今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・七面山

2012年12月03日 | 山登りの記録 2012

平成24年11月25日(日)
 七面山1,982.4m、希望峰1,980m

 前日は夜7時くらいにシュラフに潜って寝てしまった。6時に起きると、素晴らしい快晴。車の外に出て北を見ると間ノ岳や農鳥岳が白く見えている。川沿いの道の脇にある広い駐車場の隅に車を停めていたが、朝になって隣に一台車がやってきた。ここは七面山の表登山口の羽衣集落の外れだ。周辺には普通の民家は無く、みな七面山登山者の宿ばかりが一塊建っている。登山口は直ぐ上にあり、登山口前の駐車場には10台くらい停められるが、多くはこの広い駐車場に停めている様だった。しかし、もうこの時期、連休といはいえ10台程度の車しかここには停まっていない。

 朝の冷え込みはそれほどでもない。むしろ今日は風も無く、穏やかな小春日和といった感じだった。支度をして朝からロールケーキを食べて紅茶を飲む。隣の人も登るらしく支度をしている。6時40分に駐車場から歩き出す。周囲は丁度紅葉が見ごろで、黄色の強い素晴らしい彩りだった。S字状に坂道を登ってここで一番大きな春木屋旅館の上に出る。右手に回り込むと、そこが表登山道の入り口で、6台くらい車が停まり支度をしている人も見られた。石畳の登山口には左右に石灯篭があって『元丁目』の表示がある。ここから山頂下の奥の院であるお寺、敬慎院までこの石灯籠があり、敬慎院は50丁目に当たる。敬慎院からが本当の登山道といった感じで、そこまでは参詣道といった様子だった。

 登山口には七面山を案内する大きな絵看板があり説明が書いてある。6時50分に登山道を登り始める。道は階段状で30丁目くらいまでは同じ様なジグザグの道が続いて、2回ターンすると丁目の石灯篭があるといった感じで、ずっと急な登りが続いて行く。登山口の直ぐ上にお休み場兼売店の二丁目「神力坊」があり、この様な「坊」という名前の茶店とも言える休憩所が途中、十三丁目に「肝心坊」、二十三丁目に「中適坊」、三十六丁目に「晴雲坊」と建っていた。それぞれの丁目灯篭付近にはベンチもあり、お休み場だらけといった感じで、およそ普通の登山道という雰囲気とは異なっている。

 登り始めて十丁目辺りになると、上から続々と降りてくる人たちとすれ違う。前日に登って昨夜頂上の敬慎院に泊まった人たちだ。敬慎院は宿坊にもなっていて信者ばかりではなく普通の登山者も泊まることができる。降りてくる人の多くは普通の格好をしているが、「おはようございます、ご苦労様です」と必ず「ご苦労様」が語尾についているので、皆さん日蓮宗の信者さんの様だ。子供や老人も多く、もちろん白装束で太鼓を鳴らしながら南無妙法蓮華経と、お念仏を唱えている「なになに講」の一団も数は少ないが居るのだった。そんな訳で、普通の登山道とは随分雰囲気の違う山なのだった。

 二十五丁目付近まではとにかく急なジグザグで単調な登りだったが、少しずつ斜行したり緩く長い登りが続いたり、三十丁目付近からは眺めのある所も出てきたりして変化が出てくる。錦秋の彩の山々を見下ろし、川向かいの稜線には身延山の山頂も見える。北に見える富士見山の向こうには、真っ白な北岳や間ノ岳が見えた。毛無山の向こうには富士山も見えてきた。山頂部が上に見えるようにもなってくる。

 二十五丁目辺りでは、敬慎院が五十丁目とすると上のお寺まででも、まだ半分しか登っていないと少しがっかりしたが、三十丁目を過ぎると急に早く感じて、何時の間にかもう四十丁目になっていた。朝日にまぶしい富士山が木の間越しに見え、階段状では無くなり、緩い登りになると真新しい山門の前に出た。立派な山門だがつい最近建て替えられた様だ。寄進された人々の名前が書かれた石碑が山門から先の両側にずらりと並んでいる。四十六丁目『和光門』と書かれていて、ここからが宗教上の七面山頂上部という事になるらしい。門の向こうは一直線に緩く下り、その先にはまた門と鐘楼が見えた。鐘楼の隣に浄水があり、水を飲んでそのまま左に折れると、そこが富士山を正面の大展望台で、四十九丁目に当たる随身門の前だった。10時10分に随身門着。門を下った先に敬慎院の建物が見える。しばらく写真を撮ったりして景色を眺め、10時23分に山頂に向かう。

 門の左手に頂上への指示がある。直ぐに広場になって荷揚げリフトの終着場があり、そこから落葉松に笹の下生えの道を進むとナナイタガレの縁に出た。凄まじい崩壊斜面が頂上のすぐ下から一気に下まで大きな薙になっている。落ちないように気をつけながら写真を撮ってまた上に向かう。頂上へはこの崩壊薙沿いに少し登ってから右手に逃げてジグザグにしばらく登る。尾根の末端からは稜線の西側に回り込んで、細いシラビソの薄暗い登りになるが、樹床は多分昨夜あたりに降ったと思われる雪が薄っすらと積もっていた。

 薄暗いシラビソの森を抜けると、ようやく平坦な広場に出てそこが七面山の山頂だった。11時4分に七面山山頂着。途中で少し休んだのを入れて約4時間の登り、まあ普通のコースタイムというところだった。残念ながら、七面山の山頂は高いシラビソや落葉松に囲まれて全く眺めはなかった。縁の欠けた三角点があるが、肝心の部分が欠けていて何等かは分からなかった。山梨百名山の標柱と、他にも大きな山名標識が立っている。石で組まれた台座に古い立派な展望表示盤がある所を見ると、かつてはここに示されている様な眺めがあったのだろうと思われるが、周囲の木々が延びて今は全く眺めが無くなっている。平坦で結構広い山頂の片隅に場所を取って腰掛けた。着いた時は誰もいなかったが、しばらくすると4、5人の人がやってきた。湯を沸かしてカップ蕎麦を食べた。思ったよりきつい山で結構疲れた。

 前後して登っていた人達が次第にここに到着する。11時33分に頂上の先の展望峰に向かう。この時点では下調べが足りなくて先に展望の良い所がある事を知らなかったのだが、後から到着した2人の人がちょっと山頂で休んで、引き返さずに先に進んでいったので、もしやと思って後を付けたのだが…。七面山山頂を下ると、細いシラビソが密生した森を道は緩く蛇行して凹地に降りた。水は枯れているがそこが三の池という名前の池らしい。凹地から緩く登り返す。七面山の山頂部は幅広く二重三重の稜線になって複雑だ。そこにびっしりと細いシラビソが茂って見通しも利かず、道が無ければRFが難しそうな所だ。ここから馬蹄形に連なっている雨畑川を挟んだ反対側の、かつて登った白峰南嶺の青笹山への稜線を思わせた。その稜線が細まり、木の根が露出した登りになると、西側に木々越しの眺めがあるようになった。その高まりを登りきった所は西側を遮る木もなく、目の前に素晴らしい眺めが広がった。枯れたコメツガの幹に『1980m希望峰』とプレートが付けられていた。11時51分に希望峰着。

 希望峰の一つ先の岩場には、先行した2人が休んで食事中だった。ここからは真下の雨畑川を挟んで正面に笊ヶ岳と布引山、青薙山等の白峰南嶺の山々がずらりと並んでいた。その山並みの向こうには、南アルプスの主稜線の山々、上河内岳から聖岳、悪沢岳、塩見岳、白峰三山等が真っ白な頭を出していた。全く見事な眺めだ。これを見ずして七面山は下れないだろう。それくらい見事な眺めだった。特に目の前の笊ヶ岳や青薙山から青笹山の稜線は、懐かしく思い入れのある山々なだけに、嬉しさもひとしおだった。しばらくは、ただもうそれらの山々を愛おしくぼーっと眺めていた。白峰南嶺や深南部の山々も、ここのところちょっとお休みで、しばらく登っていない。こうしてまた山の姿を見てしまうと、また俄然登りたい憶いがふつふつと湧き上がるのだった。

 希望峰での眺めを堪能し、12時16分に七面山に引き返す。ピンと来て2人を追って良かった。七面山頂に戻って来ると、また後から到着した人が3人ばかり休んでいたが、案外山頂までやってくる人は少なかった。そのまま山頂を下る。

 随身門前からの相変わらず見事な富士山の眺めを目に収めてから敬慎院に降り、建物などをしばらく見物する。建物を修繕している老人が一人居るだけで、陽を浴びて暖かい境内は、他に人も居なくてひっそりとしていた。こんな高い山の上に良くもまあ、こんなに立派な寺を作ったものだ。宗教とはそういうものなのだろう。北の外れまで歩いて裏登山道の道を確認する。頂上の寺の敷地内だけで使っているトラック等の車両が置いてある車庫があった。もしかして、関係者だけが通行できる秘密の林道でもあるのかなと思ったが、そうではなく、この境内の敷地内だけで使われているものらしい。除雪車両まであったが、車はみなナンバーが付いていなかった。

 門を出て再び浄水を口に含み、1時25分に四十六丁目和光門から一気に下っていく。四十丁目を過ぎてどんどん降りていくが、もうこの時間では登ってくる人もほとんど居ない。朝方、2丁目付近で太鼓を叩きながら降りてきてすれ違った若いお坊さんと、他に同じく太鼓を叩きながらの白装束の一団が登ってきたくらいで、降りている人も少なかった。少し急いで足早に下り過ぎていたのだろう。1,500m近い標高差のある山だ。足も疲れていたのか、三十丁目付近の何ということもない所で、思いがけず小石に足を取られ、這いつくばるように前のめりに転倒した。思わず着いた左手の、その握り拳の上に左胸を打ち付け、右の肘は石に打ち付けた。左胸の肋骨の辺りに激痛が走り、しばらく息が付けなくなった。一瞬骨が折れたと思った…。下に降りた頃には幾らか痛みも収まったが、その後痛みがぶり返し、1週間経った今も左胸がかなり痛い。体を動かすと痛く、咳やくしゃみでは激痛が走る。特に腫れもないし内出血もしていないから、骨が折れてはいないのだろうが、あるいはひびくらい入っているのかもしれない、トホホです。当分この痛みが収まるまでは山はお休みだろう。

 痛いのを堪えてどうにか、3時に登山口まで下った。すぐ目の前にある白糸の滝は紅葉の山肌を落ちていて美しい。周囲の山々も丁度見頃の紅葉真っ盛りだった。人も少なくなり、車に戻って支度をして七面山登山口の羽衣を後にした。帰りは市川三郷町で食事をし、『つむぎの湯』に寄って汗を流した。この時点では胸の痛みも少し落ち着き、温まったら却って良くなった。つむぎの湯も、昨日の『かじかの湯』と同じ様な日帰り温泉で、特記すべきものもない普通の日帰り温泉だった。入浴料が400円と安いので、こちらの方が幾らか良いかな?入浴後は、山梨を後に来た時と同じく佐久経由で帰路に着いた。夜10時頃には帰宅できた。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
信徒が多かった山でした (ノラ)
2012-12-03 22:28:10
あさぎまだらさん こんばんは。調べてみたら,私が行ったのは1993/10/3でした。裏参道を登り4時間半かかり,表参道を降ってます。最後は時間が足らなくなってタクシー読んで駐車場まで戻ってますね。残念ながら希望峰には行ってません。おそらく知らなかったのだと思います。二等三角点は既に一角が欠けていたようです。すれ違った信徒さんは数百人単位のようなことが書いてありました。大ガレからの展望は凄かったようです。でも今となっては何も覚えてません。写真を探してみます。あさぎまだらさんの記録によれば随分展望がありますね。標高差は北岳並みだったみたいです。
打たれた胸は大事にされてください。山は逃げませんから。
返信する
静養中?です (あさぎまだら)
2012-12-04 00:02:13
ノラさんこんばんは。
お陰様で、激痛は収まりました。まだ痛いですが、大事には至らなかったようです。来週は登れるかな?っていう程度です。
裏参道の方が段差が少ないとガイドブックにありますね。信者さんは表から、一般登山者は裏からが多いのではと思います。希望峰は七面山から山伏までの稜線唯一の展望スポットらしいです。ということは、その他ではあまり眺めは望めないということのようです。
山伏から八紘嶺の往復もそのうちにと予定していますが、そんなことから展望は期待できないようです。
随身門前と大がれは富士山方面の展望が良いですね。ぼくとしては、白峰南嶺の展望がぜひとも見たかったので、希望峰の展望は本当に満足でした。
標高差1,500mというとかなりのものですが、それ程には感じませんでした。
返信する

コメントを投稿