tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

あ、あきれた!

2006年03月04日 19時13分49秒 | Weblog
水曜日だったと思うが、仕事中に自宅から電話がかかってきた。母である。
外へ出て電話を取ると、「タカオさん(仮名)は会社の人か?」と聞かれる。
「いや、大学の同期だ」答える。聞くと今頃年賀状を送ってきたそうだ。
去年まで、3年くらい続けて年賀状を送っていたが、まったく帰ってこなかった。
のれんに腕押しの気分になって、今年はいよいよリストラとなった。人間、
人生を重ねるほどに、日常に埋没して、自分を中心とする周囲への関心が薄まっていく。そして自分を語る言葉を失うのである。予備校時代、このことを非常に衝撃的な表現で聞いた。

「人間としてつまんなくなる」

もう既に、そんな状況にある人間を何人も見ている。一番良くわかるのは年賀状だ。私は、年賀状の裏に何らかの文面を入れて送ることにしている。しかし友人の中には、毎年その年の干支の漢字を墨だけで書いて送ってくる人間もいるし、自分のとまった成長を、自分の子供たちの成長(この場合、写真をいれること)に仮託して送ってくる友人もいる。これも一つの表現方法だろう。ただ、もっとも良くないのは、年賀状をもらって、送り返さないことなのかもしれない。生きているのか、死んでいるのか・・・。

いま私がこうしてブログを書き続けているのも、自分の視点と言葉を失わないための方法でもある。何らかの表現を失うと、本当に人間としてつまんなくなることへの恐怖心もある。

タカオ君から来たのは、年賀状そのものズバリだった。もうすこし送り方もあるだろうと思うが・・・。表を見ると消印がない。どーなっているんだと思う。しかし、ありがちの言葉である「あけましておめでとう」の文章が無いから、つい最近(3月に近づいた最近だ!)書いたことは確かだ。彼の職業は、SEだったはず。確かに忙しい職業だ。文面を見ると、一年半かかったプロジェクトが終わったそうだ。それで年賀状を出せたみたいだ。まさかプロジェクトの終了とともに、失業したのじゃないかとさえ考える。

さらに文面を見ると、「いつも年賀状ありがとう」とある。なんだ、受け取っていたのじゃないか。それで毎年返してこなかったのも少し不義理だ。まして、今年送らなかったから、あわてて送ってくるのもどうも・・・と思う。母もあきれていた。

年賀状もかけないくらい、まして休日も無いような、忙しい職業がこの日本に存在するのかどうかは私にはわからない。ただ、もしそこまでの極限状況ならば、遠い過去となりつつある大学時代の私とは縁を切って、今、周囲で顔を見ることのできる友人を大事にすることのほうが重要だ。

私にも、今、重要な友人がたくさんいる。

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