Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

絶滅危惧「文房具屋」

2007-05-23 08:15:06 | ひとから学ぶ
 昨日、伊那市内の昔からある文房具屋さんに寄ってみた。その店は、かつて会社で事務用品を頼むときによく利用していた店である。その当時はあちこちの会社の事務用品などを取り扱っていたのだろう。今もけして扱ってないことは無いのだろうが、店内を見回して、かつて生まれ育った町にあった今はない文房具屋さんよりも、さらに品物が並んでいない。その店の現実を、なんとなくではあるが感じたわけだ。かつてよく聞いたそんな文房具屋さんの名前を、会社で聞くことは今はない。今や事業所において、地元の文房具屋さんを利用しているところがどれほどあるのだろう。わが社だって通販利用で、宅配ですべて送られてくる。特殊なものはともかくとして、消耗品にいたっては届けてくれるのはすべて宅配屋さんである。これでは地元の文房具屋さんが落ちぶれるのは当たり前である。いかに経費を節減するかが問われているから、安いものに皆が手を伸ばす。地元から店が消え、閉じられた家が並ぶのは目に見えている。安ければよい、税金は無駄に使うな、という世界がこんな空間を作り上げてきた。「矛盾」という言葉を上げるまでもない。

 以前に筆記具のことについて触れたが、わたしはマイペンをいくつも持ち歩く。けして高価なものではなく、使いやすいものを買う。だから文房具屋にはしょっちゅう訪れる。前述のような文房具屋は、町に必ずひとつやふたつはあった。学校があれば、子どもたちが毎日のようにそんな店を訪れていたものだ。そういう意味で、学校の存在も大きかったのだろうが、今や学校でもそんな文房具屋さんをあまり利用しないのだろう。子どもたちだって親が買い与えれば、それほど文房具屋へ足を運ぶこともなくなるし、今や買い物といえば車だから、郊外の安売りの店に行ってしまう。それでも昔から町にあった大きな文房具屋さんで、今もしっかりと営業している店もある。飯田市銀座にあるキング堂なんかは、マニャックなものもいろいろある。だから時々足を運ぶ。大型のホームセンターなんかでも文房具を豊富に置いているところがあるが、品数の多さでは、今も盛んに営業している専門の文房具屋さんには負ける。だからこそ、わたしもそうした店へ足を運ぶ。生家のあった町にもそんなに大きくはなくとも楽しい文房具屋さんが何十年も前にはあったが、今ではない。そうした店は、すでに絶滅危惧と言ってもよい。駒ヶ根市にある森文具も、けっこういろいろ品を揃えているが、なかなか車時代には合わない交差点脇の店ということもあって、顔を出すが、他にお客さんがいることは最近めっきり減った。残念でならないが、絶滅しないことを望むばかりだ。

 長野市にいた際、事務キチに何度か足を運んだが、確かに安いが、文房具屋さんという雰囲気ではない。ホームセンターはだいたいどういう品が揃っているか予想がつくから、たまに事務用品を置くスペースに立ち寄るが、期待を裏切ることが常だ。そんななか、松川町にある「すまいる」という店は変わっている。大量に品を揃えているわけではないが、よそに無い、とくにわたしがたまに足を運ぶ文房具専門店にも無いような不思議なものを売っている。そんな店を見つけると、裏切られることが常でも、さまざまな文房具売り場を歩いてみることが必要だと気がつく。
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