バタバタと,忙しい毎日をおくるあちき。
いやあ,情けない。
もう少し,計画性があれば,こんな事態にはなっていないのでござろうが・・・。
このご時世,仕事があるだけ幸せかもしれないでござるね。
さて,ちょうど先週の土曜日,
長崎の呑み屋の裏道を撮影した同日に撮影した唐人屋敷でござる。
長崎は「異国情緒あふれる街」と云われるが,
その多くが,西洋風建築と思われていないでござろうか。
じつは,中国の文化もいっぱいいっぱい溢れている街なのでござる。
なんか可愛い入り口でござるね。
ココは「土神堂(どじんどう)」でござるね。
土神と云うのは土を司る神のことでござるね。
1691年に建立され,その後,1784年に焼失。
その後,架橋たちによって,改修保存がなされたのでござるが,
老朽化により,昭和25年に解体,
今のモノは昭和52年に長崎市が復元したモノだと聞いているでござる。
土の神でござるが,唐船の船頭達が建立の許可をもとめたそうで,
歴史や宗教に疎いあちきにとっては?でござる。
建物のサイドにまわる。
お風呂屋さんでござるね。
長崎市のお風呂屋さんは随分減ったでござるよ。
中国風で面白い。
この辺りは小さな商店が軒を連ねる。
坂段をつかった市場が観られる。
古い建物らしきモノがこの辺りにはたくさんある。
福建会館でござるね。
明治元年に福建省泉州出身者によって創設された旧ハビン会所だそうでござる。
媽姐(まそ)神を祀る唐寺で,明治30年に改装され,「福建会館」と改称されたのでござる。
どうも,本館の建物は原爆で倒壊したそうで,正門と天后堂のみが残っている。
ここまで,原爆の被害があったのでござるね。
媽姐神は,菩薩や天后聖母などとも呼ばれていて航海の守り神でござる。
孫文殿の銅像でござる。
天后堂でござるね。
失礼します・・・。
観光客は誰もいないのでござる。
媽姐神でござるね。
外にまわってみる。あれは,何だろう?
なんか,こう云うの好き。
正門の上,何だろうあれは?
見にくいかな?顔でござる。
観音堂の入り口。
このアーチ部分は,唐人屋敷時代のモノだとか。
1737年に建立された寺で,この建物は,大正6年に,華商の鄭永超が改築したものだそうでござる。
本堂には,観世音菩薩と関帝が安置されている。
なんだか,だんだん中国にきている感じがするのでござる。
って,云っても,中国には行ったことがないのでござるが・・・。
「天后堂」でござる。
天后(てんこう)とは,聖母?えっと媽祖(まそ)のことでござるが,
この辺りには,それを祀った堂が2カ所あるわけでござる。
最初は,「?」でござった。
下の方は煉瓦造りでござるが,
上の方は木造でござるね。
これは面白い。
煉瓦を観ると,新しいモノも多いようで,
修復を繰り返しているように見える。
こんなのもあって,かわいい。
お堀と石橋。
昔は,堀で囲って隔離していたわけでござるね。
さてさて,1時間足らずの撮影でござったが,
ちょっとした旅行を味わった気分でござる。
今度は,十人町の方に足を伸ばしたいところでござるね。