Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

勝手な論理だけでは通らない

2006-01-17 08:12:36 | ひとから学ぶ
 2年半ほど前の信濃毎日新聞で、「ずく出して自治」という記事を特集していた。そのなかの「住民自治組織の未来」において、下伊那郡高森町へ東京から越してきて、自治組織に加入せずに自治とは何かを熱心に考えていた人の記事を載せていた。彼は東京から移り住んで、そのときから常会に加入せずに独立世帯と名乗っていた。ところが、この記事を特集するころ、町民は常会に加入するように、という条例を可決した。市町村合併に疑問を呈し、自律の方向を示していた高森町にしては、個の自由を奪いかねない大胆な条例を可決したことを、わたしもよく覚えている。この町も、町長の合併しないという強い方針があって、周辺の小村から合併を申し入れられながら断るという、わが道を行くという色を出していた。飯田市に隣接しているという条件から、新規住宅が増えているにもかかわらず、古いしきたりを色濃く残している町でもあった。
 そんななかで、合併問題がクローズアップされ、住民の中からその議論が出てこない状況に疑問を投げかけたのが、移り住んだ彼であった。「町民みんなが自治会に入らなければならない。そうした横並び意識のままでは、一人ひとりが考え、判断できる〝個の自律〟から始まる自治はつくれないのではないか。住民の合併議論が乏しいのも、結局はそこに根ざしていると思えた」という。実は彼は、移住前から遠山谷に何度も足を運び、祭りを撮り続けていた。そんな縁があってのことか、この伊那谷に住まいを置くことになったのだろう。記事にもあるが、常会に入るか入らないかについては、悩んだに違いない。しかし、個の自律にこだわる欧米の友人の言葉にさとされて、自治組織へ加入しなかった。確かに常会組織というものは、戦争を期に形成されてきたものであって、反戦を唱える人たちにとっては、戦争の遺物ととらえるだろう。そこのところが、大きな悩みであっただろう。
 自治組織の末端であるこうした組織が、どうあるべきかというところは、その組織を利用する役所と、自治組織によって制約を受ける住民とで語られたことはないだろう。しかし、だからといって個人の自由を優先するようになった田舎が、地域における〝つきあい〟という部分でかつてより改善されたのか、それとも悪くなったのかを冷静にみてみると、メリットも当然あるが、デメリットに引きずられて、元へ戻れないような個人主義を育ててしまったことは事実である。単に戦争を事例にとって、現在の自治組織へ加入せずに反旗を振っても、理解されない部分は多い。いずれ、時がさらに進んだときには、そうした考えが受け入れられるときもあるだろうし、反面、今の防衛感覚が増幅していくと、逆の方向に向かう可能性もある。したがって、過去を「悪」として自治の話に持ってくるのではなく、現実の田舎でのあり方を独自の考えで展開する必要があるのではないかと、わたしは思う。ここは欧米でもないし、東京でもないのであるから。
 とは、当時の新聞を読んでのわたしの感想だった。
 さて、彼はその後の町議会議員選挙に立候補した。地域推薦というかたちで出馬するのが一般的な田舎で、無党派の候補が地域推薦なしで出るというのだから、この町の現状を知るよい機会であった。結果は、最下位で落選であった。かなり票が少なかったように記憶する。そして、先日の町長選挙で、議員補選が同時に行なわれ、再び出馬した。結果はやはり落選ではあったが、1名の補選で全体の3割くらいの得票だった。人々は活動とか言動をみているから、ある程度彼を評価している人もいるんだと認識したが、いずれにしても、勝手な理論だけでは通らないということも改めて認識した。
 実は遠山で彼が写真を撮っている際に、同じ場に居合わせたことが何度もある。とても印象はよくなかった。わたしのようにあまり表現が大きくない、目立たない人間にはどうも苦手である。もちろん同じ場に何度もいるのだから、ある程度顔見知りになってくるのだが、こちらが頭を下げても反応を示さない人だった。東京から田舎に来ているからだろうか、田舎者には簡単にはふところは開かないぞという印象であった。おそらく当時の彼とは変わっているとは思うが・・・。
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