Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

選挙からみるこの国の不幸

2005-09-11 21:12:41 | ひとから学ぶ
 今回の選挙は、民放がいきなり予想議席数を表示した。わかっていることなら、NHKのように従来型でやるよりははっきりしていてよい。ただし、そこまでして大騒ぎするほどこの選挙は意味があったのだろうか。意味のない選挙なのに、この選挙を通してこの国の不幸がますます見えてきたように思う。
 長野県では田中という人が知事をしている。県政の変化を望んだ県民が、この人へ期待して選択したものであった。その田中知事が、国政に出て、いかに国の借金を減らさなければならないかということを主張した。とても県政は、県の自治はまともな状態とはいえないが、そうはいっても借金を減らすということに関しては、確かに田中知事の行動は評価できることであっただろう。しかし、今回の選挙で田中知事が表に出たことは、まったく評価できることではなかった。まずもってあわてて作られた政党という感は否めず、国政で評価を得ようとするには田中のイメージはまだまだ薄いということだったのだろう。にもかかわらず、田中知事の考えは、県内においては支持率が下がったとはいえ、いわゆる無党派層には指示を得ているはずである。しかし、いざ国政となると、県民の多くは何を求めたかということになる。
 市町村の合併にかかわる住民投票をすれば、ずいぶん反対が多い長野県である。にもかかわらず合併を推し進める国政に対して、何を求めようとしているのだろう。今回の選挙が、ただ郵政民営化だけで無党派層が判断していたら、この国は本当に終わりである。そうとは思いたくないし、他の要素を含んでの投票行動であったと思いたい。明らかな自民圧勝という報道のなか、この国民は、つまるところ自分のことしか考えられなくなった国民だと判断する。それは、たとえば民主党のいうように無駄な公共事業をなくせば、ますます景気は落ち込む。いっぽう自民党のように景気回復を感じさせようとすれば、公共事業はそれほど減らすことはない。そうやって目くらましをして、いっぽうでは増税したり、年金制度を変えて、間接的に人々の暮らしからその代償を求めようとしている。それを理解してか、あるいは理解しないでなのかわからないが、国民は自民党を選択するのである。そうしてみると、人の痛みを分けようという意識ではなく、自分がよければよい、という意識にこの国の人々は変化してきている。共産党とか、社民党のように、みんなでなんとか助け合おうなんていう政党は、国民のほとんどが求めていないのである。まさしく二大政党のなかで、民主党が負けたのである。従来からの地方で強い自民党に、中央でも強かった自民党が圧勝となるのである。いずれにしても、正確な結果は出ていないが、全国的には自民党の圧勝はまちがいないだろう。落下傘候補が簡単に集票することも許せないが、これが日本なのだ、とつくづく悟ったとともに、わたしの考えが一般的でないということもよくわかった。こんなところでいろいろ言っても愚痴に過ぎないとはいえ、この国は不幸な道を歩むことになる。
 この先、たとえば憲法が改憲され、戦争に行くようになったり、格差が大きくなったり、地方が切り捨てられても、今回の郵政民営化選挙が引き金になってほしくないというのが、心からの願いである。
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