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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

遠山谷の合併

2005-09-29 08:20:19 | 農村環境
 市町村合併があまり進まない長野県であるが、この10月1日に平成大合併のなかでは大規模な方になる安曇野市が生まれる。古くからある伝統的な市域よりも、こうして新たに生まれる市が、従来の市よりも人口的に大規模になることが、全国でもあちこちで発生している。しばらくしてみないと、市のイメージというものはなかなか見えてこないが、地域の中心市域をもっていた旧来の市は、ある意味脅かされることになるのだろう。同じ日に、南部の飯田市に、下伊那郡南信濃村と上村が吸収されるように合併される。本来は、人口の少ない自治体が密集する地域だけに、一郡一市構想というのが前提にあったが、かなわず、飯田市に隣接していた喬木村と、そこを解して伊那山地の向こう側の谷にある南信濃村と上村が一市三村による協議会が設立されていた。しかし、住民投票によって喬木村が離脱した際には、喬木村を通過しないと両村に通じないという隔絶した立地条件から、この合併の破綻が有力視されたが、飛び地に近い形で残った一市二村による合併が成立したわけである。
 いわゆる遠山谷にある二村が、飯田市に吸収されるのには、残念がる人たちも多いことだろう。それほど遠山というところは、飯田とは異なった文化や、立地条件を持つ。とくに伊那山地を超えた向こう側にある村というのは、地図で見る以上に距離を感じる。伊那山地は、標高1800m級の山々で、アルプスとまではいかないものの、木曾谷と伊那谷の村が合併するに近いくらい、隔たれている。そして、その両者が、トンネルで直接つながっているわけではなく、喬木村という村を解さないと行き来できないのである。古くは小川路峠といわれる、飯田市上久堅から上村へ通じる道が、遠山との交易の中心であったが、車社会となってからは、その道を通じた交易はなくなった。そんな環境にある自治体の合併なのである。そんな立地であっても、飯田市にたよらなければならないほど、両村は立ち行かないところまできているのかもしれない。飯田市の面積は、325km2である。いっぽう両村の面積は、合計334km2ある。飯田市よりも大きいのである。そして、人口でみれば現在の飯田市が10万5千人程度に対して、両村合計で2900人程度である。上村に関しては、下伊那郡に5つある1000人以下の村の一つで、700人ほどしかいない。
 まだ三遠南信自動車道の矢筈トンネルができる以前、赤石林道(昭和40年代に喬木村から上村に通じるこの道が開通して、それまで飯田線の平岡駅を利用して遠山を訪れていたルートが大きく変化していったが、当時としては広い道であったかもしれないが、カーブの連続ですれ違いもままならないような道である)を百回以上超えた経験のあるわたしにしてみれば、その険しい道を隔てていた村が天竜川側の自治体と合併するという事実に、感慨深いものがある。松本市に上高地のある安曇村や乗鞍のある奈川村が合併したが、この場合水系は同一だったし、入り口は明らかに松本市であった。しかし、遠山川は飯田市を流れる天竜川のはるか下流で合流する。そして山である。いずれ三遠南信自動車道が開通してさらに両者の行き来は改善するのだろうが、いずれにしてもびっくりするような合併である。
 上村には下栗という集落がある。そこから見える聖岳や上河内岳の風景は美しい。その下栗が、飯田市の下栗(写真)となるわけである。
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