Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

通勤という浪費を考えたい

2007-05-22 08:21:04 | つぶやき
 転勤して初めて飲み会があって電車で会社まで通った。電車を毎日のように使ったのは高校時代のことである。およそ30キロほど離れていた高校まで、電車を利用したわけだが、その時間は1時間以上を要した。当時はまだ国鉄時代で、赤字が常に話題になる飯田線であったから、「こんなに乗っていても赤字なんだ」と思うほど、朝晩の通学時間帯はお客さんが多かった。とくに朝方といえば、ギューギューという状態で、都会のラッシュとそう変わらないほどだったことも記憶する。その後飯田の事務所に勤務した際にも、飲み会というと時折電車を利用したわけだが、さすがに高校時代にくらべると、だいぶ空いてきていたが、すでに現在の民営化された会社運営となっていた。おそらく地方のこんな空いている路線は赤字なんだろうが、ドル箱の新幹線なんかが補ってくれているのだろう。

 それでも通勤通学の時間帯ともあれば、そこそこ満員なのだろうと伊那市まで電車に乗ったのだが、その空き具合に拍子抜けという感じであった。確かに飯田に向かうよりは間に駒ヶ根市があったり、高校も分散していたりする上伊那地域は、飯田に向かうとともにどんどん混雑していくという環境ではないことは解るが、それにしても向かい合いの4人がけの座席に半分くらいしか座っておらず、立っている人もいるが、全員腰掛けようとすればできないこともないほどの乗客数である。もっとも混雑するのかと思う伊那市周辺でも「少し混雑」程度の乗客数で、そのほとんどは高校生である。もっと通勤の人が乗っているのかと思うと、まばらである。伊那市といえば県の出先機関もあるから、そうした人たちが降りるのだろうと思いきや、10人余程度である。今や飯田線が通勤の足になっていないことがよく解る。

 この空き具合をみて、ふと頭に浮かんだのが、電車通勤である。これだけ空いているのなら電車通勤もいいじゃないか、と思ったわけだ。一人ひとりが自動車を使うよりは環境にも良いし、なにより「通勤の疲れ」でも触れたように、片道1時間近く車に乗っていることを思えば、さほど変わりない時間で通勤できるのなら、電車でも十分じゃないか、と思うのだ。くわえてわが社の通勤手当は、燃料費は出ても消耗品費はもちろん、自家用車の償却費は出ない。毎日60キロ走れば、年間1万4千キロ、5年で7万キロ近くなる。10年同じような通勤をしていれば、1台終わりである。考えて見れば今までこうして車で通勤した時代は、すでに20年近い。くわえて遠隔地で勤務した時代も、自宅に帰るために車を利用したわけだから、車はほとんど会社のために使っていたようなものだ。そう考えれば、いかに世のなかが温暖化のガスを無駄に排出しているかが解る。それほど人口の多い地域でもないのに、毎朝渋滞に悩まされることを思えば、ちょっと不自由ではあるが、電車を利用するのは自然のようにも思う。もともとわが社の場合は、残業による帰宅時間が想定できないことがあって、ほとんどが車通勤である。しかし、毎年赤字を累積しているような会社だから、そんなむやみに遅くまで仕事をする必要はないはずだ。公共交通機関を利用する方策を、会社でも考えるべきだろうし、「そんな時代」というのならそういう取り組みが必要ではないだろうか。もちろん、無駄なエネルギーを利用しないような人の配置は当たり前である。

 と、そんなことを思ったとき、環境がどうのこうの言う前に、車を多用することは避ける取り組みを田舎もしなくてはならないだろう。そして、意外に思った県の職員の車通勤だ。それだけではないだろう。市町村職員もほとんどが車通勤である。このへんの考え方を変えずに、「環境」なんていう旗を振るべきではないだろう。もっといえば、郊外にどんどん出店していった大型店や工場。田舎では車社会を助長している。コンパクトな街づくりとは、移動距離の少ない生活空間を形成することに始まる。それなのに、田舎はどんどん郊外に人の足を向けさせてきた。企業も含め、その責任は大きい。

 さて、若いころには格好も気にせずに、気楽に通勤できる車はとっておきの道具だった。加えてかつては仕事を持ち帰るとなると、けっこうな荷物だった。ところが、今はデータがあればさほど資料はいらない。歳をとって、人の目が気にならなくなった今、「電車で通ってもよい」という気分に素直になれるようになった。社会に出て初めて、そんな通勤を始めようと、今思っている。
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