Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

顔の見えない隣人

2006-01-25 08:12:21 | ひとから学ぶ
 赴任先で住んでいる家の横で、新規にマンションを建てている。マンションということもあるが、基礎工事からコンクリート工事と、けっこう振動や騒音がする。もちろん、施工業者の工事担当者は、周辺住民への説明会に始まり、振動や騒音が起きるような工事の前には、各戸にチラシなどを配布して、迷惑をかけることをお詫びしている。それはそれでよいのだが、わたしなどはそこに定住するわけではないから、「あー、そー」程度で捉えるが、もし、定住していたとしたら、やはり気分はよくない。
 わたしは自宅を知らない土地に建てたわけであるが、分譲地ではなかったので、周辺の方に造成する際にも、建てる際にも、それぞれ家に出向いてお願いをして歩いた。もちろんそこで永住する予定だから、つきあいという面で最初から汚点を作ってしまってはいけないから、それなりの気持ちをこめてのことである。ところが、集合住宅であって、建築時には誰が住むともわからない状態で建てられるとなると、住む人の顔が見えないということは、不安の始まりなのである。たとえ、工事担当者が良い人で、気分が良かったとしても、その人が住むわけではないのである。そして、そこに住むようになる人は、わたしが経験したような周辺への気遣いは、ほとんどしないまま住み始めるわけである。あとから住み着く人はよいが、古くから住む人たちには、いまひとつ晴れないものがあるに違いない。
 分譲地へ済みはじめる人と、旧来からある集落の人たちが仲良くやれないという例はいくつも聞いたことがある。いっぽうでうまくやっているという事例も知っている。古い地域に一軒だけ入り込むことにくらべれば、分譲地というかたちで入り込む方が、同じ境遇の仲間がいることで入りやすい。受け入れる地域の規模や、分譲地の規模などが、微妙にその後の地域形成に影響したりする。日々のつきあいは、後までも負担となっていく。そうした現実を踏まえながら、どう地域に入っていくかということで葛藤する。戸建て住宅というものは、分譲であってもそんな悩みがある。マンションができるまでの空白は、人の顔が見えない不安の世界である。そんな周辺に誰が来ようと自由だという意識が強い町場では、なかなか生きていけないわたしである。
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