Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

若者を救えない社会

2006-01-27 08:14:54 | ひとから学ぶ
 雇われているだけなのだから、雇い側の方針にあれこれ言っても仕方の無いことだし、ましてや、雇う側に明確な指揮者がいないとなれば、どこか意図がふらつくのも致し方ないのだろう。その程度の会社なのだから。仕事の減少という現実を痛いほど知らされ、高齢化していく会社に、高卒で10年以上も在籍しているというのに、いまだに使い走りをされる中堅社員の集合。にもかかわらずその現実を認識しない高齢者たちは、自分の首がつながることしか考えていない。
 来年度に向けて、目標の数字を示してここ何年も計画的に減員してきたにもかかわらず、一転、その方針を業績に明かりが見えてきたがごとく説明してその目標数目前にして、希望退職の方針を変えた。黒字に好転したというのならいざしらず、あいも変わらず赤字で、ここ何年も従来の蓄えで補填していることに変わりはないのに、さらに蓄えを補填して高齢化社会をみんなで仲良くやろうなんて考えている。まさしく高齢者優遇会社であり、そして今の日本社会を象徴しているような施策である。高齢者(中高年)は、「若い者は意見を言わない」、「身勝手だ」というばかりで、ニートとかフリーターのごとく定職を持たず、活力を示さない脱落者を軽蔑する。まったくわが社の中身となんら変わらない。まだ、社会にはさまざまな異論を発する者がいるし、そうした若者への施策をと主張するものがいるが、この会社には誰一人としていない。形ばかりの組合は、われが成すこと間違いなしとばかり組合を私物化している。
 入社以来10年以上も自らの仕事量と、会社内での一人前の仕事量を天秤にかけながら葛藤し続けた社員が、今年、会社から退く。目標数字へ向けて減員する会社の中で、自分がどう会社に位置づけられ、また、自分はどうあるべきかと考えた末の決断であった。もちろん背景では、目標数に達した際の残った人材に自分が必要かどうかを、自ら判断したものであったが、果たして、そこまで真剣に自分の内部に宿るそんな天秤を常に計っていた人が、この会社にいただろうか。そこまで、自分のやるべきことを、常に頭におきながら自問自答したやつがいただろうか。それほどまでにして、目標数を前提に決断した彼の気持ちを、踏みにじるような高齢者優遇措置に、「相変わらずだ」と納得することしかできない自分も、高齢者のひとりでしかないのだろう。この措置を聞いた彼の瞳の奥を見極めたのは、わたし一人しかいない。しかし、彼は、これ以上その天秤に振り回されることを望まないと、「割り切る」と言葉にしたが、この悲惨な会社に栄光などありえない。
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