Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

田切地形

2005-09-28 08:05:49 | 自然から学ぶ
 伊那谷の西側の山裾に近いところに居を構えるようになって、山側にできた広域農道を利用するようにり、国道をあまり通らなくなった。先日、この農道が片側通行になっていて、珍しく国道を利用した。
 伊那谷中部あたりの国道を通ると、地形に沿って国道がU字状に迂回する場所が何箇所かある。伊那谷は南北に天竜川に沿って展開しているから、一般的に南北方向に国道が走る。しかし、国道を伊那市から南下し、天竜川支流の中田切川に至ると、それまでの南北方向とは異なり、東西方向に約300m程度迂回することとなる。そして、その南にある支流与田切川にいたると、東西に1kmほど走る。かつてはこの支流の谷が深いとともに、荒れる川であったため、橋が少なかった。そんなこともあり、国道が唯一の南北を結ぶ道であったわけで、このあたりに住む人、あるいは通過する人たちは、避けて通ることのできない、「遠回り」であった。この川を迂回せずに跳び越している道がある。中央自動車道である。谷の上をいっきに橋でまたいでいる。同様の道が一般道でほしいといって、10年以上も前になるが、中田切川に広域農道の橋が架かった。公共事業が悪者のように捉えられて、テレビ報道もされた橋であるが、地域にとってはほしかった橋である。
 この迂回は国道に限ったものではない。JR飯田線も同じようにU字状に迂回していて、伊那谷中部を通過するにはけっこう時間を要す。中田切川の迂回を南に過ぎたところに「田切」という駅がある。無人の駅であるが、10年以上前には、マニアに大変人気の駅であった。「究極超人あーる」というアニメの題材にもなった駅で、無人の駅舎に「Rノート」なるものが置かれていたことを、当時この駅から1km程度のところに住んでいたこともあって覚えている。普段は車通勤であったが、時折使うJRの最寄の駅であった。実はこの駅、20年近く前になるだろうか、駅舎の位置が南側に100mほど移動して新築された。もとの駅はU字状に迂回した線路が、再び南北に向き始めるカーブ上にあった。このため、停車すると列車の先頭と後尾はまったく見えなくなる。線路の片側は山になっていて、もう一方は谷になっている。山側にカーブがかかっているため、車掌は、ホームを移動して確認しないと、ホームの人影が確認できないのである。電車に乗っていると、つり革がずいぶんと傾いている。これほど傾くほどなのだから、ホームと電車の間に空間ができる。年寄りや子どもにとっては、その空間がずいぶんと開いて見える。わたしもこの駅から近いところに親戚があって、子どものころこの駅を利用したことが何度かあったが、乗るときはもちろん、降りる時も怖かったものである。そんなイメージから「究極超人あーる」が生まれたのだろう。
 この迂回するということが、常の生活に大きく影響しているわけであるが、このあたりにはこの「田切」という地名がいくつもある。川の名前なら、中田切と与田切以外にも、大田切川、犬田切川、古田切川などがあり、その流域には、川の名前の地名が残っている。一般に水などがたぎり落ちるというようなところに語源があるといわれ、東京の目黒にも同じような語源といわれる「田切」があるという。30年ほど前にもそんな田切に興味を引かれ、新潟県の妙高高原町の「田切」を調べたこともあった。地図を見ると、そこにも川をU字状に迂回している国道18号の姿があった。自ら田切地形の谷底に生を受けて、そこで育った。常に北を望むと約80mくらいあるのだろうか、河岸段丘の崖が露わになった姿を見せていた。この谷の中を東西に風が吹き抜けることが多かった。そんな印象が強かったためだろうか、当時「歴史読本」(現在も発行されている月刊誌)に読者招待席という4ページくらいを占有できる投稿ページがあって、そこへ「田切」地名考と題して投稿したことがあった。その中で、南からやってきたバイパスは、与田切川まではトンネルや橋で南北に最短距離をとったが、ここで新路線は崖にぶち当たって、迂回するしかなかった。さらに北へ国道バイパスが計画されているが、この地形に悩まされるだろう、と記述している。この新路線ができて30年、北側のバイパスは今だできていないが、新バイパス計画が確実に少しずつではあるが進んでいる。いよいよこの崖を跳び越すことになるようである。飛び越してしまえば、通過する人たちにはこの地形に遮られてきたことを忘れていくのだろう。
コメント (5)


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****