Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

仏壇のこと

2006-01-19 08:28:03 | 民俗学
 昼食をとりながら、同僚と正月飾りの話をしていたら、なぜか仏壇の話になった。その場に居合わせた仲間にも分家して家を建てたものがいた。わたしも同じように分家しているのだが、このごろは、分家したというような言い方もあまりしなくなった。同僚も「分家」などというだいそれた言い方は合わないと思っているだろう。そんななか、神棚はあるのかという質問に、「ない」という答えであった。わたしの家の神棚も、神様が居つくには狭くて、そしてあまり大事にされないような縁遠いところにおかれている。それでも無いわけにはいかないといって、形だけ存在している。昔から、人がくぐるような場所はよくないといわれたが、人の家を見ていると、けっこそんな場所に置かれていたりする。考えてみれば、昔のように田の字型の家だったら、壁がないからどこでもくぐれてしまう。それでもなるべく人が日常的にくぐるような場所には置かない、というのが一般的なんだろう。その続きの話で仏壇が登場したのだが、仏壇を家を造る時から考えるのは、造る際にすでに仏壇が存在している人ぐらいだろう。将来的に必要になったら、そのときに考えるというのが一般的だと思う。
 では、その仏壇はいつ必要になるかということになる。その家で亡くなった方が出れば、その時点で初めて仏壇というものの必要性を認識するのだろうが、このごろでは必ずしもそうなっても仏壇を持たない人もいるのかもしれない。長野県では、とくに佐久地方において、位牌分けという習俗がある。ほかにも上田近辺や長野市西部の西山といわれる地域、諏訪東部地域、伊那谷などにもそうした習俗があるようだ。この位牌分けというのは、親の葬儀が終わると、分家していたり、嫁に出ている兄弟に対して、施主が位牌を分けてやることをいう。本家にある位牌よりは小ぶりのものを子ども数だけ用意するという。そして、佐久地方ではこの位牌を分けるときに、酒宴を行ない、大々的な儀式を行なうところもある。こうして分けられた位牌は、必ずしも仏壇に迎えられるわけではなく、とくに、嫁いだ女たちの位牌の扱いについては、家によっても異なるのだろう。
 さて、分家した家の場合はどうなのだろう。親の位牌を熱心に拝もうと思えば仏壇を用意するのだろうか。上伊那郡中川村横前の大正15年生まれの男性は、兄から「位牌はいるか」と聞かれたという。そして分けてもらう際に、特に拝んでもらうということはせずに分けてもらったようで、仏壇には毎朝お茶をあげ、子どもたちもそれを見て育った。毎朝そうすることで仏様というものを子どもたちも認識するようになっていたといい、位牌を分けてもらわなければそういうこともしなかったのではないかという。いっぽうわたしの生家は、中川村の男性の生家とそれほど離れていない位置にあり、祖父の代に分家した家であった。祖父母とも健康なときから仏壇はあったが、そこにある位牌は、祖父母の娘(叔母)の位牌であって、分けられた位牌はなかった。そんなこともあり、分家した家は、その家に仏ができない以上は仏壇を用意しない、というのがわたしの感覚であった。
 このごろは人の家に行くことも少なくなったし、行ったとしても仏壇や神棚がどこにあるかなどといきなり聞くこともおかしなものである。現在の仏壇事情など知るよしもないが、果たしてどうなっているのだろう。
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