こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

サービスの本質

2007-12-12 09:58:09 | 日記・エッセイ・コラム

前回エントリーの目玉焼きの話はなるべく愚痴っぽくなるのを避けて、落語風にしてみたのだが、真に問いたかったのはサービスの本質だった。

どうして画一的で店側の都合を押し付けるサービスを良しとしているのか、どうにも理解に苦しむ。

Kariyushi一軒目のホテルで何故オムレツだけしか作らないのか、その真意は分らないが、想像するに作るのが結構メンドーで見栄えも大事なオムレツこそコックさんがパフォーマンスとして客前で作るに相応しい卵料理だと信じているかのようだった。

目玉焼きなど、小学生にも作れるのでわざわざコックさんがお客の前で作るに値しないと決め付けているように思えてならない。

そもそも目玉焼きを食べたいと思っている人がいないという前提が気に食わない。

2軒目のホテルは目玉焼きとオムレツを日替わりで作っているから、その点でまだマシのように見えるが、コックさんがお客さんの眼の前にいるのに好みが反映されないというのがやっぱり不自然に感じられてならない。

Fusakiしかも、このコックさんは全く客が並んでもいないのに、せっせと作り置きをしていた。

お皿に盛り付けして放置していたので、冷たくなっていて何のためにコックさんがいるのかサッパリ分らない始末だった。

厨房で作り置きしてアルコールランプで保温して並んでいたスクランブルエッグの方がよっぽどあったかいという逆転現象まで起きていた。

そんなことやってるくらいだったらコックさんは客前に出る必要ないでしょ、って話だ。

アメリカのリゾートホテルでやってるこのサービス、その本質を見ないで表面的に採り入れてしまったための不都合に他ならない。

何のためにお客の前でコックさんが料理を作るのか、そこが一番のポイントでアツアツの卵料理をお客さんの為に眼前で好みを聞いて、その通りに作ってくれる事こそが最大の売りなわけで、パフォーマンスの為じゃない。

アメリカではお客が並ぶほどの人気がある。

マグロの捌きショーとはちょっと違うのだ。

要は日本人には細かく注文をつけて自分だけの料理を作ってもらうという慣習がないだけのことで、こういうサービスそのものにピンと来ないということなのだろう。

メニューにあるものをそのまま受けるだけでそれ以上もそれ以下もない。

冷凍食品のピラフを炒めて出す店などメニューになければ大盛すら頼んでも断られることはままある。

そもそも分量の決まった袋の1人前を出すだけという発想しかなく、もう一袋破いて半分を足して1.5人前にする気など毛頭無いということだろう。

半端にしてしまう1人前の袋の行方ばっかり気になって、大盛を食べたい客の要望などどうでもいいというわけだ。

その点ハンバーガー一つ頼むにも、中身の具の種類から、かける調味料やら、店によってはバンズ(挟むパンの事)の種類まで指定してオリジナルのハンバーガーを食べるという米国のやり方とは極めて対照的だ。

サービス料をチップという形でお客からもらうだけあって、ことこの部分に関してはとってもお客本位だという気がする。

しかしながら、細かい注文やチョイスは面倒なのでかえって、お店任せの方が楽だし、ハナから期待してないというのが平均的日本人の本質と言えなくもない。

そして不満があればただ黙って2度とその店には行かない判断を下すだけという特有の文化も日本らしい。

だとすれば他ではやってないコックさんのパフォーマンス、日本ではこれで充分ということになってしまう気もする。

ブツブツ文句は言ったけど、結局、もう一度沖縄に行っても2度とそのホテルには泊まらないということでケリをつける結論しかないのかもね。(^-^;

追記-いい話ではないので、泊まったホテルの実名は伏せてあるが、不満は不満なので写真は載せることにしたので悪しからず。