tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

寒い国から帰ってきた妹

2006年03月15日 23時29分15秒 | Weblog
自分のネタが無くて、妹のネタを借用。と言っても自分のことを書くと、すごくショボイのだ。

実は、いい加減な仕事をやっているつもりは毛頭無いのだが、今日会社で、「リストラするぞ」と脅しをかけられた。「よりいっそう」まじめにやりますが、結果はすぐに出せません。ヨーロッパの13言語を相手に編集するわけですから。一体何人の人間が会社を後にしましたか?。今日もKさんが病院から電話をかけてきて、腎臓のポリープの緊急手術をしたそうではないですか。Mさんも強迫観念を植え付けられて、すっかり仕事にナーバスになっています。先月辞めたTちゃんは、確かにその場の気分で仕事をする癖がありましたが、風邪で無理の利かない体になり、かなり苦しんでいたではないですか。派遣のOさんもやっぱり風邪で解雇され、現在別の人が来ています。うちの会社はさほどひどくないと言っても、やっぱりひどいですねとしか言いようが無いですね。

それはさておき、妹は父の姉の家へ居候して、スキーをしてきた。勿論退職した父も一緒だ。父の姉は北海道の北見に家を持っている。前にかいた細工物を作る伯母だ。有給を取れるとはいえ、さすがに3日も役所を開けると、混乱するらしい。父はまだ当分、北海道にいるらしい。ねーちゃん嫌がるよ。

もう既に、流氷はなくなっていたそうだ。ただしスキー場はまだまだ使えるらしい。ただし、平日にすべるわけだから、結構ガラガラらしい。スキーも高校生の時にやったきりだ。こっちの当面の目標は、方角が正反対で、バナナの実る国のマッチで実銃を撃つことだ。勿論厚紙のターゲットですよ。

tyokutakaの親戚一同は、北海道に固まって住んでいるから、親戚まわりをさせられたそうだが、えんえん、どーでもいい話をするので、あきれたとか。もうみんな年を取っているからね。妹よ、兄が北海道に行かないのは、それが嫌だからよ。

北見は網走の近くだ。オホーツク海に面している。今日ニュースステーションを見ていたら、中国の化学工場爆発で、汚染物質が大量に河に流れ込み、それがオホーツク海にまで達する可能性が高くなってきた。やばい。

親父、早く帰って来い。あんたは今でも大黒柱だ。

i-MacのCMとBGM

2006年03月11日 22時57分19秒 | Weblog
ここ1、2週間のあいだでブログに書いた事が、偶然にもつながったので、書いてみたい。

この前、i-Macにインテルが搭載された事を書いた。確かに、インテルを搭載する事で、立ち上がりや計算、反応速度が速くなったのだが、その事によって、Mac本来の個性が消失する事を指摘した。確かにパソコンは道具だけど、単にビジネスユーズならば、Windowsを選択する方がベストであろう。グラフィックソフトの処理速度が向上するというのは確かにそうかも知れないが、DTPを最近導入し何らかの内製化を行った非印刷業、非デザイン業の会社の大半は、新たにMacを導入するというよりも、むしろWindowsを使っている。うちの会社は、AdobeのFrameMakerという大規模マニュアルの制作に適したソフトを使っているが、これはWindowsの環境だし、このソフト自体、Mac版の販売を大分前に終了していて、現在はWin版とUNIX版のみである。このテキストを書いているMacにFrameMakerをインストールしてあるけど、運用環境は、前の世代のOS9ネイティヴらしく、ソフトを起動するとクラッシック環境で立ち上がる。

それでもMacは好きという人はたくさんいる。そうした人々のインストール状況を見てみると、意外にもグラフィックザインを仕事や趣味としているのでもないのに、Adobeのグラフィックソフトの統合版であるCreativeSuitsを入れている人が多い。

次に、話はそうとう変わるが、レンタルCD/ビデオの会員になった事は既に書いた。映画のサウンドトラックの棚を見るとタイトルが豊富だが、その中で昔見た「HEAT」という作品のサウンドトラック(BGM)を借りてきた。1996年公開だと書いてあるから、もう十年だ。監督のマイケル・マンはかつて「マイアミヴァイス」で銃器関係のコーディネートをした人物。それだけになかなか奥行きのある銃器選択を行う。この映画で気に入ったのは、エンディングにかかる曲だ。これは当時、この映画のテレビCMでも使われていた。借りてきて、パソコンにインストールするが、最後のこの曲だけエラーが出る。がっかりだ、しかし、深追いして、パソコンに借り物のCDが入ったまま出て来なくなると、もっと厄介だ。泣く泣くあきらめたが、再生できるところまで聞いてみると、同じフレーズを繰り返す。CDそのものの問題か、曲自体がこうなのかは不明だけど、やはり素晴らしい。そのうち、別のチェーン店で同じ物を借りてきてやり直そうかと思ったくらいだ。

この曲のタイトルは「God Moving Over The Face Of The Waters」。Mobyという人のプロデュースだ。日本の映画は大部分が、その映画の為に作曲されるオリジナルのサウンドトラックだが、外国の映画によっては、既存のものを持ってくるというのがある。しかし、外せないのはオープニングとエンディングだから、この映画のための新曲を設定しないのは少し意外だ。

ようやく今日の話になるが、夕食を取っていると、テレビでインテル搭載型 i-MacのCMをやっていた。パソコン本体とナレーションのみのシンプルなCMだが、流れている曲を聴いて、「あれ?」となった。

先に紹介した「HEAT」のエンディングである。

あのAppleまで使うのには驚いた。

アイデアをもとめて

2006年03月08日 14時47分45秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
デザインの専門学校に通っていたころに習っていた先生がメーリングリストを主催している。実は本当に振るわないメーリングで、「あと一週間で閉鎖しますよー」と場所を貸してくれているサーバーから通知が届く。そうなると真っ青になって、登録者の誰かが、とりあえず、送信だけしておくという「幽霊メーリング」になっている。デザインがうまい人間で、文章も話題も豊富という人間は本当に少ない。私の場合、文章を書くがデザインの方は・・・・?

でも、時々とんでもない大型の話題が提供されて、参加者間で知恵をひねり出すということが行われる。いまの話題は、「コンセプトの立て方」である。要はアイデアをどうやって作るかということだ。

ほぼ例外なくといっても過言ではないのだが、アイデアなんて簡単に思いつくものではないのが事実で、そのような課題を持っている人に対しては、本を読むこと、すなわち読み方やものの見方から教えなければならないのである。決まった答えの形を覚えておけば、大丈夫というかつての受験的知識にどっぷり浸かった(漬かったといってもいいのかもしれない)方々には、特に教えるのが困難である。

1994年の春、東京大学出版会から『知の技法』という本が出された。大学1.2年の教養課程でゼミを受けるのに、どのようにして課題を設定して、調査し、まとめるかということを教えるために出された教科書だったが、一般にもウケて、かなりのベストセラーになった。私も買って読んだが、どうということは書いていない。その後のゼミでの口頭発表は、この本の内容がほとんど役に立たず、全部実地で学んだくらいだ。面白いのは、この本の編者の一人が、かのホリエモンの指導教官だったことだ。

大学時代に立てる命題など、ほとんど限られている。実は実社会に出てから面食らうような課題に対する答えを提示しなければならないこともある。

あるとき、私はストレスの計測方法の技術が確立すれば、どのような市場性があるかということを調査したことがあった。これは鉄腕アトムが実用化されたら、どのような使い方がありますかと聞くのと同じくらい荒唐無稽なことなのである。

インターネットなどを調べたが、まったくわからない。第一ストレスの計測をして「あなた今、ストレスがたまっていますよ」といわれたところで誰も喜ばない。むしろ、緩和する方法を考えるのが妥当という結論になった。

では、まずストレスの計測だが、これは尿検査でわかるらしい。トイレでももう実用化されているそうだ。そのトイレを見に、わざわざ北九州まで出張したことがあった。いま考えると傑作だが。そのトイレを利用して、ストレス緩和策を考えたが、それはトイレを半ばジュークボックスにして、音楽をかけるというものだった。笑い話ではない。まじめに取り上げて、現に経済産業省への報告書に書いたくらいだ。この事業は次年度取りやめになったが・・・。

こう書いているとアイデアの立て方も結構難しい。どうしよう、あのメーリングに立て方の提案をしなければならないのだけど・・・

CDレンタル

2006年03月07日 14時03分52秒 | Weblog
去年の秋ぐらいに、i-pod nanoが出て、miniが生産終了となるのであわててminiを買い揃えた。nanoにアドヴァンテージを見出せなかったからだ。

本家本元のi-podは20か40GBの容量だが、ここまであれば、底抜けに入ると思う。たしかappleの宣伝文句は「家中のCDを持ち歩こう」というものだったと思う。しかし、そんなにたくさんのCDを持っていない私は、これほどの容量は必要なかった。それ以上に結構大きくて、重たそうだったからという負け惜しみもある

それにしても、仮に20GBということは、一度パソコンにCDの音楽をインストールして、i-podに持ってくるわけだから、パソコンの容量を食うことになる。特に私のPower book G4は80GBだから、実に4分の1も食うことになる。やっぱり使えないという負け惜しみになる。

i-pod miniを大阪のヨドバシカメラで買ってきて、一通りの操作を確認した後、手持ちのCDをインストールしだした。前にも書いたが、妹がすでにi-pod shuffleをもっていたから、音楽管理ソフトのi-tuneは一通り扱える・・・が、パソコンのOSが対応していなかったから、バージョンアップしたのも、かつてここで書いた。すでに200曲以上入っている。音質は最高だが、CD自体が古いから、聞いていると、かったるいように思えてくる。この数年で、音楽の好みも変わったのだろう。

というわけで、すぐにショップに走ることはない。CD一枚3000円は結構な出費だ。レンタルという方法を思いつくが、よく使っていたレンタル屋は家から結構遠かった。かつてはTUTAYAと提携していたが、現在は解消し、個人経営みたいになっている。メジャーどころの種類は多いが、その他に入るような映画のBGMなんかはすごく少ない。本当はこっちのほうが好きだ。だから足が余計遠のく。

さて、毎週末になると、うちの社長はレンタルのビデオで『24』を借りにいく。週末はそれを見てすごすみたい。持っている袋を見ると、TUTAYAだ。どうやら近くにあるみたいだ。最近になるまで、その所在地がわからなかった。が、そんなものネットでなんぼでも調べられる。

以外に近い。というよりも梅田の繁華街にあったのが、意外だ。昨日行って、ラインナップを見てみるとかなりマイナーなところまで食い込んでいる。ほしかったものもたくさんある。

早速会員になった。

しばらく通いが続きそうだ。

神戸市立博物館「ナポレオンとヴェルサイユ展」

2006年03月05日 23時57分21秒 | Weblog
昨年の12月、JRの駅を通るとチラシが置いてあった。展覧会名は「ナポレオンとヴェルサイユ展」。

ナポレオンがフランス皇帝として戴冠してから200周年になるという。それを記念してナポレオン関係のコレクションをヴェルサイユ宮殿博物館から借用し、東京と神戸で開催するというものだ。実は、ここ神戸市立博物館は人気の高い博物、美術館であり、展示物は世界中から借用してくる実力を備えている。私は行かなかったが、2年くらい前には、大英博物館展を開催した事がある。その時勤めて会社の同僚が見に行ってきて、お昼休みに話題を提供した事があった。そのとき彼女が見せてくれてたのは、古代エジプトに作られた猫の置物をマスコットにした携帯のストラップだった。結構みんなにうらやましがられていた。

今回は、大学が仏文科だったこととフランス史も絡んでいるので、興味があって見に行ってきた。しかし、神戸の三宮は奈良から行くのは遠い。ほとんど一日仕事になった。

内容は充実しており、一つ一つの説明を見ていくと楽に三時間はかかる。もっとかかったような気もするが。

あの大震災のあと、神戸の町は美しく復興した。こうした復興は、古くからあるものをただ破壊するだけの行為しか生み出さないのだが、神戸の町は古いもののデザインを再生するような復興を遂げた。だから、大丸元町店の外側に位置する通路は、石こそ新しいが、デザインはアールヌーボー調を見事に再現している。神戸市立博物館も、かつては正金銀行神戸支店の建物だったが、しっかりと補強工事を行い、一年近くの時間を経て復活した。

内部は非常に広い。展示品は150にものぼる。あらかじめ前売り券を手に入れておいたため、スムーズに進む事が出来る。最近は、展示物の簡単な(ペラ物)紹介(たいていは展示物の名称の羅列だが)を配るところが少なくなってきた。一月に行った奈良国立博物館はA4一枚をご自由にどうぞと言わんばかりに置いてあった。神戸市立博物館は並べてあって、100円を箱に落として持っていく形式だった。表紙はカラーだが、中はテキストオンリー。でもすべての展示物に確実に説明がつけられていて、100円はお得かも知れない。

このガイドブックをもって順路を進むが、展示物保護のために照明が暗くて、ガイドブックが読みにくい場面もあった。しかもすごい人。ケースの前に進むために並ぶから、ガイドブックを読む時間がないくらいだ。それでもマイペースに進む。たっぷり3、4時間はかかった。もうクタクタだ。

内容はヴェルサイユで使われていたナポレオンゆかりの調度品や肖像画、戦争画、版画などを展示している。調度品もただ、置いてあるのではなく、それが置かれていた室内を再現するという手の込んだ物だ。宝石類も展示されていて、女性が多く集まる。しかし全体の流れは、ナポレオンのある時期という一点を説明するのではなく、この英雄の生涯を解説するものであった。勿論、彼の家族も多く登場する。そして、彼の失脚の後には、兄弟や家族の離散が待っていた。この英雄の血を引くナポレオン2世も21歳の若さで亡くなったそうだ。

大西洋の流刑地で生涯を閉じたナポレオンの遺骨は長くイギリスの管理下にあった。しかし1840年に入り、ようやくフランスへ帰還しパリで眠ることになる。このあたりは、優秀な論文が存在するので、また別の機会に紹介したい。

あ、あきれた!

2006年03月04日 19時13分49秒 | Weblog
水曜日だったと思うが、仕事中に自宅から電話がかかってきた。母である。
外へ出て電話を取ると、「タカオさん(仮名)は会社の人か?」と聞かれる。
「いや、大学の同期だ」答える。聞くと今頃年賀状を送ってきたそうだ。
去年まで、3年くらい続けて年賀状を送っていたが、まったく帰ってこなかった。
のれんに腕押しの気分になって、今年はいよいよリストラとなった。人間、
人生を重ねるほどに、日常に埋没して、自分を中心とする周囲への関心が薄まっていく。そして自分を語る言葉を失うのである。予備校時代、このことを非常に衝撃的な表現で聞いた。

「人間としてつまんなくなる」

もう既に、そんな状況にある人間を何人も見ている。一番良くわかるのは年賀状だ。私は、年賀状の裏に何らかの文面を入れて送ることにしている。しかし友人の中には、毎年その年の干支の漢字を墨だけで書いて送ってくる人間もいるし、自分のとまった成長を、自分の子供たちの成長(この場合、写真をいれること)に仮託して送ってくる友人もいる。これも一つの表現方法だろう。ただ、もっとも良くないのは、年賀状をもらって、送り返さないことなのかもしれない。生きているのか、死んでいるのか・・・。

いま私がこうしてブログを書き続けているのも、自分の視点と言葉を失わないための方法でもある。何らかの表現を失うと、本当に人間としてつまんなくなることへの恐怖心もある。

タカオ君から来たのは、年賀状そのものズバリだった。もうすこし送り方もあるだろうと思うが・・・。表を見ると消印がない。どーなっているんだと思う。しかし、ありがちの言葉である「あけましておめでとう」の文章が無いから、つい最近(3月に近づいた最近だ!)書いたことは確かだ。彼の職業は、SEだったはず。確かに忙しい職業だ。文面を見ると、一年半かかったプロジェクトが終わったそうだ。それで年賀状を出せたみたいだ。まさかプロジェクトの終了とともに、失業したのじゃないかとさえ考える。

さらに文面を見ると、「いつも年賀状ありがとう」とある。なんだ、受け取っていたのじゃないか。それで毎年返してこなかったのも少し不義理だ。まして、今年送らなかったから、あわてて送ってくるのもどうも・・・と思う。母もあきれていた。

年賀状もかけないくらい、まして休日も無いような、忙しい職業がこの日本に存在するのかどうかは私にはわからない。ただ、もしそこまでの極限状況ならば、遠い過去となりつつある大学時代の私とは縁を切って、今、周囲で顔を見ることのできる友人を大事にすることのほうが重要だ。

私にも、今、重要な友人がたくさんいる。

久世光彦氏死去

2006年03月04日 00時26分19秒 | ニュース
小学生の時に読んだ江戸川乱歩の少年探偵団から脱却すべく、中学生になった私が読んだのは、彼の作品の文庫本として収録された作品だった。とはいっても、小学生の間は、名探偵ホームズと怪盗ルパンを押さえるのにせい一杯だったから、少年探偵団はだいぶんと後回しになった。とはいえ小学4年生の時点で、少年探偵団をしっかり押さえていたのは、クラスのインテリ層(たった一名!)くらいしか知らない。当時は、金曜の7時くらいから少年向けのドラマとして、「少年探偵団」を放映していた。しかもスポンサーは阪急電鉄や阪急百貨店などの阪急グループだ。とはいえ、当時でも私はまだ金曜の7時に放映されていた「ドラえもん」を見ていたくらいだ。

さて、中学に入ってあのポプラ社から出ていたハードカバーの「少年探偵団」買う気が薄れ、その結果として、手を伸ばしたのが、ミステリーで定評があった角川文庫だ。横溝正史の作品が有名だが、江戸川乱歩の作品も収録している。余談だが、横溝は若い頃、編集者で、江戸川乱歩の担当だったそうだ。この辺の話をもじったのが、1995年公開の「RANPO」という映画だ。しかし、背伸びして文庫に手を伸ばした結果、とんでもない事実に遭遇することになる。

江戸川乱歩のミステリーの本当の姿は、人間の愛欲に根ざしためくるめく官能の世界なのである。おかげで、二、三冊読んでおしまいとなった。あまりいいとは思えなかったからだ。もう一つ付け加えると、少年探偵団ははるかにグレードを落としたまさしく「子供向け」の話だったわけだ。

それから6年以上がたち、江戸川乱歩の作品から遠のいた私はある文芸書に興味を持つ。それが久世光彦氏の『一九三四年冬ー乱歩』という作品だった。当時私はこの本を、新聞の紹介で読み、新刊書を本屋で求めた。ハードカバーだったから、結構な値段がしたと思う。

内容は、乱歩の出奔から、逗留した旅館で作品を書くというもの。乱歩の行動と、作中で書かれる乱歩の作品という形を取ったもう一つの作品が同時並行で進行し、次第に現実と虚構の世界が入り乱れるという内容になっていく。煮たような話では、先ほど挙げた映画もそうだし、筒井ひとみの『月影の市』(新潮社 1991?)もそのような内容になっている。かくも乱歩に興味をもったのは、乱歩と言う人物を通じて見た、東京と言う街、すなわち都市論としての方面だった。話を久世作品に限れば、やはり乱歩の筆調をまねたエロスの世界であった。まあ、趣味と実益をかねていたと言うのも事実かもしれない。(「何の」というツッコミはおいとくとして)

久世氏の作品を読んだのは、後にも先にもこの本が最初で最後だ。しかし、その前後の彼の活躍は、私の中に結構、根付くこととなった。彼はもともと小説家ではない。本業はテレビのドラマの演出家だ。

実はここがすごいことなのである。少なくとも現代の我々にとっては、テレビの演出など、ありふれたことのように思える。しかし、戦後30年間は、完全にテレビよりも映画のほうがはるかに大衆の娯楽として認知されていた。従って、テレビの将来性などほとんどわからなかったし、映画の演出よりも軽視されていたと言うのが本当のところだろう。だとすると彼の選択は地道な部分を歩いたと言うことでもある。話はかわるが、昭和40年代、雨後のタケノコのようにぼこぼこ設立された会社の一つが広告代理店だった。当時はある意味、注目を集めた職業なのだが、今日で言うところの、IT企業だから、胡散臭い目で見られたのも事実だ。テレビも同様であったと思う。

しかし、それにもかかわらず、新しいフィールドを求めて、多くの若い脚本家、演出、プロデューサー志願者がテレビに殺到した。今日では随筆家として知られる故向田邦子もそのひとりだ。向田の才能を見抜いたのが、久世氏である。彼は始めて向田に会ったとき、脚本の内容に驚いたそうだ。それもそのはず、シーン1で食卓を囲んで家族で会話、シーン2でも同様の演出を行う。以下、向田の脚本には各所でちゃぶ台を囲んで食事のという風景が描かれるのだが、これを読んだとき、久世氏は「アヴァンギャルドではないか」と思ったそうだ。しかし、向田の主張もはっきりしていて、家族とはいえ、集まって話をするのに、不自然ではない情景は、結局ちゃぶ台を囲んで食事をすることであった。以降、この演出は向田邦子が不幸にも航空機事故でなくなった後も、久世氏によって引き継がれる。

久世氏の演出方法は二通りあったように思われる。一つは向田邦子作品を演出する際の、非常に澄んだ空気を切り取るような映像の見せ方、役者への指導法などだ。昔は、正月の向田邦子ドラマがよく放映されていたが、それはどこかでみた方法論ながら、確実に人物の誠実さをも封じ込めるような、映像の「切り取りかた」であった。もう一つは、コメディーの追求である。今日の奇をてらうような大げさな演出ではなく、普通の日常生活にあるような、人物の特徴がにじみ出てくるようなおかしさであった。だが、作品の方向性が違っていても、彼の底流に流れる世界観、すなわち「昭和」の面影を語れる人間としての哲学があった。私でも、少し懐かしいとさえ思えるくらいだ。もう私たちが昭和という時代の特徴を知る最後の集団かもしれない。

だいぶん前になるが、彼は小説を書くに至った動機について、自分が死んだとき、新聞の訃報欄でテレビ関係の業績だけをかかれるのも嫌だからという理由を書いていた(話していた?)その結果、本日の朝日新聞の記事を読むと、作家としての活動紹介のほかにも、作曲家、書評委員の業績まで紹介されている。

さぞかしあの世で喜んでいるだろう。

Macとインテル

2006年03月02日 15時42分55秒 | DTP/Web
発売されるとアナウンスされていたインテル搭載型のMacが発売された。昨日、仕事が終わってから立ち寄った電気屋で見かけた。ノートタイプはまだ発売されていないみたいだ。電気屋においてあるようなデモ用の製品で、調子の悪いものはない。悪いものを展示し続ければ、販売に問題が生じるからだ。したがって、電気屋においてある製品の持つ個性が、購入された製品にそっくりそのまま受け継がれていると考えるのも相当な問題があるだろう。かつてのMacは速度が遅かったり、こちらの入力を受け付けなかったりと、かなり問題があった。グラフィックはMacが主体だったが、それでもだましだまし使い続けているような状況だった。

様子が変わったのは、それまでのOSを一新したOS10が出たことからだ。しかし、これは出た当時は、まだまだ信頼の置けないものだった。そして何より、Windowsに近づいたのが問題であった。Windowsに近いならば、Windowsを買えばいい。何より安いというのがある。最近DTPでもWindowsを使うところが増えた。イラストとかのグラフィックは、Macを使うみたいだが、実質、Windowsで作ってもなんら問題がなく、その方がいいみたいだ。Macを使うのは最後の一線を越えたくないという気持ちなのかもしれない。だったら、Macだけを使えばいいのに。別段Windowsネイティブのデータベースを用いるわけでもない。今年の冬はうちの会社でも人が増えたからパソコンを買ったが、ぜーんぶ、DELLのパソコンだ。

でも、Windowsに近づいたOS10の安定性は無視できないくらいのものだ。
Macの本当のマニアは、このOSを認めないかもしれない。うちの会社でも社長はMacを使っているみたいだが、モニターがDELLだったような気がする。本当にマジなデザイナーが社内にいないように思う。

そこへ加えて、インテル搭載となった。ますますWindowsを選択せず、Macを選ぶことの意味が見えにくくなった。

早い早いといっても、こっちが持っている1ギガメモリーのPowerbookG4とどの程度?と思うくらいである。
電気屋のデモ品にはイラストレータをつんでいないから何ともいえないが、もしつんでいたら、その場でなんか書いてみたいものだ。結局、限界点まで検証するには、グラフィックのソフトがいい。

近鉄資料室特別展示「近鉄発祥の地・上本町」

2006年03月01日 14時42分13秒 | 都市論
(資料室開設20周年記念展示  2月24日まで)

一月の中ごろだったと思うが、いつも乗り降りする近鉄難波駅の改札口近くの目立つようで目立たない場所に、展示案内のポスターが貼られた。改札を通る人が目にするから、「目立つ」のだけど、通り道だから、通り過ぎることが多く、立ち止まって見るような場所でもない。ゆえに、目立たないのである。模造紙に、普通のプリンターで印刷したような、博物館の案内で、よく見るいかにも「ポスター」のつくりではない。普通の企画展示ならば、見逃すだけだが、大きくはられた写真が目に付いた。かつて上本町にあった、大軌ビルディングである。(別の写真はこちら)この建物の存在を知ったのも、大学院に入ってからで、それも山本編『百貨店の文化史』(世界思想社 1999)においてである。大阪-奈良間の路線で、かつては大阪側の終着駅が、上本町であった。現在は、先ほど書いた難波駅である。上本町から難波まで延伸したのは昭和40年代の話であり、結果的に、このことが上本町の衰退を招く結果となったが、皮肉なことに、昭和44年に、かつて終着駅だったこの上本町に、近鉄百貨店が開店している。この近鉄百貨店の開店が一期工事であり、二期工事には、大正15年に建設された大軌ビルディングの取り壊しと、それに代わる建築物の建造であった。この工事は、昭和48年までに完成している。かつての上本町は、大阪外大の旧校舎があって、戦後のヤミ市の発展形態ともいえる、商店街があるにぎやかな町だった。しかし、源流は先ほども書いたとおりだったから、外大の第二生協ともいわれた、その商店街の構造は簡単に理解できるものではなかったらしい。これは予備校時代に私が習っていた先生から教えられたことだ。

そこで本論。上記の企画展示は金曜日の午前中に、休みを取って行ってきた。土日祝日が休館日だったからだ。資料室は上本町の駅のすぐ目の前だ。近鉄小劇場として使われていた場所の隣にある。近鉄小劇場の前身は映画館だった。ここもまた、大衆の娯楽の変化に伴い、町の姿を変えた場所である。地下へ降りていくと、図書室のような雰囲気の場所があって、そこが資料室。言い直せば図書室の一部を仕切って、展示を行っている。ケースやパネルも少なめだが、内容はかなり濃かった。予想に反して入館している人は多い。が、私が帰るころは、誰もいなくなっていた。

パネルの写真は、なかなか充実しているが、撮影年月日と人々の服装が一致していない。7月に撮ったはずなのに、人々がコートを着ているような、厚着をしている写真を見た。ケースの展示物は、大軌ビルディングの中にあった食堂のメニューや大正の沿線名所案内があった。かつては駅数も少なく。奈良県に入ると生駒ー富雄ー西大寺ー奈良の4箇所のみ。(現在は8箇所)今では護岸工事ですっかり川底へも近寄れない富雄川の蛍が名所のひとつになっていた。

古きよき穏やかな時代が見えてくる。