tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

駸々堂テストの想い出

2006年03月19日 23時20分11秒 | Weblog
先々週、神戸の市立博物館へ行ってきた事を書いたが、三宮にあるジュンク堂で、五ツ木・駸々堂が主催する中学進学学力テストのチラシが置いてあった。倒産した駸々堂は書店事業が中核であったが、京阪神を中心とする私立中学受験者対象の業者テストを行う事でも有名だった。実は私自身、このテストを小六の一年にわたり受けていた事がある。その割に私立に合格する事無く、地元の公立中学校に通う事になる。志願校は京都にあった。しかし、今でも思うのだが、もし仮に合格していたとしても、あんなに遠い場所まで毎日通えたかどうか分からない。だとすると、これはこれで良かったのかもしれないが、その受験準備をしていたころ、塾に通い、日曜日には二ヶ月に一回、こうしたテストを受けていた。それまでの学習が効いたのか、あるとき非常にいい点数を取った事があった。その結果、特別コースに入る権利が与えられ、結構喜んでいた事がある。しかしこの特別コースの選抜基準とはどのようなものかというと基本的に偏差値60以上を対象にしたかったらしいが、それで切ると、ほとんど対象者がいないというから、下がりに下がって、50まで落としたらしい。その結果門が広がり、私にもチャンスが訪れたという訳だ。たしかあのテストで55くらいは取っていたはず。

会場も、奈良の学園前という駅の降りてすぐという場所にあって通いやすく、建物のデザインも結構凝っていた。今ではほとんどの学校で見かける事が出来なくなった、「円形校舎」である。建物は丸形。真ん中に螺旋階段があって、だいたいワンフロアを90度から120度で仕切って、3から4個の教室を設置していた。窓際はバルコニーみたいになっていて、容易に隣の教室に行く事が出来る。これが結構面白く、休み時間に校舎の周りをグルグル回っては遊んでいた。少年時代の一風景。

駸々堂は中学生対象のテストを行っていなかったから、縁は切れるはずだったが、問題集で今度はお世話になる。これが結構難しかったのを覚えている。中学生対象の業者テストは五ツ木なのだが、これを受けた事は一回だけだったと思う。我々の中三のころは、業者テストが学校にかなり食い込んでいたから、授業をつぶしてまで行っていた。この業者テストは偏差値と並んで文部省内部でその後問題視されるが、それは少し後の話。

ここで駸々堂や五ツ木は切れるはずだった・・・が、大学に入ると復活する。試験監督というバイトである。我々が受験生だった頃、監督官はかなり大人のように思えたが、立場が変わって、自分がやってみると周囲の監督官にしてみても、それほど変わらない普通の「アルバイト」だった。これを取っていた場所は学生相談所だったが、試験の一ヶ月前になると、電話で主催者に直接頼む事が出来た。試験監督は割のいいバイトで、試験の最初と最後が忙しいだけ。その間は適当に見回ったりするだけだから。本当に楽で給料も良かった。おまけに昼食付きだ。いろいろ試験監督をやったが、小学生相手が一番面白かったと思う。何度もやっていたから、最後にはバイトの管理もやっていた。

大学院に入ってしばらく、あのテスト主催者である駸々堂が倒産したとニュースで流れた。新聞にも結構大きく出たくらいだ。本屋の店舗はすべて閉鎖され、別の本屋が後を継いだりしたが、奈良にあった店(当時では奈良で最大級の店だった)はすべて別の業種(無印や薬局など)に変わった。あれは結構なショックであった。ただ、このテストは有名で必要だと言う声もかなりあって、その後を五ツ木が引き継ぐことになった。

ところで、あのテストの試験監督を今ではどういう方法で集めているのかな?