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新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「愛こそがホドスだった」

2016年11月03日 | 聖書のお話

「愛こそがホドスだった」 コリントの信徒への手紙一 13章1~13節

 パウロは、教会の信徒が様々な役割を担うため、神さまから様々な賜物が与えられていると教えています。役割が違う、賜物も違う人の集まりですので、そのままでは派閥ができたり、争いが起こったりして分裂してしまいます。そうならないためには、「愛」によって結び合わされていることが大切であると教えています。考えてみれば、たとえ大きな賜物が与えられていたとしても、いつも上から目線で人に接していたとしたら、反発を受けたりするものです。一方で、忍耐と愛をもって接するならば、賜物の大小に関係なく良好な関係を保つことができるのではないでしょうか。

 パウロは、人間的な業や知識は廃れてしまうけれど、「愛」は滅びることなく永遠に残ると教えています。もしかすると、パウロにとって「愛」とは、人が考えるような思いやりとか優しさではなくて、「神は愛なり」と教えられているように、神さまから与えられた霊的な賜物、あるいは神さまそのものを「愛」を受け止めているのかもしれません。人間的な業や知識はやがて廃れてしまうものです。人間的な「愛」ならば、それと同じ道を歩んでしまうのかもしれません。私たちもまた、与えられた役割や賜物が違えども、神さまの「愛」の道(ホドス)を歩むなら、互いが繋がり、互いが助け合い、互いを必要とする存在となって、共に生きることができるようになれると思います。

 

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