tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

千里の道も一歩から

2005年02月26日 11時12分31秒 | Weblog
今回の話のそもそもの発端は、朝日新聞の26日夕刊で、千里ニュータウンを取り上げたことから始まる。

千里ニュータウンとは大阪府が1950年代の終わりから計画、開発したニュータウンである。全国区的な話にしようと思えば、万国博覧会の姿に未来の形を見ることの出来た1970年の大阪万国博の会場となったことを紹介すべきか。

万国博覧会の跡地は、必ず公園、もしくは遊園地となる。その例に漏れず、この地もまた遊園地となった。エキスポランドという。ここへは確か、小学3年生の時にいった。イースター島から、かのモアイ像が運ばれてくると聞いて、父にせがんで見に行ったからである。あの時は地下鉄に乗っていき、千里中央駅からバスに乗った。それから、長いこと、この地のことは忘れていた。奈良住民だった私は大学に入るまで、大阪はミナミしか知らなかった。北の最果てとは言わないまでも、地下鉄御堂筋線の北の最終駅の存在は、完全に頭に無かった。私の通っていた大学は、阪急電鉄の阪急千里線の途中駅であった。従って、その線の終点まで行くことはなかった。ところがある時、その終点駅まで行くことになった。その理由は、当時受験を考えていた大学の大学院の最寄駅がその終着駅だったからである。

駅を降りて延々歩く。。歩いて25分くらいかかったと思う。千里ニュータウンといえば、団地を思い浮かべる人が多いと思う。団地が建設された当時の新聞には、屹立するコンクリートの団地を否定的な視点でとらえた作家の一文が載ったこともあるが、実際には一戸建ての、それもかなり広めの家がたくさん存在する。そんな中を抜けて歩いた。

とにかく遠かった

最寄りの駅でありながら、バスも無く、その大学まで25分も歩かなければならないのである。
その後、その大学の学生になったのでもないのに、何度か歩かされるはめになった。なれた道になっても25分は確実にかかるのである。

バスが出ていることを知った。しかし、それはさっきの終着駅ではなく、地下鉄の終着駅である千里中央からである。そこで、バスに乗った。

とにかく遠かった。

道が混むのである、これでは時間を常に気にして通わなければならない。とにかく疲れる。これも一回だけだったと思う。

そうこうしているうちに、モノレールが開通した。嬉々として乗ってみると、一時間あたりの本数が少なく、ある約束の時間に遅れそうになったことがある。

とにかく遠かった。ここまで来るとしつこい文言となるが・・・。

私が目指したその大学は、内部の大学院生がわざわざ専攻のホームページの一部を裂いてまで、大学院生の勧誘を行わなければならないほど、人が集まらなかった。わからなくもない。
結局、その大学とは完全に縁がなかった。入れば人生が変わったかもしれないが、内心ホッとしている。