Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

どうでもよいでは済まないのだが

2007-05-09 08:27:49 | ひとから学ぶ
 このまま憲法を変えずに日米軍事協力を強化していって、名ばかりの憲法と化していいのか、それとも新たなる日本国民による憲法を組み立てるのが選択として正しいのか、という二者択一の選択ではないことは、多くの国民は解っていながら、議論する余地のない一般人の日常に、憲法はどうでもよいことになっている、というのが事実だろう。改正肯定論がこれほど漂っているのだから、そんな国民は押し付けられた憲法ではなく、自分たちの憲法を制定することがあたかも正論だと思わされている節がある。日々の暮らしに追われるとともに、これほど地方と中央が空間的には近くなったにもかかわらず、住民の声はますます遠く離れつつある。同じように人々と政治は離れたものになり、「どうでもよい」という雰囲気はさまざまな選挙の投票率をみれば理解できる。たとえ投票率が上がろうとも、「どうでもよい」と思っている人たちに、深い意図はない。投票率が上がればよい、なんていう問題ではなく、いかに人々が真実を見ることができるか、ということを国民は問われているように思うのだ。その上で国民が政治に騙されたとしても、それは自業自得というもので、真実を見ていた人たちは愕然とするかもしれないし、また拍手を送るかも知れないし、やはりどう転ぼうと「どうでもよい」の方が正しそうに見えてきたりする。

 今参議院選挙の争点を「憲法改正」で行くという安倍総理。言葉だけを聞くと憲法改正に対する是か非かという争点のように聞こえるが、これだけの争点だったら国民は自民党ノーとは言わないだろう。世論からして改正論者の方が多いのだから、自民党圧勝ということになる。「上手いなー」というのが印象であって、これほど護憲に対する盛り上がりがあっても、改正の是非だけでは相手にならないことを承知の上での争点なのだ。憲法改正の先にある思惑まで是非を問うているわけではないのに、国民は結局それすら肯定することになりかねない。何より争いの相手も憲法改正に対しては足並みが揃わない。当たり前といえば当たり前で、改正是非だけでは判断できないさまざまな内容を含んでいる。本当は憲法改正の先にある9条改正とか、安全保障を焦点とするのだろうが、国民に憲法は自分たちのものなんだという是非で問おうとしているのが上手いところなのだ。そのやり方に批判もあるが、まさに安倍総理の企みに政治も国民も惑わされているわけだ。改正憲法が明確に示されずに、さらにはでは改正の重要な意図に添って何がどう変わるのか、あるいは何を重視してどう行動するのか、ということは何も示されていないのに、争点もへったくれもあったものではないはずなのだが・・・。このあたりのやり口は、小泉流を受け継いでいるのかもしれない。

 盛んにテレビ番組なんかでもそうした憲法に関する話題を取り上げているが、どちらかに片寄ったものになりがちである。それも当然のことで、このごろの議論は両者間が相容れるような内容にはならない。ようは水と油のような番組になってしまい、まったく話にならないのだ。議論がなかなかできなくなったという印象はこと政治の世界ばかりではない。人の意見を解釈できない、あるいは議論することを好まない、それがまた「どうでもよい」という雰囲気を漂わせる。
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