tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

下町を「下町」だということができる人

2006年04月06日 15時23分45秒 | Weblog
今朝、地下鉄の中つり広告を見ていると、面白い内容が目に付いた。
大体、こうした見出し広告は、書いてある内容と実際の本文のほうが、かけ離れていたり、本文の方がたいしたことがないというものが多いように思われる。
おそらく、コピーライター(あの一世を風靡した「コピーライター」という職業!!)が書いた文章をそのまま使っているのだろう。私は一時期このコピーライターになりたいと思ったことがあるが、もうすでに死に体の職業で、ひどければパソコンもまともに扱えない人もいるような職業でもある。一度そういう人を見たことがあるが、過去の栄光で職業的プライドばかりが目についたことを覚えている。

さて、肝心の中つり広告。雑誌は週間chintai。そう、あの住宅情報誌である。
内容は

「今週の特集;下町に住もう 大阪市営地下鉄御堂筋線昭和町駅」

とある。昭和町に住んでいる人々にとっては気の毒というよりも、ほっといてくれというような内容である。

ところで「下町」なんて名前の地名はない。根本的にその地域を見て、「ああ、ここは下町だ」と勝手に決め付けているだけの話にすぎない。だが、そこには蔑みの内容を含んでいることが多いのではないのだろうか。

時々、われわれは人の経歴のなかに「下町生まれ」という言葉を見出すことができる。これについては二つの意味がある。ひとつはやはり「蔑み」の意味で、もうひとつは「愛着」の意味でだ。たいていは後者の意味合いで使われることが多い。そしてまた、この言葉は微妙に自らの出身地を隠すという作用あって、同時に隠すという行為の緩衝材、すなわちクッション的な役割も果たしているのである。

しかし、この言葉を使うことのできる人間は、その土地に住んでいた人間、あるいはかつて住んでいた人間だけが使える表現ではないだろうか。そう考えると、誰もが知っていて、気軽に使えて、雑誌や書籍などの文字媒体の気軽な使用をもっとも嫌うような性質の言葉なのだと思う。