tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

都会のジャングル

2005年02月22日 17時08分06秒 | Weblog
昨日、大阪市内を歩いていると、前を歩いていた人が横断歩道で方位磁石を持って眺めていた。大阪の町は碁盤の目のようになっているから、土地勘があればすぐに北や西の方角がわかるし、その土地勘を身に付けるのも、それほど難しいものではない。だから、趣味で持っているのだろう。そういえば、パリの地下鉄で方向に迷った友人の体験を聞いた先生は、方位磁石を持っていくようにといっていた。
町並みで方角がわかるというのは、少し心もとないことでもある。地震で崩壊すると、それだけでわからなくなることを意味する。また町並みの変化も激しい。よく同地点を撮影した昔と現在の写真を見ることがあるが、まったく変わっているからだ。我々の記憶もそれほど当てにならない。そう考えると、砂漠やジャングルとそう変わらない。

「書店店員になるためには」の彼岸

2005年02月22日 16時54分23秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
イントロダクション
真実を伝えることは非常に重要だが、すべての真実を伝えることは非常に難しい。むしろ不可能であるという事実に気づかねばならない。そのような視点から見ると、ジュンク堂のHPにある仕事を知るは、書店の仕事を知る上で非常に参考になるという言葉以上の意義を持つ。しかし、すべての真実を伝えることが不可能であるといったように、このHPもまた、書店の仕事の一部しか伝えていないように思われる。

何を伝えていないのか?
書店社員の仕事のもう一つの柱である、「書店の経営」をつまびらかにするという側面である。
この店では売り上げがいくらあって、人件費がいくらあるかというような問題である。
そう考えると、かのHPの内容では、正社員の仕事を紹介しているようでいて、実際はパート・バイトの仕事を紹介しているだけのものとなる。
先ごろ、日本語組版の内容で書いたところ、とある出版社の方から、コメントをいただいた、そのなかで、本の原価や取次ぎの取り分などを書かれていた。そこに触発されての投稿である。

売り上げや人件費の方へ
一冊の本がある。書店の社員に対しては、その定価の22%が自分たちの取り分、利益であると説明がなされる。もちろんこのパーセンテージは少し移動すると思われるが。そして取次ぎは3割、出版社が5割くらいとの説明を受けた。ただし、この22%のすべてが書店に入ってくるわけではない。これは「粗利益(あらりえき)」といって、この中から必要経費などが、どんどん引かれていくことになる。もちろん人件費も同様である。その他、光熱費、通信費、自社ビルでなければテナント料、共営費、設備費、雑費などが充てられる。その結果、書店という会社に残される財産としての「純利益(じゅんりえき)」は約3~4%という結果になる。
さて、この中で最も削減が可能なのは何か。実は、人件費なのである。
しかし、この人件費の削減が、ともすれば店舗の運営やサービスにかかわってくるという重大な側面を持つが、それについては、この後の事例で紹介しよう。

その前に、人件費の計算について紹介しよう。
どこの本屋も同じであると思うが、書店における運営資金は、一ヶ月の売り上げを元に考えれる。よって、人件費で言えば、はやっている店は多くの人が雇えるし、はやっていない店は、制限を受ける。私がかつて在職した本屋では、一ヶ月の売り上げの約7%が基準とされていた。つまり、
一日の売り上げがコンスタントに100万円あったとすれば、一ヶ月が30日として3000万円、その7%で、210万円。社員の給料が月20万円と単純に計算し、5人いると100万円。残りは、パート・バイトへの給料とすると、110万円。仮にパートとバイトの時給が700円とする。(安いが、私の行っていた本屋はこれがパート・バイトの初任給だった。)パートは週五日勤務、一日7時間労働とすると20日換算で9万8千円。仮に8人入ってもらう。78万4千円。バイトの人件費は31万6000円となる。これは、誰に何日、何時間はいってもらうかなど、個人差が大きく一概に言えないが、すべての人に週3回5時間入ってもらうとして、月12日で60時間。・・・7人くらいしか雇えない。
この想定は、書いていて恐縮だが、極端である。実際には、私のいた新店で、社員6人、パート7人、バイト12人でスタートした。前年度実績がなかったからこそ出来た人数かもしれない。しかし、この人件費のみを前提とした話だけでは、まだ見えないものがある。

売り場面積という函数
もう面倒くさいので、想定などやめて、私の経験を語ろう。
私が最後にいた書店は、340坪の非常に広い書店であった。そこに上記のような人員で構成されていたのである。そして、現実には平日の終日換算でで11人から12人くらい詰めていた。特に客足の少ない午前中は人手が少ないが、その分仕事が多い。まず品出しで、ほぼ全員が行う。雑誌の配架から始まり、専門書などのハードカバーや大型ムックを箱から出しては、該当場所に持って行き、各担当者が本棚に詰めていく。広さと冊数は比例し、量は莫大である。確実にレジに3人は取られ、広さゆえに目的の本を探す意欲さえなくなった客の応対やその他で本棚への配架は遅々として進まない。というより本棚の前に立てない。忙しくなって、売り場から店員がいなくなる。いるのだが、売り場面積が広いから店員一人当たりの面積が格段に広くなる。仮に340坪を10人で割れば34坪だが、これは外から見てそう考えるだけで、店員にすれば、誰にとっても340坪は340坪で動き回らなければならない。見当違いの場所をうろつく客のなんと多いことか!
尋ねる店員がおらず、帰っていく客もいる。売り上げに影響する。また万引きの心配も出る。

もう少し人手があれば、少しは仕事がはかどる。しかし、それは望めない。

少ない人数で売り場を動かす。客に対する態度はともかく、精神的にも体力的にも極限の状況に置かれた店員どうしは互いにつぶし合う行動に出る。売り場で怒鳴りあうこともある。バックルーム(事務室)はもっとひどく、理性など存在しない。ついでに私のいた店は、机は一台、椅子も数脚しかなかった。座る場所もない。延々立っていなければならない。太陽の日差しすら浴びることの出来ない閉鎖空間で。その時間、最大で一日15時間。
売り上げが減れば、当然人件費が減る。本の方へも、お客さんの方へも振り返れない時間が出来る。悪循環に陥る。

客の希望、私たちの希望
さて、店が大きいと客も本が多くあることを期待して訪れる。問い合わせを受けるが、わからない本が非常に多い。タイトルだけでは本当に判別不可能な本もたくさんある。タイトルがはっきりしないもの、内容だけしかわからないものもたくさんある。中には、ある作家の今在庫している本のタイトルを全部調べて電話口で読み上げろといわれたこともあった。
タイトルや内容についての理解が少ないと怒り出す客もあった。しかし、本棚の前に立てないのである。本についての勉強が出来ないのである。その傍らで毎月500冊も発行される。一つの出版社が「いい本を作れば必ず売れる」と考えて出しても、末端の小売業の書店には、この本がいい本なのかどうかを勉強する機会や時間がまったくないとすれば、出版社や取次ぎの努力は無になるのである。
だから、書店に勤めていた当時、訪れる取次ぎや、いきなり営業で来てレジ業務に忙しかった私を(レジは忙しく、集中力がいる。私は苦手だった)「ちょっと来い」と言わんばかりに無理に引きずり出して、自社の商品についてとうとうと語ったある出版社の営業に対して、私作る人、あなた売る人というカテゴライズではなく、自分の会社の本だけでもいいから一緒に店先に立って売ってくれと言いたいことが何度もあったし、それでなくとも取り分の少ない我々の利益を増やしてくれ、そうすれば人を雇える余地が出来、より商品を知るチャンスが増えるといいたいこともあった。

終わりに
少し長すぎた内容になった。
しかし、断っておかなければならないことは、この文章でもって書店の仕事は最低だとか、よくないとかを主張するつもりはない。ある局地的な場所に置かれた一つの本屋(書店という言葉よりもふさわしい)の経営状況やそこで働く人々の心象を出来る限り正確に描いただけである。最初に断ったではないか、すべての真実を伝えることは非常に難しいと。
ただ、「大変な仕事ですが、楽しいですよ」とか、表面的な紹介記事だけ読んで「大変な仕事だけどそれでもいいの」という雇い主の意思確認に対して簡単に首を縦に振る人も多い。しかし、こうした人々の情報の取得不足以前に、そもそも情報が多く流れていないという現実を見ると、この場を借りて何かを訴えて行きたいと思った。これはそうしたところから生まれたものであり、またブログという空間がそれを可能にしてくれた。
最後に、この文章に書ききれなかった部分、すなわち限界について書いておこう。それはパートさんやバイトさん、あるいはお客との交流の部分であり、出店に関する市場調査の失敗といった側面である。これは機会があればまた書きたい。