Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

霊諍山のドラえもん

2005-09-15 08:17:09 | 農村環境
 昨日仕事で千曲市八幡の大雲寺の近くまで行った。この寺を訪れたことはないが、裏山の霊諍山(れいじょうざん)は10年ほど前までには何回も足を運んでいる。わたしは大雲寺側から登ったことは一度もなく、大雲寺とは反対の北側の登り口からいつも登っていた。坂井村にある修那羅峠は知名度が高いが、ここ霊諍山はそれほど知っている人はいない。ここの裏山のことを知っている人はかなりのマニアである。修那羅峠といえば、安宮神社があって、その境内を中心にたくさんの風変わりな石神石仏があることで知られている。この修那羅信仰は、明治5年に他界した大天武が開いたもので、それほど古いものではない。その修那羅と同じように風変わりな石神石仏が、この霊諍山にもたくさんある。大天武の弟子であった和田辰五郎が霊諍山の開山にかかわったこと、そして開山した北川原権兵衛が修那羅信仰に影響を受けたとされることなどから、同じような石神石仏が建てられることとなったのだろう。
 この霊諍山に最初に訪れたのは、もう20年以上前のことである。それから何度か訪れたのは、やはりこの山の石神石仏は印象に深いものが多いからだ。その印象の強さは、修那羅のものより強い。とくに印象的なものは「猫神」である。マントをまとったドラえもんが、隣にあるまるまった「猫」を叱って、げんこつを振り下ろすようなしぐさをしている。どちらも猫神なのだろうが、ドラえもんスタイルの猫神は、猫神ではなく、まさしくドラえもんの世界を象った「ドラえもん神」に違いない。また太いくぎ抜きを持った「鬼」と、半分丸彫り、半分光背付という変わった姿の「脱衣婆」は、木々の生い茂った境内に、異様な雰囲気をかもし出している。そのほかにもさまざまな神様の像が彫られていて、なかなか楽しい。千曲市内には、個人のお宅にもこの系統の像が何体かあるというが、わたしは見ていない。
 麓からは約20分ほどで霊諍山の石神石仏に会える。久しく忘れていたが、その雰囲気は変わったのかどうか、いつかまた登ってみたいものである。

 霊諍山を少し味わいたい方へ
  霊諍山(れいじょうざん)の石像 
  霊諍山の石神仏 
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弁当の中身

2005-09-14 08:17:49 | ひとから学ぶ
 わたしは単身赴任ながら、毎日弁当を作って会社へ向かう。社会人になったばかりの若いころも、給料が安くて会社で弁当を頼むのも大変だったので、アパートでの自炊の残りなどを簡単につめて、弁当を持参したことがあった。「若いのにたいしたものだ」などといわれたが、正直いって、中身はろくなものではなかった。焼きそばを作ると、それだけをつめたり、なにしろ、一品をたくさん入れて、なんとかいっぱいにしていたと覚えている。そして焼きそばをつめることが多かったことも記憶している。当時も実家から200km近く離れていたものの、ほぼ毎週のように帰宅し、家の野菜や母の煮物などを持って、また、200kmほどの道のりを車で走ったものである。当時は土曜日が休みではなかったので、一週間も長かったし、帰ってもすぐまた会社へという感じであったように思う。帰らずに弁当を買えば、その方が安かったかもしれないが、若いころは、車に乗ることが第一の楽しみであったのかもしれない。
 それはともかく、その後も単身赴任をすることはあったが、その時は弁当はつくらなかった。お金があったからかもしれない。久しぶりに弁当を作るようになって、もう一年以上たつ。当初は面倒くさかったが、作り方がパターン化してくると、慣れもある。中身もそれほど日替わりということはなく、ほぼ同じものが入っている。体によいか悪いかはなんともいえないが、注文して来る弁当よりは、食材それぞれをくらべてみれば、明らかに自分のものの方が安全であることはわかる(食材の安全には神経質ではないが少し気を使っている)。バランスという面では少し欠けているかもしれないが、若いころは自分の作った弁当を美味しいと思ったことはなかったが、このごろ作る弁当は、けっこう美味しい。肉はそれほど好物ではないのであまり入れないが、魚なども含め蛋白源には購入品を使っている。しかし、お米はもちろんであるが、おかずの半分以上は自家で採れたものである。したがって食材の費用はほとんどかかっていない。そのへんが食材をすべて購入している人にくらべれば、メリットは多い。毎週自宅から食材を持ってくることによってできる業である。野菜が好みだから、野菜を多様することが多い。すべて無農薬である。
 ところが無農薬と思って安心していると、そうばかりではないということが、最近あちこちで言われている。自家で蒔く種をよくみると、国産ではなく、外国から輸入しているものが多いようだ。わたしのモットーは、遠くのものを食べないというのが基本である。自家で採れるものでなるべく済ます。購入する場合も、居住地に近いものを選択する。今までの基本姿勢であるが、種の話を聞いて、少し別の視点も必要だと思っている。
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ひとり旅

2005-09-13 20:00:49 | つぶやき
 春まだ早いころ国東を訪れた。国東には若い頃から思い入れがあった。長野県には数の少ない磨崖仏がたくさんあるからだ。そして、石仏の写真で子どものころからお付き合いをさせていただいた京都の方が、ぜひ一度一緒に国東に行きたいということを、会うたびに言われていたことが、それほど魅力のある場所だという印象を持つきっかけとなった。しかし、その知人はもう他界された。わたしとは歳にして、50歳以上離れていたのだから、もっと早い時期にそうした機会を持たなくては、なかなか実現できることではないに、なかなかその時間がとれなかったというのも事実である。その念願の国東を訪れるにあたり、泊まる場所を探したのだが、なかなかないのである。まったくないわけではないが、間近になって決めたため、予約がなかなか取れないのである。加えて、公共の宿のようなところしか宿らしいところがなく、とくに根っこのあたりの豊後高田とか宇佐というような市部ならとにかく、半島内にはいって泊まろうとするとなかなか場所がないのである。さらにいけないのは、一人旅という点である。ホテルのようにシングルという設定があればよいが、こうした場所にある宿泊施設にそういう場所はない。
 なんとか泊まる場所にあわせながら行く日を前後させて調整したが、一人旅というのは、ほとんどしたことがなかったので(若いころは遠出しても車中に泊まったりしたから、またともな宿泊はしなかった)、意外と損が多いことがよくわかった。公共の宿などは、複数人の宿泊を前提にした宿がほとんどのため、一人で泊まると部屋代が割増となる。フェリーなんかを使っても一人で車とともに利用するのは割高であるし、世の中の割引制度は家族連れをねらっていて、そうした恩恵にあやかることがなかなかできないのである。この旅に出る際に、息子に一緒に行かないかといったが、学校を休むのが嫌だといって断られた。学校休んでもなかなか行けるところじゃないから、メリット大きいよと年寄りや母も言葉をかけたが、「うん」とは言わなかった。
 ということで一人旅がしにくいということを知ったが、このごろは女性の一人旅だったらまた違うのかもしれない(割引制度がいろいろありそう)。
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道端の雑草

2005-09-12 19:11:00 | 農村環境
 今日、長野市から千曲市に向かって国道18号バイパスを走った。この道は片側二車線で、中央に分離帯がある。川中島古戦場のある交差点から、千曲川橋までの間はかなりの距離であるが、バイパスが開通して以降、水田がなくなり、次々と沿線にガソリンスタンドやらレストランやら建てられて、現在ではほとんど水田の姿を道からは見ることができないくらい、軒を連ねるようになっている。この道端には車道と歩道の間と、中央分離帯にツツジなどが植樹されている。しかし、草丈の高い草が生えていて、植樹された低木がほとんど見えないくらいになっている。とても見るに耐えない姿となっているが、周辺が農地とか山の中ならともかく、せっかく植樹してあるのになんとかならないものか、という感想であった。どこか草が取られている区間はないものかと見ていたが、ほとんど草丈が同じで、おそらく、国道管理事務所などが草刈りを一斉にして以降、そのまま伸びた状態なのだろう。中央分離帯はともかく(ともかくとはいいたくないが)、車道と歩道の間くらい、周辺の店などが気を使って草取りをしないものなのだろうか。
 かつてなら、公の道であっても地元の人々が道の管理をしたという。わたしの家の近くにある県道も何十年も以前は、雪かきですら、地元でおこなったという。通行量が多くなったとはいえ、できる部分は公の道であっても自分たちでする、ということができないのが現代である。自律などということを地域で盛んに言うが、まず行政に頼らない地域を確立しなければ、結局は人任せで終わってしまう。
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選挙からみるこの国の不幸

2005-09-11 21:12:41 | ひとから学ぶ
 今回の選挙は、民放がいきなり予想議席数を表示した。わかっていることなら、NHKのように従来型でやるよりははっきりしていてよい。ただし、そこまでして大騒ぎするほどこの選挙は意味があったのだろうか。意味のない選挙なのに、この選挙を通してこの国の不幸がますます見えてきたように思う。
 長野県では田中という人が知事をしている。県政の変化を望んだ県民が、この人へ期待して選択したものであった。その田中知事が、国政に出て、いかに国の借金を減らさなければならないかということを主張した。とても県政は、県の自治はまともな状態とはいえないが、そうはいっても借金を減らすということに関しては、確かに田中知事の行動は評価できることであっただろう。しかし、今回の選挙で田中知事が表に出たことは、まったく評価できることではなかった。まずもってあわてて作られた政党という感は否めず、国政で評価を得ようとするには田中のイメージはまだまだ薄いということだったのだろう。にもかかわらず、田中知事の考えは、県内においては支持率が下がったとはいえ、いわゆる無党派層には指示を得ているはずである。しかし、いざ国政となると、県民の多くは何を求めたかということになる。
 市町村の合併にかかわる住民投票をすれば、ずいぶん反対が多い長野県である。にもかかわらず合併を推し進める国政に対して、何を求めようとしているのだろう。今回の選挙が、ただ郵政民営化だけで無党派層が判断していたら、この国は本当に終わりである。そうとは思いたくないし、他の要素を含んでの投票行動であったと思いたい。明らかな自民圧勝という報道のなか、この国民は、つまるところ自分のことしか考えられなくなった国民だと判断する。それは、たとえば民主党のいうように無駄な公共事業をなくせば、ますます景気は落ち込む。いっぽう自民党のように景気回復を感じさせようとすれば、公共事業はそれほど減らすことはない。そうやって目くらましをして、いっぽうでは増税したり、年金制度を変えて、間接的に人々の暮らしからその代償を求めようとしている。それを理解してか、あるいは理解しないでなのかわからないが、国民は自民党を選択するのである。そうしてみると、人の痛みを分けようという意識ではなく、自分がよければよい、という意識にこの国の人々は変化してきている。共産党とか、社民党のように、みんなでなんとか助け合おうなんていう政党は、国民のほとんどが求めていないのである。まさしく二大政党のなかで、民主党が負けたのである。従来からの地方で強い自民党に、中央でも強かった自民党が圧勝となるのである。いずれにしても、正確な結果は出ていないが、全国的には自民党の圧勝はまちがいないだろう。落下傘候補が簡単に集票することも許せないが、これが日本なのだ、とつくづく悟ったとともに、わたしの考えが一般的でないということもよくわかった。こんなところでいろいろ言っても愚痴に過ぎないとはいえ、この国は不幸な道を歩むことになる。
 この先、たとえば憲法が改憲され、戦争に行くようになったり、格差が大きくなったり、地方が切り捨てられても、今回の郵政民営化選挙が引き金になってほしくないというのが、心からの願いである。
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客人への手土産

2005-09-11 10:23:48 | 民俗学
 昨日の続きである。娘であるからよけいに家で採れた野菜をもらっていくのが鬱陶しいということもある。実家であるからこそ、わがままをいいたくなる。面倒くさいと思えば、すぐに顔に出る。父も母もそんなところをわかってか、無理にとは言わない。そんなことを繰り返しているうちに、たいしたものではないので、自家の野菜など持たしてもしょうがない、というようになる。これは物があふれている時代だからこそ生まれる感覚である。物がなく、何でも貴重に思えた時代なら、何をもらってもありがたかっただろう。その感覚が、まったく理解されない時代がやってくる。
 先日、中学時代の同級会をした。幹事だったこともあり、先生に家に泊まっていただいたが、帰る際にお土産をと思って、何を用意しようと家で話した。先生が農家ではないから、野菜などを持っていってもらえばと思うのだが、そこが難しい。地域の特産物とか、お菓子を用意しようかとも思うが、うちの野菜は無農薬だし、種類も多い。本当なら野菜が一番と思うが、果たして喜んでくれるか悩む。一昔前ならきっと喜んでくれるだろうが、前例のように、自家の野菜を喜ばない現実もある。結局車で家まで来たこともあって、荷物にはなるが野菜を用意した。もちろん、喜んでいただいたが、どこかに「こんなにもらっても」という気持ちがなかったか、不安でもある。
 「もらえるものは何でもありがたくもらうこと」と親に教えられたが、もらってしまうとお返しを、と気を使う。そんな気を使うくらいなら、もらいたくもないし、また、やりたくもない。合理的に考えればそういうことになるが、単純に判断できない時代だからこそ、難しい。こういう曖昧な気持ちを持ちながらも、人の気持ちを察していかなくてはならない世代は、もしかしたら、わたしたちが最後かもしれない。もっと割り切った考えで、これからの人たちはやっていくのだろう。そこには、かつて農家が人とのつきあいで交わしてきた物のやり取りは消えていくのだろう。
 民俗誌などをひもといても、儀礼とか行事にかかわるこうしたつきあいのやりとりは少しばかり触れられてきたが、日常でのつきあいの作法とか物のやりとりは、あまり触れられてこなかったように思う。とくに、そうした日常の中にあったしぐさとかやりとりが、より時代を反映しているのではないかと思う。自らの経験の中で、時系列でその変化を捉えておくことも必要かな、と思ったりする。あくまでもそれは自分の感度ではあるが、まず自分の認識を整理しながら、では、人はどうだったのか、と捉えてみたい。
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自家で野菜を作っても

2005-09-10 13:36:33 | 農村環境
 母の実家の娘(いとこ)が横浜の方へ嫁いでいる。実家は果樹農家で、水稲も野菜も果樹ほどではないが作っている。娘の所に野菜などを送っても、このごろは喜ばないという。夫婦共働きで、子どもたちもそこそこ大きくなってくると、畑から採ったばかりの生々しい野菜は、面倒で喜ばれないという気持ちもわかる。事実、単身赴任している自分も、なるべく食材は買わないようにと思って、自ら野菜などを多用して簡単な料理を作るが、たとえばたまねぎとか、ジャガイモとか、皮をむかないといけないようなものは、ゴミも出るし、面倒であることは確かである。むしろ家でカットしてもらい、真空パックなんかにして赴任先の冷蔵庫に保管しておくものの方が確かに使いやすいし、手も出る。母の実家でも、娘たちがあまり喜ばないということもあるのだろう、自分たちだけが消費する野菜などわずかだから、それほど野菜を作ることにこだわらなくなったようである。ようは、農家であっても、無理して作らなくても、必要なものがあれば買えばいい、というような考えになっていく。面倒であるというだけでもないようで、母の実家の娘の家では、虫がついていたり、痛んでいるような汚れた野菜は子どもたちが喜ばないという。今では、カットされた食材を買っているという。
 自分の実家をみていてもそうだが、父や母が年老いていてもまだ動ければなんとか野菜を作る。しかし、その世代がいなくなったら、米はともかく(米は手がそれほどかからないし、できない部分は頼むということもできる)、野菜など買ったほうがよいといって、作りそうもない。農村地帯のほとんどが、おそらく10年後、あるいは20年後には、自家に土地があっても、自家用の野菜すら作らなくなるのではないだろうか。
 妻の実家では、妻も含めて一生懸命野菜を作っているので、おそらく自分は年老いるまで、自家の食材で食生活をおくることになるだろうが、農村を見ていて、先が暗い。家が点在しているような田舎のセブンイレブンだというのに、昼最中になると、駐車場が満杯である。とくに土日はそれが目立つ。そうした客は、よそから来た人たちではなく、地元の人たちである。地方で強かった自民党が、今回は都会で強いという。どこかでも書かれていたが、まさしく小泉自民党は、かつての自民党ではなくなった。看板が自民党ならば、かつて自民党を推していた農民は、自民党を推さざるを得ないだろう。しかし、現実的には農民の数は少ない。ということは、ここ数年来で、看板は変わらなかったが、あきらかに世の中の変化に対応して中身をすり替えてきた大自民党なのだろう。田舎で今でも農民の味方と思って推している人たちを見ると、哀れみさえ覚える。もう田舎は消えたのである。
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競争原理の不幸

2005-09-09 08:02:03 | 農村環境
 何度も触れるが、格差社会にに対して、この総選挙がらみで記事が踊る。各党の姿をみただけでも、まさに国民の生活と同じような格差が見え隠れする。明らかに与党は高級住宅に暮らす大手企業の退職組みで、野党の中でも社民党は、国民年金だけで暮らす、公営住宅暮らし組という感じである。そう見ると、与党からこぼれ落ちてきたわけのわからない小党や、野党第一党も与党とそう変わりはしない。親の世代の格差が、子の世代の格差にも受け継がれるという指摘があるが、指摘するまでもなく、従来からそうした流れはあった。ただ、総中流意識のあった時代にくらべれば、差が広がった分、受け継がれる際の差が後に与える影響は大きい。ましてや、少子化問題が大きくとりあげられているが、現実的な補助をしたからといって、その格差が縮小されることはない。ますます差が広がるのである。金がある家ほど教育に余裕が生まれ、また、その交友の違いが、後々まで影響していく。昔のように、貧乏人が財を築く可能性は少ない。貧乏人ほど、子どものころから才能を見抜き、教育に専念する以外ないのである。
 昨日の朝日新聞長野地方版に、長野県の南端にある茶臼山の麓にあるカエル博物館の館長がコメントを寄せている。「競争原理のはたらく郵政民営化は、大賛成」と。このカエル館には、郵便を配達してくれないという。位置は根羽村というところにあるが、千人余程度の村にある郵便局から、時間的にはそれほどかからないものの、あまりに隔絶しているということもあってか配られないという。そんなこともあるのだと、わたしも知ったが、考えてみれば、そういうケースは他にもあることを聞いたことがあった。きっと民営化された郵便局なら、「村」といわれる枠を超えて、隣の愛知県豊根村の郵便局に配達させるだろう。なぜなら、カエル館がまったく隔絶された辺地にある一軒やではなく、近くに豊根村の施設があるからだ。しかし、それを競争原理として山間地域に当てはめてよいだろうか。山間地に行くと、道から家が離れていると、道端にポストを設けて、新聞や郵便を受け取れるようにしているケースをよく見る。配達する人と受け取る人との間にある、信頼感はもちろんであるが、そこには配達する側に対する受け取る側の配慮がある。簡単に言えば、お金を出しているのは受け取る側であるが、配達してくれる側に対してのお礼の気持ちがあるということである。「金を出したんだから、やるのが当たり前だ」という意識が、近年強くなってしまい、金を出しながら御礼を言うなんておかしい、ということを多くの人がいうだろう。まるで仏の世界のことをいうようだが、何に対しても「ありがとう」という気持ちがあれば、競争原理だけでは選択できないかかわりは生まれてくるはずである。きっと、まだできて10年未満のカエル館、冬季は閉鎖しているし、その開設になんらかのいわくもあったりして、結論的に村の一員になっていない姿が見えてきたりする。
 枠を超えるというような発想を変えられない郵便局の考え方にも問題があるだろうが、世の中の意識が急速に変化してきていることに気がつく。格差の増幅も同じところに起因するように思う。下伊那郡上村の下栗でそば粉を生産している農家にそば粉がほしいといったら、「千葉の蕎麦屋さんに契約販売しているので、ほしいといわれても売れない」ということを言われたことがあった。いくらで売っているんですかと聞くと、「高くてびっくりするから言えない」といった。下栗といえば、近年その暮らしや風景などがクローズアップされ、県外から訪れる人が多い。その地域がどう生きながらえていくかというとき、この下栗のように、ブランド化したことによって、結局は都会からやってくる高所得者にそのブランドをもたらすことになる。農産物をブランド化することにより地域を再生する動きは多く、いっぽうで企業などの農業への参入なども盛んになりつつある。しかし、格差が再びついた農村と都市をこのような形で結ぶことは、わたしには納得できない。
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警察の不思議

2005-09-08 08:20:05 | ひとから学ぶ
 身近にカードを盗難された事件があった。車を離れていたわずかな時間に5枚のカードを盗難され、そのうちの1枚で買い物をされた。ちなみに被害者は、DCカード会社から盗まれた他のキャッシュカードで金を下ろそうとして、暗証番号間違いで未遂で終わった履歴を知らされた。銀行名も時間もはっきり認識しているにもかかわらず、警察からあとになってどのATMだったのかとかおかしな質問を受けた。銀行が撮影しているカメラに写っているはずだから、意外と早く犯人は見つかるとにらんでいた被害者は、警察と銀行に対して「?」と思った。警察は、銀行からビデオの映像を提供してもらうことができないのか、警察の捜査力とはそういうものなのか、疑問がわくという。個人情報保護法が定められたり、そのいっぽうで警察の捜査をバックアップするような法律が定められたり、場合によっては相反する規定が、人々を縛り付けていく。
 わたしは警察にご厄介になったことはそれほどないが、かつて、暴力団組員に車の中から文句を言ったら(暴力団組員とは知らなかった)追いかけてきて、逃げようとして逃げ切れず、接触事故を起こしたことがあった。さすがに相手が暴力団ということもあって、警察官が何人もやってきたが、「あなたねー、車を見てこういうことはしなきゃね」「相手が3ナンバーなんだから気をつけなきゃ」などといわれ、その挙句に「うちでは何もできないが、もし後までいろいろ言ってくるようだったら、そういう専門の窓口があるから、そこで相談してくれ」といわれ、何人もやってきた警察官は、ほとんど何もせずに帰っていった。むしろ役に立ったのは、保険屋さんで、組員などによる接触事故に慣れていて、対応は早かった。相手は国産車だったが、バンパーに少し傷がついて、その修理費が200万円だという。保険屋さんがみたら本当にそのくらいはするという(真偽は?)。そんなバンパーがあるのか、中に機関銃でも仕組まれてるんじゃないかと不審に思ったが、ある程度組員のいうことをくんで対応してくれた。事故の際には、周りに組員がたくさん集まってくるし、おかしな電話が会社にかかってくるし、どうなるだろう、と不安であったが、どういうわけか、引きずることはなかった。
 また、こういう話もあった。やはり車の事故であるが、横から飛び出てきた車にぶつかられて、同乗者がムチ打ちになった。そこで警察に入ってもらって事故処理の書類などを作ってもらったが、連絡をくれるといわれたのに音沙汰がない。一ヶ月ほどしてこちらから電話をしたら、「忘れていた」とは言わなかったが、そに近いことを言われたことがあった。
 どれも10年以上前の話であるが、そのころにくらべると明らかに事件が増えている。それも凶悪犯罪が増えている。どこかの県では、警察官が不足して空き交番が出ているため、県の職員を交番に置くなんていう案を知事が出して、議会から危険だといわれて蹴られたが、警察官が増えたという印象はそれほどない。むしろ、昔の方が交通取締りが頻繁に行われて、警察官が目立っていたが、最近はあまり見なくなった。
 この国の治安は良いといわれてきた。しかし、どうだろう。殺人など珍しくなく、大きな記事にならなくなった。田舎でも頻繁にある。そこへIT社会到来で、従来にない犯罪が出てきた。コンピューターのウィルスと同じで、イタチゴッコのようなものである。それほど日々変わる状況に、警察はついていけてるのだろうか。治安がよいなんていわれていたのは、過去のことになるかもしれない。
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闇の世界へさようなら

2005-09-07 08:22:49 | 民俗学
 もう30年以上も前のこと(子どものころ)であるが、そのころ近くにできた国道バイパスの周りに投げ捨てられた空き缶やゴミを拾って歩いたことがあった。当時とすれば環境美化などという意識は世間にはなく、一人で拾うには気がひけたので、数人の仲間で拾った覚えがある。何を思ってそんなことをしたのかといえば、ゴミの投げ捨てで自分の家の近くの風景を壊さないでほしいという、とても当時としてはめずらしく、現代に通じる環境保全という意識でやっていた。そう考えるととても先進的であったのだろう、とそんなふうにも思い出される。このごろは道端に空き缶やゴミが散乱している姿は少なくなったが、この30年の間に、道端の風景は、そして人々の意識は大きく変わったといえるだろう。最も道端が汚かったのは、20年ほど前だろうか。ちょうどわたしが20代のころで、社会との格闘をしていた時代である。何を格闘していたかというと、ゴミという意識、モラルのない大人たちにうんざりして、自分の中でそうした大人社会と格闘していたのである。
 わたしが社会に出て、目の当たりにしたのは、車の窓から平気でゴミを捨てることであった。とくに車で出張することがあると、一緒に行く上司の中には、あらゆるものを窓から投げる人もいた。子どものころから道端のゴミを拾うというような活動をしていた自分にとって、びっくりするような出来事であったわけである。対向車がないのを見計らって、山のなかで「せーの」と掛け声を出して投げる際に、わたしだけ投げないわけにはいかず、自らの心の中で格闘しながら、みんなでやれば怖くない的な感覚で結果的には投げたこともあった。もちろん当時は、タバコの投げ捨てなど当たり前な世界だったわけで、「タバコを捨てるな」などといえる雰囲気はそこにはなかった。簡単に言えば、バブルに向かってゴミは増加し、バブル後になって徐々に減少してきたというところだろう。
 とはいえ、闇(見えない)の世界ではゴミ捨て的意識がまだまだ残っている。山の中の道端の下に、不法投棄されたものが転がっていることはよくある。そうしたゴミの中には、かつてのような個人で排出したものだけではなく、ゴミを扱う業者がまさしく不法投棄を行っている場合もあるだろう。そうしたゴミをどう処理するか、という意識は、昔も今もそう変わりがないのかもしれない。知りあいに下水施設に流れてくるものを以前聞いたことがあった。主なものにはキッチンペーパー、ペーパータオル、紙オムツ、生理用具などがある。流れて来るものに地域によって傾向もあるといい、避妊具が多く流れてくる施設もあるという。それらの中には、うっかり流されたものもあるだろうが、明らかに意図的に流される物がけっこうあるようだ。トイレという空間から流れ出さえすれば、もうだれのものともいえないわけである。敷地から出て、下水管に入ってしまえばもう闇の世界である。人が見ていれば捨てることはできないが、見られていなければ捨ててしまう。これはゴミだけのことではなく、常にわたしたちはそうした境界で「どうするか」を判断しているわけである。その際に、どのレベルにモラルがあるかによって、個々の差がでてくるのだろう。それでも、闇に消えていく場面では、闇に消えることで「もうおしまい」的な感覚を、わたしたちは備えているような気もする。
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指の汚れ

2005-09-06 12:47:26 | 農村環境
 土日に草取りをしていると、手が汚れる。わたしの場合、手袋をせずに草をとる。してもよいのだが、小さな草をすばやく抜くには、生の指先の感触が必要なのだ。だから、手のためには防護をした方がよいことはわかっていても、素手で取るのがいつもである。右利きなので当然右手を使うことが多い。そしてもっともよく使うのが人差し指である。今も日曜日の草取りをした土が指紋のなかに残っている。
 指の爪の間が黒くなっていると、手を洗っていないようで恥ずかしいものである。気にせずに爪先が黒くても買い物をするときにそのまま手を出す人がいるが、昔ならいざ知らず、なかなか清潔感という面ではイメージを落とすものである。成長期にそんな恥ずかしさを覚えたことは何度もある。
 草を取ると草の汁も出たりして、なかなか土がとれない。気にするほどの年齢でもなくなったし、人前にそれほど出ることもないので、このごろは、完璧に落ちなくても仕方ない、といった妥協もしている。昔のように常に土とまみれていた時代には、なんともなかったことであるが、農村も身なり姿が変わったものである。指の汚れに気がつくたびに、「働いた証だ」と思うことにしている。
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地震の予知

2005-09-05 12:25:57 | ひとから学ぶ
 最近月が赤いから地震がくる、ということを家でも話した。同様のことは週刊誌などにも書かれていたが、このごろ北東からあがった三日月がずいぶんと赤かった。山際に見えていたときは確かに赤かったが、山から離れるにしたがい、その赤みは消えていった。このことを家の地震予知者(妻)に言うと、その赤かった方向で地震が起きるという。最近は地震が多すぎて、どの地震に該当しているかわからないが、地震が起きると「言ったとおりでしょ」という。阪神大震災の折も、そして身近な小さな地震の際も、地震後に「向こうから地震がやってくる」と予知していた。予知といっても、地震の起きる数秒前のことで、予知などとだいそれたものではないかもしれないし、昨年の中越地震の際には、ほとんどわからなかった。わたしなんぞは、震度1から2程度では、地震があったかよくわからないタイプなので、予知者がそういえば、「そうかなー」といっている程度である。
 ちょうど家を新築する際に、阪神大震災があって、やたらに家の構造に予知者はこだわっていた。平屋建てなので、それほど気にすることはないのだろうが、そのためにずいぶん壁が多くなった。南側の明かりがよく採れる位置に壁をつくったものだから、今になって暗いだの、日があたらないだの文句をいっている。元来家にいる時間は、一生の間でパーセンテージは少ないし、家の予知者は単身赴任しているわたしより家にいる時間が短い。まあ、万全を期すということでは、気を使うことにこしたことはないが。田の字型の旧来の家は弱いということはよく言われるが、かならずしもそうとは限らないという専門家もいて、地震が起きてみないとわからない、ということも多い。
 長野県には内陸型地震を起すといわれる断層帯があちこちにある。へんな地形だなーと思っていたのが、松本市中山台であった。初めて見たときに、なぜあそこだけ尾根状態に突き出ているのだ、と思ったもので、案の定聞いてみると、県内でもかなり危険度が高いといわれる牛伏寺断層上にあたる。そこに何百という新興住宅が建てられているのだから、本当に地震があったとき、どうなんだろう。責任問題などわたしが心配することではないが、本気で心配している人もいるだろう。南部の伊那谷にも断層によりできた段丘が連なっている。それでもって、その段丘崖の下には、古くからの住宅が建ち、水道の普及により、水の便に気を使わなくてもよくなったこのごろは、その段丘崖の上に新興の住宅地が建ち並ぶようになった。断層段丘をめがけてけっこう家が並んでいるのである。いずれやってくる東海地震ばかりでなく、いつでも大規模な地震が起きうる。突然の惨事と背中合わせの暮らしである。
 家の予知者は、そういうことで地震に敏感である。したがって、静岡方面には行きたがらないし、もちろん、東京などもってのほかで、息子に「東京の学校には行くな」とよく言う。
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格差と妬み

2005-09-04 08:55:22 | ひとから学ぶ
 ものは考えようだが、人はそうはみてくれない、そんなことがよくある。このごろの暮し向きの格差は、報道されるまでもなく感じられる。田舎ではそれほどでもないと思いがちだか、意外に進んでいたりする。都会にいたっては歴然としてくるのだろう。総選挙の争点は郵政改革だというが、だだそれだけの判断で、独裁傾向にある自民政権が勝利をしてしまってよいのだろうか。とはいえ、他の政党も同じである。ここ数年のさまざまできこどは、低所得者に対して厳しい。負担をさせて国を守る意図はわかるが、結局は金と力に流され、格差が広がる。その格差を解消できる可能性が見えてこないからこそ、若者に活力がなくなる。連鎖反応は高年齢層にまで広がっていく。
 解散時には自民敗戦の声もあったが、いまや勝ち組のようである。よくわからないのが、同じ政党なら同じ判断をしなくてはならないのだろうか。法案とはよく審議されてのもので、それに対して解散せざるを得ないほど反対票があるということは、そこに利害だけではなく、国民の中にもさまざまな意見があることは見えてくる。そうした重要な問題であっても、いつまでもやっていたら改革が成し遂げられないからといって強行し、同じ党派なのに反対した人は制裁を加える、という考えは、正しいのだろうか。自民党というひとつの政党に席を同じにするのなら、一枚岩でなくてはならないのか。不勉強でよくわからないが、いずれにしても、落下傘候補といわれる刺客があまりにも目立っている選挙に、まさしく格好だけで人を選択する、この国の不幸が見え隠れする。例え落選したとしても、比例区の掲載順位を高く設定される刺客も多い。地道なこれまでの理論などいとも簡単に破棄される、それを国を動かす政治家がやっているのだから、負け組みあるいはその近辺にいる人々は、活力を失うのは無理もない。刺客から逃れて立候補しない年寄りもいるが、いずれにしても落下傘のごとくやってきた候補は、地元への貢献度や認識は極めて低い。これからの政治は、地元貢献形ではなく、地方にいて国政をかたる形なのだともいう。それなら選挙区も比例区もなく、一つにしてしまえばよい。ある落下傘候補がこういう。「わたしはサラリーマンの家庭に生まれ、サラリーマンの実情をよくわかっている」と。このごろの政治家は、地方にあってもかつてのように農家の生まれという人はいなくなった。地方の何が語れるのだといいたくなるいっぽう、それでいいのだというのが今の流れなのである。こうしてみてくると、農業の衰退は、さらに進むことは明らかである。
 このごろは暮らし向きの格差のせいだろうか。妬みのような空気が田舎にも流れる。「ものは考えよう」という感覚で、格差は格差で仕方がないと割り切り、暮らし振りを質素に、いわゆるスローライフ風(この風というのが重要)に暮らそうと思っていると、まだその感覚になく、今までの流れで暮らしながら、政治に期待している人々に妬まれているように思うことがよくある。暮らしに余裕があるのではないか、そう思われがちである。こちらは至極質素にと思っているのに、そうは人は見てくれないのである。隔絶した辺地でひそかに暮らす人々の気持ちがわかるような気もする。
 文明国アメリカのカトリーナ被害。格差が生んだ被害であり、大国アメリカってこんなもの?。という姿をまざまざ見せている。これって発展途上国の映像じゃないかと錯覚さえ覚える。日本の格差は、いつかこんな映像を流すことのないようしてほしいものである。
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安全な選択

2005-09-03 13:27:37 | つぶやき
 息子は今日、練習試合のため遠山へ行く予定であった。ところが、あまり行きたくないので理由を聞くと、顧問の先生の車で行くのだが、スピードを出すから嫌だというのである。飯田市内の学校へ練習試合に行った際に、ある場所で120kmも出したというのである。高速道路ではなく、片側2車線はあるものの一般国道である。道が良いので、確かに皆スピードを出す傾向はあるが、けっこう出すわたしでもその場所で120kmは出したことはない。土日の昼間であるから、そんなに出したら前の車にすぐ追いついてしまう。だいたい人、それも子どもたちを乗せてのこの運転、普通ではない。
 今日行く遠山は、かつては天竜川のある飯田側から伊那山脈を越えた遠山谷へ通じる道を赤石林道といって、細いうねった道を延々と登り、また下っていったところにあった(そんなところが今度合併して同じ飯田市になるというからなんともいえない)。そのころは、車の転落事故もあって死亡者も出ている。今はそんな危険なことはないくらいに道が整備されたが、それでも郡内では最も遠いところで、道も険しい。それでいて道が整備されたから、スピードを出そうと思えば100km超は簡単なもので、その道がずっとつながっていればよいが、急に狭くなっているところもまだある。常々の行動も常識を外れている顧問だけに、これでもっておさらばでは困る。今日は午前中が学校で部活。午後はこの遠山での練習試合。夜は夜で社会体育で練習。四六時中部活である。午前の部はもともと出ない予定であった。最も出たいのは内容の濃い夜の部。そこで問題の練習試合なのである。レギュラーとはいえ、常に問題派生している部なので、仲間となかなかうまくいかない。それでもってこんなに練習する部はほかにない。それなのに弱い。すべて顧問の不徳、とは顧問は思っていないだろうが、なにしろ問題顧問。レギュラーをはずされたくはないが、付き合っていたら大変なことになる。結論としては、行かないことにした。息子いわく「夜は行く。でもみんなとは会えないかもしれない」???。
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独裁者への道

2005-09-02 16:46:06 | ひとから学ぶ
 梅原猛氏がこういう。「マスメディアの主流が新聞や雑誌からテレビに変わったこともそのような(日本の民主主義が愚民政治に墜した傾向)風潮に拍車をかけている。テレビの視聴者にとっては、その政治家がいかなる思想をもつかというより、その政治家がいかに格好良く見えるかが問題となる」(信濃毎日新聞9/2朝刊「西の都から」)。考えてみれば、映像のない時代は、耳から、あるいは目(読む)から人々の主張を捉えていた。ところが、映像情報が常に身の回りにあるようになってからは、耳や目(読む)を使うよりも目(映像)によって、その主張をとらえるようになった。立派に見える人間は、人前で堂々とした発言をし、まず目立つことである。そんな流れは、教育の世界でも当たり前になっていないか。なによりも、発言をどうするか、どうイメージアップさせるか。そして、それは社会に入っても同じである。このような流れは、明らかに映像(テレビ)の普及であることはまちがいない。政治家が、あるいは政治家控え組みが、いかにテレビで格好良く見せるかによって、支持は異なってくる。地道な訴えなどどうでもよいのである。長野県の田中知事が、1年後には任期となり、選挙戦がある。来期も出るとは言っていないが、テレビで街頭の人々に質問すると、若い世代ほど、ぜひまたやってほしいという。中には、里帰りしていた人に質問していたら、「よそにいて目立っているからいい」と若い女性が答えていた。情けないとしかいいようがないのはわたしだけだろうか。梅原氏のいうように、とくに若い世代は、格好だけで人を選ぶ傾向がある。しかたのないことだろうが、このごろは、こどものころからいかに主張するかを教えてきた。そんな時代の子どもたちが世に出て、まさしく日本は本質よりも見た目の表層だけにとらわれはじめている。昔の主張と同じことを繰り返しているような政党は消えてしまうだろう。このごろは、テレビばっかり見ている年寄り世代も、若者世代に似た雰囲気がある。梅原氏は、こういう民主主義には独裁者が生まれるという。確かにそんな雰囲気のオピニオンリーダーが増えている。どうなってしまうだろう。
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