Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

擦鉢窪カール

2007-05-14 08:19:44 | 自然から学ぶ


 雪形が現れてくると春というよりは、もう初夏ということになるのだろうか。亡くなった松村義也さんの『山裾筆記』(信教出版)の雪形の項にそんなように書かれている。雪形が美しい季節になった。そんな雪形を追ってみると、広い範囲で見られる雪形というものは限られてくる。尾根のような場所であれば飛び出ているから割合広い範囲で見ることができるが、窪んだようなところに現れるものは、周りの凸部が邪魔して見えなくなる。そんな典型的なものが、中央アルプス南駒ケ岳の擦鉢窪カールに現れる五人坊主といわれる雪形だろう。カールそのものの認識は、かなり広い範囲で確認できるが、その中に浮かぶ雪解けした凸部は小さく、加えて横に並んで表現されるから、尾根の飛び出しが邪魔して五つの坊を確認できる範囲は限られる。正面に位置する飯島町では広くその姿を確認できるが、それでも駒ヶ根市境に至ると見えなくなる。カールそのものが南に傾斜して展開しているため、むしろ正面より南側の方が姿がよく見えるのだ。そんなこともあるのだろう、この雪形が現れると大豆を蒔くなどと農事暦として利用している声は、中川村でよく聞くことができる。

 今年の雪形の姿については、別ブログで紹介しているので、そちらに譲るとして、5/12、代掻きが盛んに行なわれていたこの日の早朝、久しぶりに陣場形山まで登ってみた。さすがに人がいないから、山頂でゆっくり観察することができた。山頂に有志で据えつけられた望遠鏡は、無料でのぞくことができる。人がいるとなかなかのぞくこともできないから、今まで望遠鏡から眼下をのぞいたことはなかった。そういえばいつから据えつけられたのかも認識していなかった。何度も訪れているのに、その存在に初めて気がついたような気がする。雪形から眼下の風景まで一通りカメラに納めていたが、ふと、デシタルカメラは顕微鏡に接眼してその写真を撮ることができることを思い出した。同様に望遠鏡でも簡単にできるはず、と思い、窓にくっつけてみると、ピンともまあまあという感じにみごとに望遠鏡の世界が再現できた。もちろん、小さな窓にくっつけているから、実際は周辺に黒く丸い影が写ってしまうが、それはトリミングすればよい。そうして撮影したものが冒頭の擦鉢窪カールである。先日「五人坊主現れる」なんていう地方紙の見出しを見たが、まだまだ五人坊主にはなっていない。それでもこの雪形、これから周りの雪が消えるまで、どんどん坊主の大きさが大きくなって、長い期間見ることができる。だから、農事暦として利用されていたというが、どの段階を捉えて「現れたら」と言ったのだろうか。この形でも「現れた」と言われるかもしれないし、もっと完全な形にならないと「現れた」と言われないのかもしれないし、どうだったのだろう。こうした雪形の記事はたくさんあるが、意外にもその時間的変化を捉えたものは読んだことがない。

 さて、擦鉢窪カールにの下の方に、擦鉢窪非難小屋が小さく見える。そして、そのすぐ下から大崩落が始まる。百間ナギである。さすがに望遠鏡からのぞく世界は、その自然の姿をよく見せてくれる。今まではただ山頂で肉眼で下界をさぐっていたが、こんな楽しみがあるとは知らなかった。山頂までわが家から30分ほどだから、この楽しみをたびたび味わいたいと思っている。
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