今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・男鹿岳

2012年11月09日 | 山登りの記録 2012
平成24年11月4日(日)
 栗石山1,701m、男鹿岳1,777m

 早くも11月になった。秋山の予定も思う様にはこなせない。今週末は本格的な寒気が入って冷え込むという予報だ。土曜は夕方から仕事の用事があり、それを済ませてから夜の7時過ぎ、仕事帰りに途中で食事を済ませて、風が冷たい夜道をそのまま山へと向かった。

 今回は、急に思い立って男鹿岳に登ることにした。近くには那須連山というメジャーな山域があるが、男鹿山塊はあまり目立たず、非常にシブイ。男鹿岳は男鹿山塊の主峰?とはいえ、最高峰の大佐飛山や日留賀岳、鹿又岳など、周辺の山の方が標高は高い。道の無い薮山なので、普通は残雪期に登る様だが、あるいは栃木県側からだと塩那道路を延々と、福島県側からも大川林道を10kmばかり歩いて、藪漕ぎをすれば雪が無い時期でも登れるらしい。栃木100名山や300名山にもなっているので、それがために登る人は多い様だが、ぼく的には、そんなことはどうでも良いし、札所巡りのカウント登山には興味も無い。

 この山域では日留賀岳に若い頃登っているだけで、憧れの大佐飛山すらまだ登ってはいない。大佐飛以外は、長い林道歩きが山登りの大半を占めて面白みが少ないというのも今までこの辺りに登っていなかった理由だった。会津ではオガ、栃木ではオジカと呼ぶらしいが、この時期に登る人も多くは無いだろう。この寒波に新雪が積もっているかもしれない。ならば、余計に静かな山に間違いない。そんな事を考えながら会津に向かった。

 山王峠を越え、『道の駅たじま』で、いつものようにちょっと一休み。今日はここから登山口まで幾らも無い。外気温は4℃と、さすがに冷え込んでいる。星空が広がっているのに、ぽつぽつと雨が落ちている。山の方には雲の帯が見えるので、雪雲から飛んでくるのだろうか?田島の町まで下って、そこから栗生沢の集落に向かって細い道を北上する。栗生沢の小さな集落の真ん中を抜ける道から、そのまま舗装された林道になって、しばらくヘッドライトに照らされる黄色く色付いた木々の間を走ると、次第に両側からススキが覆い被った道になり、車体をススキがこする。釜沢橋を渡った直ぐ先にゲートがあった。そこが現在の大川林道終点で、ガードレール製の頑丈な車止めが二重になっていた。ゲート前の廃道になった作業道入口は3,4台車が停められるスペースになっていた。11時少し過ぎに到着した。アラームは5時半にセットして、シュラフに潜った。

 首筋が寒くて目が覚めたら、なんともう6時17分。アラームが鳴ったのに目が覚めなかった様だ。うっかり寝過ごしてしまった。直ぐに支度を始め、パンを食べて6時38分に釜沢橋ゲートを出発する。空は良く晴れている。周辺は会津特有の黄色が鮮やかな黄葉の山だった。頑丈な車止めには『当分の間通行止め』と書いてあるが、この林道をずっと歩いた感じでは、永遠に通行止めといった様子だった。もうすっかり廃道状態だ。

 2重の車止めから直ぐにカーブになり、林道は遥か下をごうごう流れる水無川本流沿いに荒れた路面になる。ススキや薮に覆われて獣道程度の踏跡がその真ん中を通じている様なところも多く、コンクリート製の土留めだけ残って路面がすっかりえぐられ崩壊している箇所も多い。上から崩落した硬く尖った岩屑が積もったところもある。車はおろかマウンテンバイクでも通行不能な箇所もある。のんびり歩ける林道歩きのレベルではない。水無川対岸の1,501.3m峰は見事な黄葉の山になっているが、頂上付近は雪が積もっているのか白くなっていた。直線がしばらく続く道になると、正面にどっしりと大きく男鹿岳が姿を現す。半分から上は真っ白で、頂上は雪雲が被って見えない。今日は新雪を踏む厳しい山になりそうな予感がする。目の前の道を一頭の大きなオスジカがあわてて横切っていった。山のあちこちで、そのシカの悲しそうな遠音がこだましている。ここには晩秋の山の気が満ちていた。

 今日は雪に濡れた藪漕ぎを予想して、初めからカッパのズボンを履いているが、藪漕ぎ用の古いカッパだったから、この後、融けた雪が浸みこんで大変な事になるのだった。7時46分にオーガ沢橋に着く。ネットに出ていた画像よりも薮が酷い。橋に書かれている竣工年は昭和41年とあるから、もう40年以上経っている。この林道も役目を終えて、すっかり廃道なのだが、少し前に林道から県道に昇格したという事が理解に苦しむ。県道昇格した後で放置された様だ。何で放置直前に県道に昇格させたのだろうか?ネットの記録では、数年前まではこのオーガ沢橋手前までは車が入れたらしい。

 オーガ沢橋から先は男鹿岳の中腹を絡んでいく様になるので、男鹿岳は見えなくなった。1,501.3m峰から男鹿岳に続く稜線が、らくだのコブのように凹んでいる所が大川峠らしい。そのたわみが前方に見えてくる。直ぐに高さのある白糸橋(しらいとのはし)を渡り、この辺りからは道に雪が疎らに残っていた。林道沿いは笹の下生えに細いブナ林になる。男鹿岳北面の道は空気もひんやりしている。薮が酷く、路面の3分の2は薮に埋まっている。8時16分に男鹿沢橋を通過、ここで積雪は5cmくらい。行く手の大川峠付近の山にも雪が積もっている様で、木々は白く見える。しばらく行くと、北に木々を透かして舟鼻山や駒止湿原の平坦な山並が遠望できた。8時53分に、ようやくススキや笹薮の中にそこだけ薮の無い大川峠に着いた。大川峠は陽が当たり雪もまだらに融けている。ここが栃木県との県境になっている。そこから先にも栃木県側の林道があるのだが、バリケードの先の栃木県側は完全な薮で、覗き込むことすらできない、もう林道の道形も分からなくなっている。

 とりあえず、荷を下ろし石の上に座って赤飯おむすびで腹ごしらえをする。林道終点から目の前を南に登っている尾根の入口に幾つもの赤テープがある。そこが登山口のようだ。笹には雪が載って、これを掻き分けて行くことになるので、防水のパーカ(これも藪漕ぎ用の古いエントラント製)を着る。しかしこの時、薮山用のカッパのズボン(これは更に古いエントラント製)をそのままとしたのが、後でひどい事になった原因になった(ザックに入れてあった新しいレインスーツを着ればよかった…)。

 9時5分にススキが高い薮に突入する。林道終点から林道に沿うように少し登ると、直ぐに笹の斜面になって栗石山への登りが始まる。大川林道から男鹿岳へは標高差で500m程度、男鹿岳とは70mの標高差しかないこの栗石山の登りが実際には登りの大半という感じだ。この辺りでは5cm程度のわずかな雪でしかないが、その重みで笹は寝て雪が載っている。ルートは、間断なくある赤テープを目印にしていけば良いが、木が疎らなところは笹に付けられているので、雪を被って寝ている笹の赤テープは確認できない。ということで、結構RFをしなくてはならない。登りだから、どのみち高いところに登っていけば良いので余り気にはならない。

 時々起き上がった笹に赤テープを確認する。1m前後の深さで掻き分けられる単一笹薮で、薮的には問題も無いのだが、起き上がった笹からはじかれる雪が衣服に付着すると、気温が低く無いので直ぐに融ける。20分も笹を漕いでいたら、大失敗に気づいたがもう遅かった。融けた雪がカッパのズボンを通してその下のズボンを濡らし始めている。えっ。藪漕ぎ用のカッパは既に防水性が著しく低下していたのだった。今更ここで履き替える訳にもいかない。もうズボンが濡れてしまった。上に着ているパーカも撥水性が無くなっていて、既にびしょびしょになっている。こちらは、幸い防水性はまだ大丈夫だった。(こんな訳で、男鹿岳に着いた頃には毛管現象によって、靴の中までぐちゃぐちゃになる最悪の状態になっていた)

 栗石山の上部に登るにつれ、積雪の量は増えていく。東に木々が切れ裏那須の山が見える。北にも駒止湿原方面の平坦な山並が見える。樹相はブナからオオシラビソに変わり、鉛色の空に変わる。下の方は晴れ間が広がっているが、雪雲の残りがまだ山頂部にまとわり付いている様だ。傾斜が緩むと、栗石山の頂上が近づいた様で、オオシラビソは蔵王のモンスターみたいになっていた。西に少し方向を修正し、薮に埋まった栗石山山頂に10時45分に着いた。オオシラビソの木の高いところに栗石山のプレートが一つ付いていた。このプレートは残雪期に付けたのだろう。大川峠から1時間40分もかかった。笹を掻き分け雪を払いながら、笹に積もった雪に滑り、またRFもありで少しタイムオーバーした。それにしても、この時点でもう下半身はすっかり濡れて冷たい。休んでいると寒くなるので、直ぐに男鹿岳との鞍部にまた薮を掻き分けルートを探す。

 赤テープを確認して、身を没する笹薮を漕ぐ。鞍部に繋がる尾根状の細いところを行くと、木々の無い笹原になった。正面に雪を被った七ヶ岳や家老岳、遠くにうっすらと日光連山が見える。次第に山頂部の雲も晴れてくる。男鹿岳の山頂部がもうそこに見えるが、オオシラビソの木々はクリスマスツリーを並べたようにきれいだ。笹原は直ぐに終わり、オオシラビソの木々の下を潜るような下りを少しで、最低鞍部になり、ルートは笹の緩い斜面になった。この附近はマーキングも少ないが、溝状になった枯れ沢に赤テープを見つけ、そこを登る。溝が終わると、山頂も近そうだが、笹は身を没する深さで雪も多く、もがいて進む。毛糸の手袋はびっしょりになって指の感覚が無くなり、指先が痛くなってきた。これでは凍傷にでもなりそうなので、手袋を外ししばらく指を口に加えていたら元に戻った。却って濡れた手袋無しの方が良い様だ。

 体が濡れているので気持ちが段々塞いでくる。頂上はまだかなと、かなり疲労しているのが分かる。雪と笹を漕いでの登りがずっと続き、それはボディーブローの様に徐々に効いてきている。疲れたなー。傾斜が緩んだら、なだらかな山頂部に出た。どこが山頂なのだろう?オオシラビソの巨木が立つ山頂部はどこも同じ様な高さ。11時41分に、オオシラビソの木に男鹿岳のプレートが二つ付いた所に出た。1つはM大の青プレート、もう1つはマジック書きの素朴なプレート。その木の東側は木々が切れていたので一段下がったら、そこにかつてはちゃんと立っていたらしい男鹿岳の山名標識と三等三角点があった。目の前は雪が積もった低い笹原で、向こうに那須連山と栃木の那須野辺りが良く見えた。やっとこ山頂に着きました。下半身はびっしょり、冷たくて不快なのと疲れで、喜びも今一つ…。雪で腰も下ろせないので、立ったままパンを食べて休憩。とうとうこの時点で、靴の中まで水が浸みこんできていた。身体が濡れているので、休んでいると寒い。

 パンとおかしを摘みながら那須連山の写真を撮る。那須野の町並みが先に大きく広がっている。こうして見ると、男鹿岳もあまり奥山という感じがしない。南には大佐飛山の一部が見える。山頂から栃木側に少し行けばもっと良く大佐飛山が見えるポイントもあるらしいが、疲れていて行く気にもならなかった。今日は日曜なのに、栃木側からもだれも登って来ない様だった。大川峠付近の雪に登山靴の跡があった。しかし、ここに登ってくるまでの途中、雪が積もってから人が登ってきた形跡は見当たらなかった。昨日あたり、降雪直後に大川峠までやってきて引き返した人がいるのか、あるいはその後に雪が降って付いた足跡が消えたのかは分からない。

 12時2分に男鹿岳を後に下る。下りはあっけないくらいだが、笹の深さと雪がまとわりつく様は変わらない。でも下りのほうがルートが分かり易い(来た道だから当たり前か…自分の靴跡もあるし)。鞍部に下りて見上げると、白いオオシラビソの木々が白珊瑚の様に並んでいる男鹿岳の山頂部がきれいだった。笹原からはまた巨鯨の様に横たわる七ヶ岳を見る。笹をがさがさ登り返して12時49分に栗石山をそのまま通過し、栗石山の下りも特に問題なく降りていく。木の上から融けた雪がぼとぼとと落ちてくる。頭に当ると痛いくらい大きいものもある。すっかり晴れ渡った東には、流石山や三倉山など裏那須の山並みが近く望まれる。下半身は腰から下が濡れた状態で、靴の中はぐちょぐちょと水が唄を歌っている。もう濡れているのはやけくそだが、休んでいると寒くなるのでどんどん下り13時51分に大川峠に降りた。笹薮から開放され、もう雪に濡れることもなくなったので、濡れた手袋をスペアの乾いたものと交換した。

 雪が消えた峠で枯葉の上に腰を下ろし、おかきとワラビもちを食べる。でも、しばらく休んでいると濡れている下半身のせいで寒くなってくる。休みもそこそこに、14時2分に林道を歩き出した。もうこの時期、この時間になると陽も翳り、夕方のような雰囲気だ。帰りも長い林道歩きだが、藪やゴロ石に気を遣い、崩落部分も多くて、とてものんびりとした林道歩きでは無かった。林道から北に見える山々は紅葉のせいばかりでなく、午後の陽で赤く見えていた。白糸橋は高さもあって、下に白糸の滝の様な流れが見下ろせる。次のオーガ沢橋から先になると、背後に男鹿岳が、行きと違って山頂まですっきりと見える様になった。時々やや赤くなった男鹿岳を振り返りながら、少しずつ乾いてきたズボンに、冷えもそれ程でもなくなったが、靴の中は相変わらず水が歌っていた。

 薮の林道を延々と、帰りも随分長く感じた。16時11分にようやく釜沢橋の車止めゲートに戻ってきた。出発してから9時間半。途中で休んだ時間は全部で45分くらいで、実働は9時間に満たない。靴を脱ぎ、ズボンを履き替えて、やっと不快な状態を脱した。

 帰りは田島に出て、そのまま会津から栃木に抜けた。中三依にある『男鹿の湯』に久しぶりに寄る。日帰り温泉はお客さんで一杯だったが、食事をしている人が多く、お風呂の方には人は余り居なかった。今回は、男鹿岳に登るということで、帰りはその名に敬意を表し?最初から男鹿の湯に寄ろうと思っていた。冷えた身体を温泉で漸く温めた。しかし、お湯がぬるくて、ここにはもう3回以上入っている筈だが、こんなにぬるい湯だったかな。長く湯に浸かっていたが、芯まで温かくはならなかった。入浴後はそのまま帰路に着いた。

 思いがけず新雪の薮山。男鹿岳では誰にも会わなくて、雪化粧した山は美しかったが、下半身濡れたままの情け無い登山になった。まあ、それでも登れて良かったが、雪が無ければ、あるいは簡単過ぎる薮山だったかとも思う。結果的には非常に印象に残る山になった。

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4 コメント

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中途半端な雪が一番始末におえないようで (ノラ)
2012-11-09 21:37:02
あさぎまだらさん こんばんは。中途半端な雪があるとそれほど難しくない薮山も大変な山に代わるいい例みたいですね。ほんとにご苦労様です。読んでてこちらも手や足が冷えて来そうで。大川林道もたった7年ぐらいで様変わりのようです。山部さんと行ったのが2005年7/18です。その時は大川峠まで車でかろうじて入れたんです。笹薮はそんなに深いものでなかった記憶があります。県境稜線を横川からくると非常に大変だそうです。栗石山の名板も変わってますね。多分その時の写真残っているので後でアップしてみます。
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新雪 (あさぎまだら)
2012-11-10 00:18:47
ノラさんこんばんは。
降ったばかりの雪が深い笹に積もっていました。
気温が低く無いので雪は直ぐに融けます。冬とも春の残雪とも違う雪ですね。かき分けると、雪を撥ねて起き上がる笹というのは始末に終えないです。

大川林道があんな状態なので、ここを利用した男鹿岳登山者が少なくなっているのでは?とも思います。といっても、塩那道路は長いですけどね。ひょうたん峠からは刈り払い道があるということです。
雪が無ければ藪山入門編くらいの山ですかね。
それはそうと、雪でデコレーションされたオオシラビソはきれいでしたよ。これだけは素敵でした。
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二重の車止め (しぼれ)
2012-11-10 10:02:31
あさぎまだらさん こんにちは
ぐちょぐちょ状態の靴までは経験がありますが今の時期ではなし、大変な様子でお疲れ様でした。

2年前は車高の高い車なら車止めの右から入って40分ほど歩きを短縮できると思っていましたが、画像を見ると車は進入できないようですね。

そのうち2か所再訪と思いつつ、今年も時期を過ぎてしまったようです。
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車は無理です (あさぎまだら)
2012-11-11 00:22:08
しぼれさんこんばんは。
ガードレール製の車止めを越えることはできません。右に作業道回りで入れたのですね。そこも車は入れない様になっています。仮に入れたとしても、直ぐ先で落石が堆積していますし、路面崩壊箇所も多数で通行は不能です。現在はマウンテンバイクでも難しいでしょうね。
歩くのがやっとという道になってしまいました。ですから、このコースが男鹿岳の一番楽なルートであるというのも過去のものですね。
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