Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

何がどう「もったいない」のか解っているのか

2007-05-10 08:20:20 | ひとから学ぶ
 「農業構造改善」2007.5号に〝「もったいない」再考〟(農政ジャーナリスト・岸康彦著)という記事があった。専門誌の記事だから、素人、常人には解らないほどその世界にいてある程度唐突に書き始めても理解してくれる、というのが前提で記事は始まる。だから、ちょっと解りづらいのだが、ようは、暖冬で野菜が過剰になって、それをニュースなんかで畑に廃棄して公金を使っているのが「もったいない」とお叱りを一般から受けていることに対しての記事のようだ。では「もったいない」ならどうすればよいのか、といえば、消費者がその廃棄分を消費してくれるというものではない。もっとも合理的で、もったいなさがない行為としては、廃棄せずとも人様の口に納まれば、それが最善の策だ。ところが、言う方はただ「もったいない」というだけで、現実的にどうすればその「もったいない」が解消できるのか、といえば案はないのだ

 岸氏は、こうした報道に対しての情報提供が農水省として不足していたという。その一つは公金が支払われているなどと言われるが、それらの原資は生産者自らが積んでいるものであって、ようは補償のようなものなのだ。それをあたかも公金ですべて支払われてこんなもったいないことをしていると知れば、無知な人たちだって言いたくなる、というものだ。そして二つ目に、「廃棄」という言葉である。現実的には、ゴミと同じように焼却されるようなものとは違う。農地に戻すことによって還元させているわけで、生産者の悲しみの声(実際生産者だって泣きたいとは思うが)を誇大化するイメージで報道してしまうから間違いが始まるわけだ。せめて「農地還元」という言い方ができなかったのか、と言っている。

 岸氏は締めくくりにこんなことを言っている。「パーティーなどで大量の料理が余るのは相変わらずの光景である。それを堆肥化して畑に還元する試みも徐々に定着しつつあるが、そのために費やされる手間や費用を考えれば、初めから余らせない方がいいに決まっている。さらに言えば、外国で生産された農産物を、大量の化石燃料を使ってはるばる日本まで運んでくることは「もったいなくない」のか。」と言う。まさにその通りで、わたしが良く言うように、生産者と消費者はより近いほど無駄がなくなるということと同じだ。生産者と消費者が同一なら、こんなことにはならない。ところがさまざまな仕事が分化していくから、それぞれの分野での価値観が優先されてしまう。確かに経済性は安価な方に向くだろうが、では、環境を騒いでいるあなたたちはどちらを選択しているのか、と問いたい。
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