平成18年12月16日(土)
氷室山1,123m 宝生山1,154.2m 椀名条山1,051.6m
足尾山地はごく一部(根本山周辺)を除いて、家から最も近い山域にもかかわらず、余り登っていない。去年熊鷹山・丸岩岳に登り、今年の春に地蔵岳から大萱山のピストン、三境山と残馬山を登ったが、地味な薮山だから積極的に登ろうという程の山域ではない。しかし、稜線は笹の薄い下生えにミズナラの疎林が広がり、全体 . . . 本文を読む
平成18年12月3日(日)
菅峰1,473.5m 高ジョッキ1,209m 丸岩1,124m
草津や上信方面に向かう車窓、川原湯温泉を過ぎて長野原の町に差し掛かる頃、吾妻川を挟んで特異な円筒状の岩山が目に入る。円筒の上に薮を載せてゴリラやチンパンジーの頭に見えなくもないが、この岩山は丸岩と言って伝説が残されているということだ。
わざわざこの岩山だけ登りに来る程のものでもないが、この岩山と須 . . . 本文を読む
平成18年11月26日(日)
南天山1,483m 滝谷山1,659m
群馬と埼玉の県境は両神山から派生した(両神山の方が派生かな?)赤岩尾根・大ナゲシ、天丸山や帳付山付近はかつての奥深い難関山域を返上して、最近ではハイキングエリアになっている。何と言っても、林道開発と山林の伐採によって山そのものが開かれた事が一番の要因だろう。しかし、帳付から三国山に至る県境稜線は相変わらず道もなく、深い薮で辿 . . . 本文を読む
平成18年11月3日(金)
三ッ岩岳2065.0m 窓明山1842.3m 画像リンクhttp://photo.www.infoseek.co.jp/AlbumPage.asp?m=0&key=1650208&un=118647
三ッ岩岳という同じ名前の山が西上州にもある。どちらも里から見上げた山頂付近に目立つ岩が三つ見えることから付いた名前ということだ。南牧(西上州)の三ッ岩岳は人知れず道も . . . 本文を読む
平成18年10月22日
岩菅山2295.0m 裏岩菅山2341.0m 烏帽子岳2230.4m
烏帽子岳という名前の山は全国に数ある。ネットで検索しても沢山の烏帽子岳がヒットするし、ウィキペディアによれば85座あるそうだ。遠目に見た山の形が烏帽子(やや偏芯して尖っている)に似ているから付いた非常に即物的で分かり易い名前だ。群馬県にも西上州の烏帽子岳や榛名の烏帽子が岳、谷川連峰の朝日岳から巻機 . . . 本文を読む
平成18年10月15日(日)
(苗場山2,145.3m 神楽ヶ峰2029.6m)
先週久しぶりに山に登ったら、ほぼこの一週間脚は筋肉痛がひどかった。それも週末には良くなって土日は晴れの予報だ。子供の用事があるから土曜はダメだが、日曜日ならなんとか山に行けそう。それでさて、「いよいよ薮山に行くぞ」そう思ったら、次男が「ぼくも山に行きたい」と言い出した。このところ釣り天狗の彼は、山の話をしても乗っ . . . 本文を読む
平成18年10月9日(月)
空木岳2863.7m
夏山も秋山も少しも行けなくて10月になってしまった。3連休でも真ん中の日曜日は地元の運動会に来賓で喚ばれているのでダメ。でも、最後の体育の日はお天気が良ければ山に行けそうだ。台風崩れの猛烈な低気圧が関東南岸を通り抜けた。金曜は各地で大雨や大風の荒れた天気だったが、土曜は半分晴れ、運動会の日曜日は快晴ながら大風の日だった。そして、月曜日は風も収ま . . . 本文を読む
平成18年8月20日(日)
(茶臼山2,384m 縞枯山2,403m)
今年の夏は天候不順に加え、公私ともに忙しくて子供を連れて恒例のアルプス登山もできない。というか、この2ヶ月近く山に行けないでいる。梅雨明けが遅れた事と、相変わらずの天候不順。晴れれば猛暑と台風の連続。休みの日がうまくこの不安定なお天気と合わずに長いブランクになってしまった。
もう夏山はおしまいかな。しばらく登ってないか . . . 本文を読む
平成18年6月25日(日)
(中倉山1539m 沢入山1704m)
足尾の中倉山と沢入山は、足尾の町を流れる渡良瀬川支流の松木川と仁田元沢に挟まれる稜線上のピークで、この稜線は庚申山に繋がっている。鉱毒で「日本のグランドキャニオン」とかつて呼ばれた、一木一草も無い山肌には少しずつだが関係者の努力で緑が再生されてきている。それでも、足尾の町をぐるりと取り囲む山々は崩壊した岩肌が目立ち、やはり一 . . . 本文を読む
平成18年6月11日(日)
(貉ヶ森山1314.9m 日尊の倉山1262.0m)むじながもりやま・ひそのくらやま
一昨年、長いこと憧れていた奥会津・会越国境の名峰「御神楽岳」に登った。静かな山頂で360度の展望を楽しんだ。周囲の山は見慣れない山々だったが、一際目を惹いたのは、直ぐ西南にシマウマ模様の残雪を見せる貉ヶ森山だった。正確に言うと、手前の日尊の倉山と重なっていたのだが、日尊の倉は目立た . . . 本文を読む