。

草むしり作「わらじ猫」後9

2020-04-24 18:33:39 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」後9 


大奥のお局さま (すすかぶり)

「如何なされました」
 蔦山さまが駆けつけた時には、お局様と若君の前に一人のお端下が地面にすわり頭を深く下げていた。
「いやなに、たいした事はない。湯殿の煙突が煤で詰まったゆえ掃除をしていただけのことじゃ。無理もなかろう、このところ朝から晩まで湯殿の火が絶えたことがなかったゆえ」
 
 地面に頭をこすりつけるようにしている御端下は、煙突の掃除をしていたのだろうあ。体のあちらこちらに煤がつき、頭は灰を被ったのか真っ白になっていた。よく見ると背中には仔猫が飛び乗ってじゃれ付いている。中には腹の下にもぐりこもうとする者もいる。
「お局様大事ございませんか」
声を掛けたのは鈴乃屋だった。

「おお、鈴乃屋殿であったか。此度は面倒をかけるがよろしく頼みますぞ。そういえば確かこの猫は、その方がお蔵方に納めた猫だと聞いたが、相違いござらぬか」
お局さまの草履の鼻緒に、母猫が顔をこすりつけている。
「おお、まさしくタマに相違がございません。一緒にお納めした赤トラ、青トラの二匹はとっくにお役御免になりまして、手前どもに返されてから久しゅうございますのに。大奥で子どもまで産むとは、しかしどの子もタマに似てかわいらしゅうございます。タマの子はどれも鼠捕りが上手だと聞きます。この仔猫達も今に鼠捕りが上手になることでございましょう」

 仔猫は三匹生まれていた。子猫たちは既に貰い手も決まっているそうだ。加賀様と尾張様の江戸屋敷に、一番小さくて母猫のタマそっくりな仔猫はなんと佐賀の鍋島藩の御国元のまで行くという。長屋のお稲荷さんの祠で拾われた猫の子が、なんという出世をしたものかとは思わずにはいられなかった。

「この猫のお蔭で大奥の鼠がすっかりいなくなったものよ」
お局さまは地面に屈みこみ母猫の喉を撫でていた。母猫は気持ちよさそうに目を細めている。もっと撫でてもらいたいのだろう、首を思い切り伸ばしている。
「なにか褒美を取らせたいと思うのだが、みそ汁を掛けた飯しか食さぬようだ。それでは子どもに乳が足りないのではと心配しておったところじゃ。その方、何かこの猫が食するものを知らぬか」
若君は仔猫を抱くと、未だに頭を下げ続けているお端下の回りをグルグル回りながら「すすかぶり、すすかぶり」と囃子立てている。

「さようでございましたら、ちょうどいいものを持ってまいりました。『猫あられ』と申しまして、魚に米や野菜を混ぜて作り上げたものでございます」
鈴乃屋は懐から油紙の包みををとりだした。
「食べさせ方は弟子の一心に説明させますゆえ。これをご覧くださいまし」
鈴乃屋は猫あられよりも、少し小ぶりの餌を取り出した。
「こちらの餌は『鯉みぞれ』と申しまして、先ほどの猫あられを鯉の餌用に改良したものでございます」
鈴乃屋はお局さまや若君、騒ぎを聞きつけて集まった女中たちを池に誘うと、手の平をパンパンと打ち合わせ鯉を呼び寄せた。音を聞いて集まった鯉に懐から取り出した餌を撒いてやった。
「これなる鯉みぞれを与えますと、錦鯉の色が鮮やかになり……」
鈴乃屋はお局様に鯉の餌の説明をはじめた。

「これなる猫あられは、手前が女房のお仲と考案したものでございます」
後に残った太助はお端下女中に餌の説明をしていた。
「米ぬかは米屋吉田屋から仕入れております。吉田屋の姉娘はそろばんの腕が見込まれて、日本橋の太物問屋『常盤屋』さんに嫁入りなさいました。嫁入りなされてもそろばんを手放さないようでございます。腕白坊主だった跡取り息子も今では米俵を担いでおります。末娘のほうは、可愛らしくお育ちです。
 
 この米屋の糠と鮪の切り身を女房のお仲がこねておりましたところ、長屋のお松さんと申しますお節介焼きのおかみさんやってまいりました。手には菜っ葉の切れ端や、汲み取りの百姓にもらった芋や南瓜を持っておりまして、『魚と糠ばかりよりも野菜も食べさせたほうがいいじゃないのか』と申しました。

 このお松さんこの頃また太ったようでね、本人は気にしているのですがね。亭主の甚六さんのほう木彫りの腕が上がり、三月(みつき)前に新しく立て替えた八幡様のお社の柱上の貫(ぬき)に縁起物を彫ってくれって頼まれました。二つ返事で引き受けまして、彫ったのがあくびをしている猫でございました。それがまあ大きな大あくびでございまして。何処が縁起もんだって聞かれて、猫があくびするくらい平和だって言うんですがね。ただ猫が好きなだけじゃないかと噂されております。
妹娘のおみつは娘義太夫の舞台に立てるようになって人気も出てきたよう………」

 御端下は猫あられの入った袋を握り閉めながら、太助の話をコクリコクリと頷きながら聞いていた。煤で汚れた手で涙を拭いたのだろう、お端下の目のあたりは煤で黒く縁取りようだった。その顔を見て若君が狸のようだと囃子立てている。お局様は懐紙を取り出すと、お端下に渡していた。足元では仔猫たちがじゃれあい、横になった母猫は大きなあくびをしていた。夕暮れの秋の空には赤とんぼが無数に飛び交っている。

―なんでぃ、大奥でもやっぱり子どもと年寄りに好かれているじゃないかい。
赤とんぼを取ってくれと若君にせがまれたお端下は、手にもっていた手ぬぐいを振り回し始めた。母猫は飛び上がって赤とんぼを上手に獲っている。仔猫たちも母親の真似をして、赤とんぼに飛びかかっていた。
―なんでぃ、また背が伸びたようじゃないか。
太助はいつの間にかお端下の姿が涙で見えなくなっていた。

「鈴乃屋どの、此度の観月の宴、鈴虫を楽しみにしておりますぞ」
夕暮れが近づいて風が出てきたようだ、池の水面が静かな漣(さざなみ)を立てていた。やがてお局は若君と一緒に薪小屋を後にした。

 お局様に手を引かれた若君は、庭石の上に何かが置かれているのに気がついた。けれどもそれが鼻緒の切れた片方のわらじだとは知らなかった。若君はまだわらじを見たことが無かったからだ。気にはなったが、落ちている物を拾ってきてはいけないと言われていてので、そのまま行ってしまった。だから庭石の影から何かがポンと跳び出したのを、若君は知る由も無かった。