tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

押井守監督作品 『立喰師列伝』

2006年04月16日 23時48分52秒 | 映画
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やばい。奴は立喰のプロだ・・・。

ほとんど欠かさず見にいく押井守監督の新作が先週くらいから始まっている。今回は不便な場所の映画館などではなく、大阪梅田のナビオ阪急の中の映画館で上映している。残念ながら奈良では公開されていない。映画そのものの制作はネットのニュースにも流れていたが、公開を知ったのは偶然だった。

上記のキャッチフレーズをホームページで見て早速見に行きたくなった。押井守監督作品は決してメジャーの王道を走るようなものではない。宮崎アニメとは少し異なってくる。しかし宮崎監督と押井監督は親交があり、たがいに批評しあうような仲だとか。

今回の内容は、戦後の日本を跋扈した立喰師たちの織り成すもう一つの「戦後史」ただし、立喰師とは弁舌巧みに店主を翻弄し、無銭飲食を働く連中のことを指す。内容がまさしく押井監督のライフワークとも言える「立ち食い」だから力が入っている。

しかし、店主を翻弄する立喰師たちの説明を行うナレーションはまさしくよどみなく流れ、その知識は衒学などという言葉では説明できないくらいの大量の情報が詰め込まれている。この制作方式が押井流の作り方ともいえる。そう、映像の壮大さに我々は一つの事実を忘れていた。すなわち、

やばい。奴は映画のプロだ・・・。

ということに。

また映像も斬新としか言いようのない方法を取っている。名づけて「スーパーライブメーション」。まるで実写版の紙芝居を見せるような雰囲気で作られる。だから、ほとんどが静止画で作られている。そこへ大量の情報を詰め込んだナレーションが続く。最初見始めたときに、いつもの映像のような動きがないことから、二時間も持つのかなのかなと思ったが、そこは彼の作品の力。ぐいぐい引き込まれる。
さすがにこの映像とナレーションの面白さがわからないか、つまんないのか、ついていけないのか、2.3人が出て行った。いいねえ、こういう映画があるといくのも。おまけに残った人間は、押井監督作品を見慣れているのか、本当に映画がわかるのか、厳かに受けまくっている。

逆に言うと、押井監督作品は観客にそれ相当の知識が要求される。前作「イノセンス」でもどこかの名文句の引用ばかりを並べた作品だという評価が出た。驚くなかれ、『動物化するポストモダン』を書いた東浩紀でさえあの作品の音楽のようの流れ出る背後のイデオロギーのすべてを言語に置き換えるようにして理解しようとした結果、その本質を見抜けなかった自らのおろかさを朝日新聞に掲載という形で暴露していたくらいだ。そしてまた、そうした行為をせせら笑うがごとくこうした映画を我々に提示した押井監督には拍手を送りたい。

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