Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

名前ばかりの観光県

2007-05-06 09:33:17 | ひとから学ぶ
 「長野県政タイムス」4/25号のマルチ・シンク欄において、“長野県観光の「売り物」は何なのか”と投げかけている。県の企画局が4/4日に、東京、中部、大阪の3大都市圏を主な対象に、県内観光地の認知度や満足度を調べた調査結果をまとめたことについて、信濃毎日新聞Webページで4/5に触れていたが、「温泉のお湯の豊かさ」や「スキー場の雪の質」など観光資源そのものへの評価は高い半面、宿泊施設の「食事」「設備サービス」などの満足度が低い傾向が浮かび上がった、と述べている。そんな調査結果に触れてこのテーマを掲げているわけだ。そんな県政タイムスの見出しを見てなのか、読売新聞の5/3Webページにも同じアンケートに触れた記事が掲載された。その記事を転載すると、

「宿泊施設と食事はいまひとつ 県観光調査」
(前略)
 別所、昼神、白骨の3温泉地について尋ねた「温泉」の項目では、「お湯の豊かさ」「温泉の効用」といった温泉そのものの評価では、重視度と同程度の40%前後の満足度を獲得したが、「宿泊施設の食事」は、重視度61・8%に対し、満足度は13・1~21・2%にとどまった。

 また、志賀高原と木曽・御岳、奥美濃(岐阜県)、湯沢・苗場(新潟県)の4エリアを比べた「スノーリゾート」では、ゲレンデの広さや雪質で、満足度が重視度を上回るなどしたが、県内2エリアの「宿泊施設の食事」や「宿泊施設の設備サービス」は満足度が重視度を最大で20ポイント近く下回った。

 安曇野や戸隠高原などを対象にした「高原リゾート」でも、「宿泊施設の食事」「宿泊施設の設備サービス」の満足度が、重視度を20~34ポイントほど下回り、善光寺や高遠城址など「観光名所」でも同様の傾向が見られた。
(後略)

という具合で、どうも食事の満足度は低い。県政タイムスによると、食事だけではなく、スキー場の設備サービスの項目でも満足度は低いようだ。

 長野県は観光県といっても差し支えない。そして県も観光に重点を置いているようだ。実は「消えた村をもう一度」と題して観光パンフレットを紹介してきているが、昭和50年代の観光パンフレットを見る限り、長野県内の各市町村で発行していたパンフレットは、他県のものより立派で、あか抜けていると印象がある。しかしながら、実際のサービスはどうだったのか、と捉えると必ずしもパンフレットほど内容は濃くなかったのではないだろうか。かつてのパンフレットには、かなりマイナーな文化的な部分まで掲載して、ひなびた農村を色濃く示している。しかしながら、写真などで紹介したそれら農村が、今も同じようにパンフレットに登場していたら、癒しを求めるようになった日本人には、ことごとく気に入られたに違いない。しかし、そうしたかつてのパンフレットに掲載されたような素朴さは、現在の観光の世界からは消えてしまった。素朴でありながら、その素朴さは大事にされずに、ことごとく消されてきたように思う。それもやり方、あるいは認識の度合いであって、工夫しだいではどうにでもなったはずなのに、目先のものに捉われてしまった感は否めない。

 仕事がら県内のあちこちを歩いた。そしてあちこちの観光地に宿泊した。そうした中で、料理が期待以上に良かったという印象は、ほとんどない。だから、金額にもよるが、「期待するのはやめた方がよい」という感覚が見についてしまった。ひとそれぞれ趣向が違うから、誰もが満足するなんていうことは無理だ。しかし、だからといって手を抜いてしまったら観光県が笑われる。長野県らしい山のモノで食事が提供できればよいと思うのだが、そのほとんどが県外からの食材をメインとしている。いや、昔のことで今は変わりつつあるのかもしれないが、「らしさ」という意味ではまだまだ自分の土地を理解していないのではないか、という印象は抜けない。特に観光産業と提携しているような場での食事は、より一層長野県の特色を出さなくては、こうした評価はあがることはないだろう。とはいえ、その傾向は他県でも同じかもしれない。しかし、観光県という看板を上げているという事実に対して、その期待の裏切り方は並ではないと思う。

 ある地域のひとつふたつの宿の食事が満足できるだけではだめなのだ。地域全体が満足できるような姿にしていかなくては、変わることはできない。
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