Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

フィルムカメラ事業の撤退によせて

2006-01-30 08:18:10 | つぶやき

 「カメラ業界 フィルム事業縮小…愛好家に波紋」というトップがYAHOOのトピックスに見えた。ご存知のとおり、世の中はデジタル全盛というよりも、扱いやすさからデジタルがあたりまえという時代になった。ファインダーからのぞく世界は、デジタルもフィルムも変わりない。とすれば、写し出そうとするイメージは、どちらでもよいことになる。扱いやすさや経済性を考慮すればデジタルだけになっても致し方ないことである。デジタル化、そして携帯のカメラ化は、明らかに画像を身近にしてきた。それほど古い時代のことでもないのに、もうずいぶん昔からデジタルだったような錯覚に陥る。本当に世の中が早い移り変わりをするから、記憶にある世界が昔なのかいつのことかも忘れられてしまう。
 先ごろニコンが一眼レフの製造を2機種のみに縮小するという報道があったし、コニカミノルタがフィルム・カメラ事業から撤退という残念な記事も見えた。もともとコニカといえばフィルム会社として富士フィルムと争っていた。富士の市場割合があがるとともに、コニカのイメージは薄れていき、ミノルタと合併した。そのミノルタも、カメラ業界に一時代を築いた。とくにミノルタが全盛であったのは、オートフォーカスカメラを発表してからの数年であった。α7000というカメラの発売は、世の中を驚かせた。一眼レフといえば、手で焦点を合わせるのがあたりまえだったそれまでの常識をひっくりかえしたのだから。これを機会に、一眼レフカメラは誰もが持てる時代に変わった。動く被写体、あるいは一瞬の出来事を的確に写し出すには、焦点を合わせる時間は、絶好のチャンスを逃す要因になっていたが、自動焦点方式は、そうしたロスをなくすとともに、誰もが撮ってもそうした要因に左右されずに差のない写真が撮れるようになった。わたしも撮りたいときにすぐに撮れるということが魅力で、α7000をいち早く手に入れた。一時は品薄になるようなカメラであったが、世間がそんなカメラに目を向ける以前に購入した。昭和60年のことである。また、今でも手元にあるレンジファインダーカメラもミノルタのものである。以前にも書いたが、働き始めて最初に手に入れたカメラである。カタログも、カタログに付属していた広告も、今も大切に持っている。「男の拘泥り」と字が躍る広告には、次のような文がつづられている。

 近頃、クセが無さすぎる。皆が、群れに溶け込んでいる。
 自分であって、しかも自分でないような、曖昧な気分が多すぎる。
 私は、せめて自分だけの色、自分だけの道を持っていたい。
 ただし中身が無ければ、たちまち見透かされてしまうだろう。
 頑固というのではなく、もちろん我が儘というのでもない。
 自分は自分、と言い切れるだけの信念を持ちつづけたい。
 そこに、いまを確実に生きている私の意義があると思う。
 だから私は、時流に流されるのは好きじゃない。

 この「時流に流されるのは好きじゃない」は、まさしくわたしへの贐のように思った。広告には、鈴木清順、小沢昭一、大島渚、鮎川誠がカメラを構えているモノクロ写真が並ぶ。
 当時、レンズ交換のできるレンジファインダーカメラは、国産にはこの一台しかなかった。まさしくミノルタの拘りだったのである。その拘りを手にしてから、わたしはそのまま今に至っているような気がする。だからわたしにとっては、わたしの身代わりのようなカメラである。大事なカメラではあるが、かつて祭りの撮影に頻繁に使ったこともあり、傷だらけである。
 
 カメラだけではない、フィルムそのもののこれからも、衰退の一途だろう。とくに白黒フィルムを多用したわたしにとっては、残念でならない。いつごろまでだったのだろう。カラーより白黒の方が経済的だったのは。お金の無い若者にとっては、カラーで写真を撮るということじたいが、思い切りが必要だった。わたしがカメラを持ち始めたころは、すでにカラーが一般化してきていたが、それでも白黒の方が、現像も焼き付けも安価であった。ところが、白黒の需要が減るとともに、逆転し、今ではリバーサルの焼き付けより時間がかかる。地方では歴然としている。国内最大手の富士写真フイルムは、「需要減と原材料の高騰」などを理由に、2月1日から白黒フィルムと印画紙、プロ用カラーを最大21%値上げするという。今以上に、白黒写真は高値の花となる。しかし、わたしにとっては、白黒の世界は基本でもあるし、人間社会を表すには白黒しかないと思っている。

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