Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

学生服はいつ使う

2006-01-24 08:16:08 | つぶやき
 教育懇談会の話をしていて、家でこんな話もあった。昔は中学生といえば学生服を着ていた。今も学生服が私服に変わったわけではなく、学生服というものを持っているが、あまりその姿を見なくなった。とくに学校生活ともなれば、学生服など着ていない。ご存知のとおり、ジャージ姿なのである。いつからそんなことになったのだろう。昔なら、学生服で授業を受け、体育の時間、あるいは運動系の部活ならそのときだけジャージに着替えた。ところが、今は、学生服で通学したとしても、学校に行くと、体育でもないのにジャージに着替え、そのまま一日中いる。人によってはそのまま帰宅する。まあ、わたしなんかも着替えるのが面倒くさいから、家を出て帰るまで、一日中作業着を着ていることが多い。なにしろ着替えるのが面倒くさいから、そのままの姿でいられれば、それにこしたことはない。しかし、中学生が体育もないのになぜジャージ姿なのか、不思議で仕方ない。「学生服なんていらないじゃないか」とは、わたしの言葉であるが、しかし、入学式、卒業式はもちろん、音楽会、生徒会などあらたまった時に、ジャージとはいかないのだろう。そうしたときのために学生服が登場してくる。
 わたしの予想では、学生服を着ていて、体育だといって着替えるとなると、時間がかかって授業時間がなくなってしまうということがその要因ではないだろうか。息子を見ていても思うのだが、なにしろとろくさい。簡単なことなのに手間がかかる。だからといって、大人が手を出してしまっては、ますます何もできなくなる。どんなにスローモーだろうが、我慢をして待つ。それも大事だと思うのだが、そうはいっても「なぜ」こんなに遅いのか、と思うことはよくある。息子だけかと思うと、どうもそうでもない。
 わたしは知らなかったが、妻が言うには、今は剣道着をつけるときには、手ぬぐいを前からかけて後ろで縛るという。剣道独特の後ろからかけて前で縛り、上へ捲り上げるというまき方はしないという。さらに剣道着は縛らなくても良いように、マジックテープ方式になっているという。今の子どもたちに昔の防具をつけさせると、それだけで時間がなくなってしまうともいう。びっくりである。
 弱いものを見るといじめる。思いやりなどない。好きなことしかやらない。我慢しない。わかりきっていることではあるが、こうもひどいとどうにもならない。かなり地域差、学校格差もあると聞くが、これが田舎の子どもたちの現実である。都市部、あるいは都会の子どもたちはどうなのだろうと思うとともに、田舎の子どもたちでは、都会の子どもたちに太刀打ちできるものがほとんどないことに気がつく。だいたい田舎には、十分に土があり、空間があるにもかかわらず、公園が無いとか、遊び場が無いとか、わけのわからない贅沢を言う大人がもっといけない。なぜ自然と親しむ場をわざわざ作らなくてはならないのか、そして、なぜ今の環境で工夫させることをさせないのか。
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