tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

戦後思想(1945-90くらいまで)の「本質」とは何であったのか

2006年01月03日 01時21分38秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
昨年の終わりくらいから、丸山真男の「超国家主義の論理と心理」(『現代政治の思想と構造』未来社 1964)を読んだ。体裁は、一つの論文でA5サイズの紙に18ページくらいの量である。日本ファシズムの研究としては非常に重要な論文であり、その文体もけっしてややこしいというものではないが、読み流すと論旨がつかめない恐れがあり、実際ここのところで手こずって、4回くらい読み直すハメになった。このくらい読んでも、本当に論旨を正確に把握しているように思えず、いつもの書評ではこのくらいでも、軽く流して書くのだが、今回はそれが出来なかった。

なんで今頃こんな本論文を読まなければならないかと言うと、戦後の思想空間におけるテーマの大半を占めていたのは「なぜあんな戦争が起こったのか」という疑問と、「資本主義にはアイソ付かしたからマルクス主義」の二本柱だった。その前者である「戦争=ファシズム」の研究がその後のナショナリズム研究の流れへつながるのだが、このファシズムの研究の原点とも言えるのが、丸山真男の研究の一角である。そして同時に彼の弟子筋、いわば「丸山シューレ」と言われる人々へ継承されるのだが、今日、本当の意味で、彼の「弟子筋」と言われる人で優秀な研究を行った(現在完了である、この弟子達の大部分も既に鬼籍に入った人が多い)人は、丸山とは異なったアプローチをかけている事が多い。本当はこの弟子達の研究の方が魅力的だが、その前に予習的な意味合いで、この師匠の研究も見ておこうと考えた事に始まった。

先の「丸山シューレ」は完全に大学のゼミのようなスタイルだったようだが、同時期、「個人個人で行っていた研究」スタイルを超えて、多くの人と一つのテーマを追いかける研究スタイルが確立した。その結果、「○○研究会」というのが雨後のタケノコのように設立された。

しかし、

こうした戦後の研究を見ていると、よくも悪くも集団で研究を行う「共同研究」というスタイルがあまりにも鬱陶しい存在に映ってくる時がある。行っている当人達はそれで良かったのかも知れないが、後々、その研究を参照する私たちにその人間関係や派閥、思想勢力の関係の予備知識や学習まで強要するのである。あの研究会は共産党系だとか、右翼的だとか、保守系とか。研究によって何らかのことを明確にするという目的以前に、組織の性格やイデオロギーが、自ずと問題や結論をゆがめたようにすら思える。そうでなくとも、こうした組織の性格や人間関係を念頭に置きながら、研究成果を読むのは非常に苦痛だ。

参加するにしても、個人的にはあまり感心しない研究方法でもある。それでも、大学院の時は、こうした研究会に無理にでも参加させられたし、研究の内容までごく一部の人間が規定する場面もあった。

それはさておき、昨日くらいから、久野収・鶴見俊輔・藤田省三『戦後日本の思想』(岩波同時代ライブラリー 1995)を読んでいると、戦後日本の思想の本質を語るように見せかけて、結局のところ、どこそこの研究会の主張がこうであって、そこには誰それがいて、誰それのお弟子さんがこういったみたいな内容を再確認しているだけの内容で、本当の問題がどこにあって、それに対する回答(あくまで一つの)が見えなくしている、あるいは複雑にしているように思えてくるのである。

1990年代も後半に入って、こうしたある問題の本質を追いかけるように見せかけた研究会を発足させ、その実、大学や派閥、主義主張を根底に置く人間関係の把握や確認といった形式を改めるという動きが出来てきたが、依然として上記のような研究会を理想とし、「ムラ社会」を形成するような研究会を作ろうとする研究者も非常に多い。

研究の方法と言う意味においてではあるが、おそらく戦後思想の最大の功罪であったのだろう。

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