月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

強制嫌嫌

2010年05月29日 22時19分37秒 | 仏々相念(住職日記)
永代経法要が始まりました・・・

今年も永代経法要をお勤めさせていただいています。
愛するあなたのおはたらきをいただき座らせていただきました。
それぞれがそれぞれに・・・

和やかなひと時が流れます。

息子が一緒にお勤めをしてくださいました。
強制することもなく、共に座って下さるのです。
娘もギリギリに帰って来るも急ぎ下陣でお手伝いして下さる。

息子のお念仏を聞かせていただきながら、有難くて涙が出そうになりました。
この子にはこの子の人生があり、懸命に生かさせていただいています。
辛いこと、しんどいこと、悲しいこと、やるせないこと、楽しいこと・・・
抱え込みながら尚、ひたむきに・・・

私は、息子に対して寺の跡継ぎとして接したことがありません。
すれば、なぜにお勤めさせているのかって言われるかも・・・
別にさせている訳ではなく、子どもの意思なのです。
私は何事にも「~しなさい」って言われてきました・・・
どれだけ嫌やったか・・・
自分の子どもには「~しなさい」は言わないと子どもであった私は決意していました。
これだけは、今も尚貫いていることです。
でも放任ということではなく、常に寄り添いながら過ごさせていただいているつもりです。
決して格好つける訳でなく、カッコ悪いまんま弱いまんまさらけ出し寄り添っています。

息子は息子の人生を歩んで行くでしょう・・・
命あればいろんな将来が開けています。
自分が進みたい道を歩めばいい・・・僧侶という道でなくてもいいのです。
ただ、自分の人生抱えながら壁にぶち当たり崩れそうになることもあるでしょう・・・
でも、そんなしんどさの中にもこのひと時を思い出す時があるかもしれません・・・
お念仏の優しさに出会うと又歩んでいける・・・
一人じゃないんだってね!

そこ思うと嬉しくて・・・
ありがとう、一緒にお勤めしてくれて・・・
私もがんばれるよ・・・                        

『トイレの神様』のはなし

2010年05月29日 02時19分49秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
あるテレビ番組で『トイレの神様』という曲を知りました。
植村花菜さんが実体験をもとに作詞され歌っている曲です。

子どもの頃からおばあちゃんと暮らしていた「私」。
おばあちゃんとの何気ない日常の暮らし・・・
笑ったり泣いたり傷つけたり・・・
そして家を離れた。
2年が過ぎ・・・
入院したおばあちゃんに会いにふるさとへ帰る。
「私」を待っていてくれたかのように、次の日の朝、おばあちゃんは亡くなった。

「私」はおばあちゃんが教えてくれたことばをずっと心に置いています。
一緒に暮らしている時も、離れてしまった時も、そして亡くなった今も・・・
おばあちゃんのやさしさとことばが「私」を育ててくれています。
今の「私」に、呼びかけ呼びかけ、はたらいてくださっているのです。

今、「私」とおばあちゃんは出あっているのでしょう。

そんな、やさしい歌でした。

最後に「おばあちゃん ホンマに ありがとう」と歌います。
そうだよね、「ありがとう」しかないよね。
おそくないよ、気づいた時に言えばいい・・・
だって、今があなたの御手の中。

『トイレの神様』・・・とってもいい歌に出あいました。