月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

霜月終了

2011年11月30日 00時00分56秒 | 仏々相念(住職日記)

いささか・・・

 

今年のお取り越しも何とか、何とかお取次させていただきました。

10月中旬が遠い昔のように感じます。

 

いろんな出会いをいただき、いろんな心を持ちながら・・・仏さまの前に座らせていただいた2カ月半。

嬉しく楽しいひと時もあれば、悲しく切ないひと時も・・・

ご縁をいただきお育てをいただいたことです。

 

ご縁・・・私を仏さまの前に引きずり出して下さるおはたらき。

 

今日、しんどさを抱えながら初めてお会いする若いご夫婦がお参り下さいました。

予め電話でご連絡をいただき内容等も聞かせていただいてのひと時でした。

奥様のお母さんの葬儀をされたのだそうですが、いろいろとあり相談に来られたのです。

内容までは書くことができませんが、私自身も住職として考えさせられたことです。

 

お話が一段落したので、お帰りになられようとするご夫妻に、「折角ですから一緒にお勤めをさせていただきましょう!」

阿弥陀さまの前に座らせていただきながらつくづく思うのです、「ご縁って有難いな~」って・・・

お会いしたこともなかった方々とお会いしたことのない方のご縁をいただいてここに座るのです。

往生されたお母さんがご縁となって下さり、私をここに引きずり出してくださるのです。

「私を縁にしてお前が座れ!」って・・・

余程コイツ(私)は罪深きモノであると感じることです。

私は、縁に触れなければ手を合わせる人ではありません。

手を合わせるどころか、握り拳を作ってばかりなのです。

そんな私を・・・そう思うと有難くて・・・

 

そのことを若いご夫妻とお味わいさせていただいたことです。

いろんなことを思われるのでしょうね、涙を流して下さる奥様の姿があったことです。

 

ご縁をいただいて仏さまの真ん前・・・

仏さまのおはたらきに気付かせていただきながら、安心して泣いていいんですよ!

「ワ~ン・・・」って大きな声で泣いていいんですよ!

「よう参ったね!偉かったね!」って優しく包んで下さる温もりに出会うことです。

 

沢山泣いて、いっぱ~い泣いて・・・また、願生ろう!

仏さまの願いの真っ只中に生き抜かさせていただきましょう!

 

師走ですね・・・報恩講に向けて走り抜けます!


弱々住職

2011年11月29日 19時30分33秒 | 仏々相念(住職日記)

弱々しかったけど・・・

 

お取り越しのご縁をいただいています。

何とか、ボツボツと・・・

 

お昼のご縁を済ませて、各御門徒の所へお参りさせていただきました。

「実は、悪かってね~。今は入院しているんですよ。」

お兄さんを案じおっしゃる妹さんと2人でのご縁となりました。

穏やかで明るいおじさんとおばさん、数年前より足が悪くなり御座にもお参りが出来なくなっていました。

でも、家に参れば会える、そう思っていたので余計に寂しく感じるのです。

姿・振る舞い・声・・・

仏さまの前に座りながら探してしまうのです。

おじさんが悪くなると身体の悪いおばさんも必然的に入所されました。

「寂しくなったな~」って次のお宅に・・・

「ごめんくださ~い!お寺で~す!今日はお取り越しさんのお参りをさせていただきま~す。」

いつもと雰囲気が違います、「あれ?おばさんは?」

「実はですね、足の手術をしましてまだ入院しているんですよ!」

「え~、そうなんですか・・・痛そうでしたもんね・・・」

ここでも会えませんでした。

年々、こういうご縁が増えてきます。

 

お斎をよばれていても、なんか寂しいのです・・・

「そうや!あのお婆ちゃんに会いに行こう!」そう思い立ち向かいました。

ここは坊守がお参りしていただいたところなので、私はお参りしてなかったのですが、ここに来てはしんどい心を癒していただいて帰っていたお宅です。

大好きなお爺さんは2年前にご往生なされており、お婆ちゃんも寝たきりとなっており20時間程寝る毎日と聞いていました。

入退院の繰り返しで偶々帰っておられたのです。

「今晩は~、お婆ちゃんの顔見に来ました。」

「よう来てもらいました。」って息子さんに迎い入れられ懐かしい御仏間に・・・

その部屋で介護なされておるのですが、久しぶりのお顔は穏やかに休んでおられました。

「おばあちゃん、お寺です!」そう言いながら顔を擦ると温かくて・・・

よう、ここにおって下さいました・・・

久しぶりにお婆ちゃんと一緒にお勤めさせていただいたことです。

お勤めの間中、「お婆ちゃん、起きんかな!住職さんが参ってくれたよ!お婆ちゃん・・・」何度もそう言いながらお婆ちゃんの顔を擦っておられる。

そう言えば、お婆ちゃんが起き上がるような・・・あの声がしそうな・・・そんな気持ちだったに違いありません。

現に、お元気であられた時には我が孫を迎い入れるようにして下さっていましたから・・・

涙です・・・

 

夜の御座、坊守はお通夜が出来そちらの方にお参りさせていただいたので一人でのご縁となりました。

お婆ちゃんの顔を見て癒されたものの、やっぱりしんどくて・・・一人ということもあったのでしょうが・・・

ご法話の後、御門徒がおっしゃるのです、

「住職さん、何か今日弱々しかったけどどこか調子悪いの?」

「いえいえ、大丈夫です!痩せたので衰えたように見えたのではないでしょうか!」

って言ったものの、しんどかったのです。

精神的にしんどかった・・・

 

来年は私がいないかも・・・

 

お取り越し、ラストスパートです!願生ります!


バンホーテンのミルクココアのはなし

2011年11月28日 21時32分19秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
夜のご法縁の帰り道…

今朝から頭痛もあり、少々疲れ気味…

自販機をみつけて車を止めて…

自販機の前では、いつもどれにしようかと悩むのですが、思いがけなく、バンホーテンのミルクココア(asahi)をみつけたので即決!

あたたか~いココアをひと口飲むと、ほ~っと疲れも抜けるようでした

昔、母が寒い冬のおやつに、バンホーテンのピュアココアにお砂糖と少しのバターを溶かして作ってくれたココアの香りを思い出しながらの帰路…

今日もいちにち暮れました

寺子屋~かわいいご導師さん~のはなし

2011年11月27日 21時50分01秒 | ふうわりふわり(坊守日記)

今日は日曜日
お昼から、いつもの子どもたちがお寺に遊びに来てくれました。

本堂に上がってピアノを弾いたりしていましたが、

「先生、あれやりた~い!!」
「あれって、なあに?」

ほら、あれあれ…と指差したのは、お経机と大キンがあるお導師の席

「あ~、お経読もうかね~」

今日はかわいい三人のお導師さんです

ゴーン、ゴーン(鐘をならす人)
ぶっせつ~あみだきょ~~う(調声の人)
コン(セッタクを打つ人)

「仏説阿弥陀経」を半分まで上手におつとめしてくれました

おつとめのあとは、おにごっこをしたり、お絵かきをしたり…

(これ、私だそうです!)


走って、笑って

おやつも美味しくいただきました

(フルーツパフェ、マロンブッセ添え)


阿弥陀さま…今日はにぎやかでよかったですね~♪





僧侶稼業

2011年11月27日 20時33分01秒 | 仏々相念(住職日記)

だれか・・・

 

今日の愛媛新聞「門」欄(読者投稿)に東温市の他宗の僧侶の方が投稿なさっていた。

時々投稿なされるお方で、主に今の寺の有様、僧侶の有様を厳しく指摘されている。

かなり前、ある会の発足の時同席したことがあるお方だと記憶するのですが、その時の会の雰囲気の最悪さにそれっきりであります。

今となってみれば、最初はゴタゴタするものだろうし続けていれば身にもなっていたかもしれないと思わないでもないのですが・・・

どこまでも面倒臭いことの嫌いな私なので・・・

 

「僧侶も楽でない 悩み聞いて」っていう題でありました。

玄侑氏(作家)の講演を聞かれたとか・・・

氏は、「今日の世情を憂い、その責任の一端は仏教にもある」とおっしゃられたそうです。

人々の宗教心が薄れ、その結果、悩み苦しむ人がおり自殺者も増えている現実・・・

 

確かに宗教心が薄れているよな~・・・

でも、決してない訳ではなく「生きる」上で都合よく解釈するのでしょう。

平生は「俺、無宗教だから・・・」って決め込んでいるが、

しんどいことが続くと良いことが起こるように神様に、死んでからは仏さまに・・・

受験になればここへ、出産になればあそこへ、病気になれば・・・

都合のいいように・・・そんな宗教心。

 

そんな時代に、さあ、私に何が出来るのだろう・・・

 

一度一度の仏縁をいただき、その時その時を一生懸命でお取次させていただいているつもりです。

自らの汚さもさらけ出しお味わいさせていただくひと時。

仏さまに包まれる喜び・・・

今、そこに出遇えたことの幸せ・・・

血圧が上がっているのでしょうか、身体に痺れを感じ、ただでさえ回らない口が酷く縺れることもありながらも、ここ聞いてほしいと口角泡飛ばす勢いの時もある・・・

泣けて泣けて涙が出て、法話どころの話じゃなくなる時もある・・・

私にはこれしかないのです、これしかできないのです。

共に、阿弥陀さまの前に座らせていただきながらお経さん聞かせていただく事しかできないのです。

「阿弥陀さまの前に座らせていただいてお経さん聞かせていただく時が一番ええな~」って恩師がおっしゃった。

私もそう思うからおもいっきり頷けた言葉だった。

そのこと以外に救われる道はないのですから・・・

 

「生きる」ということは綺麗事ではありません。

腹の中に汚いものをためながら、傷つき傷付けられて「生きる」のでしょう。

金銭、財産、地位、名誉・・・手に掴みそこに生きている証を感じようとする。

儚く消えてしまうようなものばかり追い求める。

「どうよ!俺、こんだけのもの掴んでいるから・・・」ってそこに安心を求める。

「生きる」ということはそうですから・・・

それら一つ一つが「生きる」手段であり目的なのですから・・・

無くては「生きる」ことはできないのですから・・・

 

ただ・・・何の為に「生きる」のかって言われたらどうする?

働いて働いて、歯を食いしばりながら壁にぶち当たって「生きる」

外面を飾って、良い人間演じて「生きる」

ボロボロになりながらも今日を「生きる」

家族の為、生活の為・・・自分の為・・・

止めどない、為・為・為・・・

そして儚く「生きる」ことを終える。

つまりは「虚しさ」の為に・・・

 

願わくばこの一生の内に仏さまと出遇えた喜びを感じて欲しい・・・

 

今ここに参っているこの方は、もうこれっきり仏教に触れることがないかもしれないということを前提に、

御門徒は勿論のこと、あらゆる方々が仏法聞こうって思える環境を仕立て上げるべく、僧侶は全力で一度一度のご縁をお勤めさせていただかなくてはならないのでしょう。

「あれいけん、これいけん」と言いながらいろんな事を指摘する住職の話も聞いたりするが、「先ずいけんのはあんたですから」と思ってしまいます。

まずは手を合わさせていただいた喜びからでしょう・・・

真剣に聞いていただける環境になれば、一つ一つ味わっていけばいい話です。

 

とは言うものの、儀礼的に終わってしまっているご縁の多さ・・・

これも「生きる」ことの手段なのでしょうか・・・

口角泡飛ばし話したことも聞き入れられず、

「あ~、これで先祖さんも落ち着かれたから安心安心。災いが来ることもないでしょうね。騒がれたら大変ですから・・・」なんて思いで・・・

俺が「生きる」ためにジッとしとって・・・

 

私の中ではどこまでも自分がご縁をいただいてよろこばせていただくひと時。

決して「お勤めしてやっている」なんて自惚れみたいなものは一切ありません。

だから、人がどう思うともいいようなことではありますが、真逆なことをおっしゃられるとしんどくなります・・・正直なところ。

「さっき言ったでしょ・・・」って。

 

その文の最後には、「世は今また新たな末世で混迷している。その中でお坊さんの悩みも増えている・・・お坊さん稼業も楽ではない。私の悩みも誰か聞いてくれないだろうか。」

正直なところでしょう・・・

最後だけ妙に頷けてしまいましたが、この方の悩みとは何だったのでしょうか・・・

悩み苦しむ方々の力になれない現実なのでしょうか・・・

それとも・・・自分の「生きる」が見えてしまうのでしょうか・・・

 

今日も「生きる」ために外面を飾る自分がいます。

この自分を抱えながら仏さまの前に座らせていただきます。

優しく微笑むあなたの前に座らせていただきます。

 

涙が出ます・・・一緒にいて下さってたのですね。