tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

広がる暴動

2005年04月10日 21時54分03秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
3月の中頃である。玄関のチャイムが鳴った。
「カイランバンデス」と子どもの声が聞こえて、取りにいった。3軒となりの家の子である。まだ小学1年生だ。
その家のご主人は、中国に単身赴任で行かれていて、この4月から家族全員で中国に住むそうだ。すでに3月の終わりに引っ越していった。

あの騒ぎである。しかも拡大している。中国の日本人すべてが心配だ。

先のブログでも書いたけど、あれはもうデモなんてものではなく、暴動である。

あの行動を愛国心と簡単に断じる意見もある。「愛国心」?・・・他者を数の論理で(この場合、大勢の人間で)危険に陥れていて、それが愛国心だというのか。それは他者から与えられた根拠の薄い論理を批判的に見直すことなく、ただ本能のままに動いた幼稚な運動なだけではないのか。
翻って、我々はこの愛国心という言葉に対して、どれほど内面化しきれているのだ。

江戸時代、ほとんどの人間は生まれた場所をそう遠くまで移動することなく一生を終えていた。この国のすべてを把握できるようになって、たった100年ほどではないか。この国全体を把握して、なおかつその国を愛せなどという、それまでなかった概念が、多くの人々のなかに無批判に、土足で入ってきたのではないか。

それまでなかった概念が、いきなりこの国で根付いたのは、そもそも外国から入ってきた「知的権威」をまとった概念だったからではないのか。我々は、見知らぬ外国人から西欧の論理で「自分の国を愛するように」と言われたのではないのか。そのことに対して、どれほど自覚的だったのだろうか。

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