お茶の子ワールド

日常と、背中合わせの非日常
どちらも私の世界
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大往生

2015-11-26 01:48:16 | Weblog
10月 舅が満百一歳の生涯を閉じました。
周囲の人を気遣い、誰にでも好かれる穏やかな人でした。
11月 納骨の儀、無事相済みました。
 
 阿蘇根子岳に間近い高森駅まで歩いて30分ほどの水利の悪い土地に生まれ
とうきびが主食の農家の四男坊
 成績優秀でしかも努力家
町の郵便局に勤めましたが、郵政の仕事で満州移民に応募、
中国語を勉強していたので重要な仕事に就くこととなり
 宿泊施設を経営していた伯母を手伝っていた姑と知り合い結婚
長男、長女、次女、三女と4人の子供が生まれたところで終戦
 仕事の関係で伝手を頼って家族6人一人も欠けることなく帰国
帰国後も郵政の職員として定年まで勤め上げその後も製菓会社に
長いこと勤務していました。
 
帰国後さらに四女そして次男と合計6人の子どもに恵まれました。
6人とも結婚、孫は10人、曾孫は8人となりました。

その子供たちが一人も欠けることなくそろって見送ることができたこと
稀有であるとお坊さんはおっしゃいました。

8人目の曾孫は10月1日に生まれた娘の二人目の子
 お腹の中で曾祖父と対面しています
 9月、医師の見立てで「もって2週間」というので
予定日1か月前だった娘は三歳の上の子を連れて空路お見舞いに来たのですが
 医師の宣告日を過ぎて却って舅の状態は安定

葬儀を覚悟して集まった親族は解散、娘もシルバーウィーク過ぎに
もう予定日まで二十日を切ったので新幹線に乗って家に戻りました。

9月末近くスーパームーンという月の地球大接近があり
出産ラッシュ現象が発生
 その所為かどうか、予定日より十日以上前というのに産気づき
 娘は緊急入院でそのまま出産
無事かわいい男の子に恵まれました。
 
舅には次男の嫁の私は、孫の出産に深夜、成田に飛び
月半ばで通夜に戻り
葬儀が済んでまた関東へ移動

一か月検診が済んで母体も戻りつつある頃日を選んで
満三歳の上の孫の七五三と一緒にお宮参りをしました。


熱を出したり、風邪をもらったりの上の子から娘も風邪をもらって
難聴の気配を感じて耳鼻科を受診した娘をおいて

納骨前に当地に戻りましたが後ろ髪ひかれる思いと申しましょうか。

ところが実母が今月初旬から検査入院、
体力が落ちているというのでこれも心配、一応退院して「特養」に戻りました。
コメント
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