Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

コンビニの世界

2005-09-23 12:10:28 | ひとから学ぶ
 コピー機の普及でも触れたが、コピーが一般人に当たり前のもとのいう認識を得たのは、コンビニのコピーサービスの影響だった。とくに、まだ図書館のコピーサービスが1枚20円とか、30円という時代に、コンビニが10円でできるようになって、図書館の料金が高いという苦情も多かったようである。ある図書館でコピーお願いした際、「ごめんね高くて」なんてこちらが思っていないのに先に言われたりして、そんなに気にしなくてもよいのに、と思ったことが20年近く前にはよくあった。当時は10円でコピーするというのは、採算面からきびしい話だったと聞いた。
 コピーに限らずコンビニの影響は大きい。長野安茂里差出の国道19号線沿いにセブンイレブンがある。駐車場は狭く、場所もあまりよい場所とはいえず、おそらくチェーン店のなかでは売り上げは格別に低いかもしれない。通勤途中のルートから少しはずれるが、帰宅の際に時折寄ることがあった。昨年仕事が忙しいとき、午前0時に近いころ寄ろうと思って行ったところ、店が閉まっている。「どうしたんだ、閉店したのかな」と思ったが、次の日に車で通りかかったら営業している。どうも夜間は閉めているのである。セブンイレブンで夜間閉めている店を最近知らなかった。セブンイレブンといえば7時から11時まで開店している、というのが当初の売りであった。オイルショック後深夜の電灯を消そうとか、テレビ放映も深夜は行わない、なんていう時代から、しだいにオールオープンという現在に進行し始める最初のころのことで、それが24時間営業へ発展していった。その始まりのころは、町のセブンイレブンは24時間営業でも、田舎のセブンイレブンには深夜営業をしない店もあった。現在では、山間部にあってもコンビにという看板をあげている以上は、24時間営業しているというのが、営業する側も買い物に行く側も認識している。そんななかでの安茂里のセブンイレブンである。
 このセブンイレブンに入ると、少し雰囲気が違う。店内は狭いが、一角に野菜を置いてあるコーナーがある。どうみても、八百屋さんの野菜という雰囲気で、もっといえば路上の無人販売所に近い雰囲気が、その一角に漂っている。最初それを見たときには、「こういうのフランチャイズ上だいしょうぶなのか」なんてよけいな気遣いをしたが、ほかにはない店であった。コンビにというイメージが確立されてしまって、コンビにといえば「こういうもの」と思い込んでいる自分に気がつく。数日前、千曲市のコンビニを訪れた際、同僚が「このコンビにおかしいんだ。店員の態度は悪いし、店員同士でしゃべっているし、頭にきたんで親会社に電話した」というのである。そこでお茶を買ったのだが、たしかにちょっとほかのコンビにと違う。まず気づいたのは、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」という言葉をあまり聞かない。加えて着ている服がほかのチェーン店と少し違う。私服でもなさそうだが、ちょっと違う。つねにこういうものだというイメージをもっているから、違和感があると文句もいいたくなるが、わたしたちはあまりにも同じものを要求しすぎているのかもしれない。同じチェーン店が、上水内郡信州新町にもあるが、この店もちょっと店員の対応が違う。山間部ということもあるのだろう。店員が世間話をしていて、なかなかレジがさばけない時がある。考えてみれば、コンビニの当初はそんな雰囲気があったが、アルバイトを使って一定の教育をするようになってから、全体的に共通化してきたような気もする。
 たまたまそんなことを考えていたら、地方新聞の信濃毎日新聞の9月22日版に24時間営業を扱った特集記事があった。住宅地内にあると、夜間照明のことや客の自動車の音など、周辺住民への気兼ねがある。いっぽうコンビニの繁栄で、スーパーなどの24時間営業への動きもある。あらためて、店ごとの自由な発想があってよいのでは、と思ういっぽう、それが営業不振につながっていくという現代の消費者の要求感覚が、どうしても一致しないだろう。心におおらかさとか、ゆとりがなくなった現象だろう。人を許せない世の中の雰囲気も、その現れである。ただ、これだけは思う。記事のなかのコメントにもあるが、「温暖化」防止のために24時間営業を見直したらどうかという意見である。この意見はさぞ今の流れに即しているが、ここまでわたしがつづってきた人々のこころの問題を、温暖化という決定的な理由で片付けてほしくないし、温暖化という言葉で消費者が納得してほしくもないのである。
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