今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・奥秩父 十文字山、悪石(十文字峠から三国峠)

2012年11月23日 | 山登りの記録 2012
平成24年11月18日(日)
 十文字山2,071.9m、悪石1,849.8m
 
 冬型になって高い山は皆雪が積もっている。土曜は雨、日曜は冬型の晴れという予報だ。今回は県内の北部を予定していたが、県北は雪か雨の予報なので、奥秩父に変更した。今年これで3度目の毛木平からの登山とする。以前から十文字峠と三国峠の間を歩いてみようと思っていた。この区間には十文字山と悪石という2つの三角点ピークがあるが、目立つピークの弁慶岩と梓白岩にはルートも無く一般的には登れない。奥秩父の最も端っこの地味なルートなのだった。今年の1月に毛木平から赤沢山のピストン、6月にはミズシを経由して東梓までのピストンと、これ以上無い地味なコースで毛木平から往復したが、今回も前2回に負けないくらいの地味なルートでの周回だ。多分登山口はともかく、山中では人に会うことも無いだろう。

 土曜の夜に家を出て川上村に向かう。夜の10時に毛木平の駐車場に着いた。5台くらい車が停まっているが、全て空の様だ。土曜に登って、甲武信小屋か十文字小屋にでも泊まっているのだろう。日曜の日帰りもやって来るのだろうが、この時期、ほとんどは千曲川源流経由での甲武信岳の往復に違いない。外気温は-2℃、とうとう本格的に冬だ。1月に赤沢往復の時は-10℃だった。直ぐにシュラフに潜って眠りに就いた。

 6時過ぎに起きる。駐車場には3台ほど相次いで車がやってくる。パンを食べて準備をしている間に、出発していく人たちの姿を見る。寒いのでパーカーを着て6時45分に毛木平を出発した。千曲川源流に向かう道を行き、直ぐ先で左に十文字峠方面に折れ新狭霧橋を渡る。すっかり落葉した周囲はもう冬枯れの様相だ。赤いお掛けをした一里観音(エアリアでは五里観音)を見てから沢沿いにしばらく登り、ジグザグを切って尾根に乗る。振り返ると蟻ヶ峰が遠くに見えている。落葉松はコメツガの森に変わり、次第にきつくなる登りでどんどん高度を稼ぐ。1月に歩いた時は、10cm程の雪が積もった冷え冷えとした道だった。今朝も氷点下だが、雪も無く坦々と登り、木々越しに三国峠辺りの山並とパラボラアンテナが見えると、間もなく八丁坂の頭に8時12分に着いた。ここからは、朝日が差す明るい尾根を絡むように緩い登りが続く。この辺りはまた落葉松林で、木々を透かして三宝山の丸い山体がシルエットで高く見える。8時35分に十文字峠に着いた。

 1月に来た時より更にシカ避けのネットが辺り一面に張り巡らされていて、鳥屋場にでも居るようだ。十文字小屋からは煙が立ち昇っているので、まだ管理人が居るのだろうか?小屋には寄らず、両神山など埼玉側の眺めをちょっと見て、三国峠と指し示された十文字山への道に進む。丁度ぼくの後から登ってきたのだろう、八丁坂方面から単独ハイカーさんがやってきた。十文字山へは踏み跡がやや薄いコメツガの登りで、急な上りを一段登ってから傾斜が緩んでしばらく尾根を進んだ先が山頂だった。三等三角点がぽつんとあるコメツガの樹林の中で、眺めは無い。十文字山と書かれた標柱に方面標識が付いていた。9時丁度に十文字山頂に着いた。ここで一休み。気温が低い上に風が吹いていて寒いので、毛糸のウォッチキャップを被る。ここから三国峠方面には急角度で下るようになっている。

 9時16分に十文字山を下る。150mくらいコメツガの薄暗い下りを降りていく。埼玉県側は崖になっている所が多く、右手は注意が必要。木が茂ってはいるが、のぞき込むと縦走路と下の斜面はかなりの高度差があるから落ちたら終わりだ。両神山や上武国境のぼこぼことした山並、大山・赤沢山から白泰山への山並が木々の向こうに見えている。下りきったところからちょっと登り返した藪の岩頭に「のぞき岩」の標識が立っている。シャクナゲ薮を掻き分けた先で、その岩の上に出る。9時46分にのぞき岩に着いた。のぞき岩の上からは、先程まで木々越しだった景色が目の前に見事なパノラマで広がった。埼玉・群馬県側はここが、長野県側は悪石手前の小山の岩場からがこの日一番の展望台だった。のぞき岩から行く手を見ると、遠くに樹林から角の様に突き立っている岩峰が見える。これが弁慶岩で、その先には梓白岩も小さく見えていた。もう十文字山は後ろにかなり高く見え、その向こうに丸いコブを載せた様な大山が更に高く、三宝山は既に見上げる程になった。

 のぞき岩からも、埼玉県側はずっと崖になっている。樹林で眺めの無い稜線を進んで行く。相変わらず風が冷たく、長野県側の木々を透かして見えるハズの八ヶ岳は雪雲が被っていて見えなかった。中腹辺りにも雪が白く見えている。直ぐ向かいには弁当箱を載せた様な五郎山が近い。稜線は痩せた岩尾根状になったり、シャクナゲ薮の切り開き道になったりして緩い上下で続き、目の前を塞ぐように弁慶岩の岩峰が立ちはだかった。ここは長野県側を桟道で巻くようになっている。10時46分に弁慶岩基部に着いた。

 弁慶岩の北面は完全な岩壁で取り付く島も無いが、東側に巻ききると、東面は薮と岩が混じった岩稜になっている。今日はザイルも持たないし、弁慶岩に登ろうとは思っていなかったが…。ここからならちょっと登れそうな雰囲気だ。シャクナゲや潅木薮を漕いで岩を木掴みで登っていく。一段登るとルンゼ状になり、そこを登ると、コメツガの矮樹が南側にびっしり張り付いた岩稜になる。南に回り込んで、このコメツガ薮を登っていけばそのまま岩の頂上に繋がっているので登れそうだが…。ちょっと登ってみたが、岩に生えたコメツガ薮はかなり手ごわかった。びっしり茂ってその中に入ると前も後ろも見えなくなる。足元は岩で、木があるとはいえ傾斜もかなりのものだ。無理して危険な登りをするのは止めて降りた。少し先の稜線から振り返った弁慶岩は、コメツガ薮とむきだしの岩の境目辺りを登れば容易な感じだ。下りを考えれば、まあ、ザイルが無くてはやはり危ないだろう。20mの補助ロープ程度でも充分かな。

 弁慶岩からも同じ様な痩せ尾根や、薮ピークの上下が続く。一箇所だけ、電力会社の巡視路にあるような鋼管製の立派なハシゴ階段が付いていた。行く手に薮を透かして白い岩峰が見えてきた。弁慶岩より更に突き立った岩峰の梓白岩も長野県側をかなり下って巻いていく。北面は、見上げると首が痛くなるほどの岩壁で、白いのは石灰岩のせいだ。ここも東に回りこむと南の埼玉県側は薮岩の稜線が上まで続いている。ここの方が稜線も痩せて、木が生えているとは言え、上までの斜度もきつく、西上州のバリエーション並みで侮れない雰囲気。弁慶岩の方がまだ登るのは容易な感じがした。しかし、弁慶岩も梓白岩も頂上に続くような踏跡やマーキング・テープ類は無かったから、上まで登っている人は少ないのだろうと思う。

 梓白岩を11時55分に通過。このルートは十文字山から足場に気を遣いながらの歩行が多く、意外に時間が掛かっている。梓白岩を過ぎると痩せた稜線や岩場も無くなり、稜線には笹が出てきて幅も広くなり、雑木や落葉松が混じる明るい道になった。緩い上り下りで、のんびりとした道になるが、なかなか悪石までは遠い。悪石の2つ手前の小山は北側が岩場になって、ここは川上村側の素晴らしい展望台だった。眺めの良いここでお昼タイムとする。湯を沸かしカップラーメンやみかんを食べた。直ぐ下に高原野菜の畑が広がりパッチワークのように見える。その向こうに五郎山の稜線が下り、更にその向こうに小川山の稜線が落ちている。ここから眺める山々で登っていない山もほぼ無くなっている。雨降山や長峰、大原平の頭などマイナーなピークも懐かしい。大原平の頭の下に砲弾の様に立っている岩峰は、大原平の頭と間違えて登った無名岩山だ。蟻ヶ峰から男山や天狗山に続く山並の向こうには雪雲に隠れた八ヶ岳の裾が白く見えた。

 お昼タイムの後13時6分に歩き出し、2つ程小山を越えた先のピークが悪石だった。悪石山頂には13時26分に着いた。樹木や萱に遮られ先程の岩場の眺めには及ばない。三等三角点と方面標識が立っているのを確認し、直ぐに悪石を下る。落葉松の山並の先に三国山や蟻ヶ峰が近づく。三国峠手前の白いパラボラアンテナは直ぐそこに見えてきた。稜線は南に向きを変え、疎らな木々に南西側の眺めが良くなる。三宝山や木賊山が高く見える下に、歩いてきた十文字山等の山がうねうねと延びている。赤沢山や白泰山の稜線はここからは正面に良く見えた。両神山や赤岩岳の南には秩父の市街も遠くに霞んで、武甲山も確認できた。稜線はまた東に向きを変え、落葉松林に立つパラボラアンテナに13時46分に降りた。アンテナ塔は近くで見ると高さ30mはあるだろうか、かなりの大きさだ。ここで登山道はパラボラアンテナ中継局の管理道路に下って終わった。

 管理道路を200mも行った先が終点の三国峠だった。反対側からは管理道路に下りるように標識があったが、ここには管理道路ではなく稜線を歩く登山道の入口に十文字峠と書かれた標識があった。どちらを取っても、パラボラアンテナの所で一緒になる。冷たい風が吹く三国峠(正しくは新三国峠というらしい)はすっかり葉を落とした落葉松山を切り通した殺風景な所だ。「中津川方面落石のため全面通行止」と書かれた看板の他、「悪路走行注意」と書かれたもの等、新しい看板類が幾つもあり、今は車もやって来ないし人の気配もしなかった。ここに来るのは蟻ヶ峰に登った時以来だから7年振りになる。トイレや東屋や看板類は新しくきれいになっていた。川上側は幾分広く整地されて眺めも良くなり、落葉松林の高原の風景が広がっている。埼玉県側は両神山や赤岩尾根が間近に迫り、幾重にも襞の様な山並みの向こうには秩父の市街が霞んでいる。向こうとこっちでは全く異なった眺めだった。埼玉側の通行止め看板の前で大福やおかきを食べて小休止。しかし、休んでいるとやはり寒い。ここから毛木平までの道路歩きが2時間はかかることを考えると、日が短いこの時期は余りのんびりもしていられない。14時13分に腰を上げ三国峠を後にする。

 ここで、登る前から帰りは道路を適当にバイパスして降りようと思っていたので、2万5千図を広げて降りるルートを探り、三国峠を下る道路から直ぐに落葉松の植林斜面を真っ直ぐに降りていく。植林された落葉松林の傾斜はきついが、藪もなく降りるのは容易だ。2回ヘアピンした下の道路まで一気に下った。しばらくは道路を歩いて、再びバイパスするつもりで、やや薮がちな二本木沢への斜面を下りたが、これが失敗だった。下りついた沢は直ぐに岩棚状になって降りられなくなった。ここをシカの糞が落ちているケモノ道を拾って左の尾根に逃げたところ、尾根の末端は更に厳しい岩の断崖になって降りられない。仕方なく尾根を逆に上り返して、適当な所から西側の二本木沢支流に向けて落ち葉が積もった物凄い急斜面を降りた。途中岩場が枯葉の下に隠れていたりして、滑り降りる靴を弾かれ少しスリップしたが、どうにか二本木沢支流に降りた。地図では本流に合流し黒谷沢橋まで続く破線と実線の道記号がある。沢に下りて振り返ると稜線に見える白いパラボラアンテナは既に高い。西に見上げる台状の悪石ピークとの位置関係からして、ここが道のある二本木沢支流には間違いない。しかし、沢を右に左に飛び石で渡り、薮を巻いたり、落葉松の伐倒木を避けながら下っていくが、地図にある沢沿いの道はとうとう現れなかった。途中何箇所か昔の林道の形跡が残って居る所(古い縁石の石積み)もあったが、黒谷沢橋に辿りつくまで結局道など既に消失して無くなっていた。結果的にはバイパスするつもりで、わざわざ危険な沢下りや岩場のへつり等で時間が掛かり、道をちゃんと下りた方がずっと早かった様だ。16時2分に黒谷沢橋まで無事に降りてほっとした。正面には傾いた陽がもう赤くなっている。

 道路を降りずに適当にバイパスしようと思った時、降りられずに詰まった岩記号のある尾根は、ここは避けるべき所と計画の時に地図を見て考えていた場所で、既に織り込み済みだった所だ。三国峠から二本木沢に記載されている道記号を安易に信じたのも悪かった。結果的に何も無かったから良いものの、一つ間違えば岩場で転落も有り得なくも無い。現場での地図読みの適当さに加え、何度も痛い目に遭っているのに、地図の道記号を安易に信じたのも今回の反省材料だ。

 黒谷沢橋から先の日本基橋(にほんぎばし)で千曲川源流を渡ると、高原野菜の圃場になる。シカ避けネットを張り直している農家の人が作業していた。ここから夕暮れの迫る千曲川沿いの旧道を毛木平に向かう。シラカバ林が寒々とした道を延々と歩いて、弁当箱の様な五郎山がシルエットで見えた。夕暮れに青く沈む毛木平の駐車場に16時48分に戻ってきた。今しも、駐車場を後にする車が一台だけで、駐車場にはもう僕の車しか残っていなかった。車は早くも霜で白くなり、気温は-1℃まで下がっている。靴を脱いで支度をして薄暗くなった毛木平を後にした。

 帰りはこの方面の定番になっている海ノ口温泉の和泉館に寄って行く。本当なら汗もかかなかった寒い山で、最後の迷走では汗をかいてしまった。何時もながら、温泉は今日も貸切状態だった。熱い湯に一人きりで浸り、芯まで良く温まった。やや寂れた旅館で客も少なく、来る度にもう無くなっていないかなあ(失礼)と心配になるが、ここのお風呂は最高だ。入浴後は、佐久で夕飯を食べて帰路に着いた。

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2 コメント

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奥秩父というより西上州に近いですね (ノラ)
2012-11-23 11:37:08
あさぎまだらさん こんにちは。今日は朝から雨であいにくです。記録読むと奥秩父というより西上州に印象が近いですね。薮岩がぽつぽつとあって落葉松林が現れて。
三国峠は埼玉側は通行止めですか。地図にある破線は実際の道が無くなっている場所が多いですね。三国峠近くから降りる破線なんて誰も利用しなくなって相当の年月がたつのでしょうね。地理院も破線を消せばいいのにとおもいます。さてこれから小山でやってる山部さんの標石拓本展覧会に行ってきます。
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破線道 (あさぎまだら)
2012-11-23 12:58:00
ノラさんこんにちは。
こちらは雨は降っていません。曇りです。
おっしゃるとおり、すぐ反対側は西上州のエリアですから奥秩父というより薮岩の西上州の延長みたいですね。
地図の破線記号は昔の調査結果がそのままになっているんですね。国土地理院は航空測量や機器での地図精度は上げていますが、現地調査はほとんどしなくなっているのでしょうか?経費がかかりますからね。現地情報は現地の自治体に照会して確認するシステムでも作らないとこの状態は改善されないでしょうね。
はっきりいって山岳地帯の道記号は全く当てになりません。
標石の拓本展覧会ですか、山部さんも独自のジャンルを開いていきますね相変わらず精力的です。
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