Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

飯島町のこと

2006-01-11 08:20:42 | 自然から学ぶ
 昨日、昭和57年の伊那市方面を望む写真を思い出してみたが、同じ日(昭和57年1月3日)同じ場所で撮影した写真があったので、それについてもあらためて見てみる。写真は縦アングルで撮ったものを、下部の陽がまだ当たらない暗い部分をカットして2枚を合成したものである。写っている地域は上伊那郡飯島町である。
 東から西に向いて撮影している。まず山の峯であるが、左手のそれほど冠雪がみられない頂が烏帽子岳である。その奥に冠雪がある山々が続くが、雲がかかっているあたりに念丈岳(2291m)、越百岳(2613m)、そして仙崖嶺、南駒ケ岳(2841m)、赤梛岳と続き、最右端にある頂が空木岳(2864m)である。南駒ケ岳と赤崩岳の間の手前窪みがカールである。これらの山の向こう側は、木曽郡大桑村にあたる。さて、南駒ケ岳から下ってくる谷が左手に降りてきているが、これが与田切川で、わたしはこの谷の中で生まれ育った。南駒ケ岳の下部にある百間ナギといわれる大崩落は、現在も侵食が続いていて、大洪水によっては下流域に被害を与えるといわれている。撮影した当時は行なわれていなかったが、数年前より国土交通省によって流路工の整備が行なわれている。この川の左手が飯島町七久保(昭和の合併以前は七久保村)、右手は飯島町飯島である。右手に与田切川ほど谷は深くないが、谷があるが、これが郷沢川である。そして、手前の陽の陰っているあたりの下に天竜川が右から左に流れている。左端中ほどの家が密集しているあたりが、標高700メートル弱。中央の家が密集しているあたりが標高650メートルほどである。
 少し地形の特徴を見てみる。
 ①与田切川に沿って段丘が2段程度見える。そのまま天竜川に沿った段丘につながっている。この河岸段丘がいわゆる田切地形というやつである。下端のやや左よりの水田地帯を左におっていくと、白く河原が急に見えるが、この河原と水田は標高差50メートル以上ある。水田からいきなり崖になっている。
 ②中央アルプスの山裾に段丘が見える。わかりずらいが、中央やや下のあたりの水田地帯に森林線が左から右へやや下りながら見えている。その森林線は与田切川を渡って七久保川まで続いている。これは伊那谷を南北に三つ走る断層段丘の山側の段丘である。
 ③中央やや下側にある市街地の中にも途切れているが森林線がほぼ水平につながっていて、右手に続いている。郷沢川の谷の中にもその森林線が続いているが、これが三つ走る断層段丘の真ん中のものである。
 ④そして、写真にはかけらしか写っていないが、郷沢川の最下端のあたりに横に森林線が続いているように見えていて、左手に陽の陰った土地が見えている。このすぐ下あたりにその森林線は続く。これも断層段丘で、天竜川に沿うように走っている。
 このように断層段丘が延々と続いているのが、目視できるのが特徴といえるだろう。

 つぎに公共物について見てみる。
 与田切川の中ほどに橋が見える。この橋は中央自動車道の与田切橋であり、ほぼ横に七久保側は水田地帯の中を、飯島側は山裾へ続いている。左下の与田切川に続く水田地帯の中を道路が斜めに右へのぼり、段丘下を西へ向かっている。与田切川と同じ平らに集落が密集しているところを西に向かい、その密集の上あたりで与田切川を渡る。そして、飯島側を東に向かい、市街地がある段丘の下側を段丘崖に沿って道が続いている。この道が国道153号線で、かつては名塩国道といわれた。「名」は名古屋、「塩」は塩尻のことである。左下のその国道が走る平らから段丘を二つあがったところに少し家が密集しているところがあるが、ここにJR飯田線の伊那本郷駅がある。鉄道は、与田切川の谷を国道と同様に西へ迂回し、国道の橋よりは東側で川を渡り、飯島の市街地の下側あたり、写真をつないでいるラインの右手あたりにある飯島駅と続く。現在は中央自動車道と国道の間に広域農道というものがあるが、撮影したときにはまだなかった。
 中央自動車道の与田切橋の上あたり、飯島側の段丘が七久保側に続いているといったが、七久保川の太目の森林線の上、小高いところに少し耕地が見える。その耕地の右手、与田切川の崖上あたりに千人塚といわれるところがあり、城ケ池というため池がある。かつて冬季間が寒かったころには、この池が伊那谷のスケートのメッカであったが、今は厚い氷が張らなくなり、スケートも廃れた。
 撮影した昭和57年というと、全域で行なわれたほ場整備がほぼ終わったころである。広域農道が今はあるが、それほど今と変わらない姿である。
コメント (2)


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****