Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

隣組もいろいろ

2006-01-08 13:53:04 | ひとから学ぶ
 妻の実家の隣組で、大晦日に亡くなった方がいた。正月三が日に入るということもあって、亡くなられた家では、大晦日のうちに隣組長の家に出向いてそのことを告げたが、三が日に入るということもあって、黙っていて欲しいと告げたという。その後、この隣組は元旦に新年会が行なわれていて、その新年会にはその家は用事があるといって参加せず、二日になって新しい隣組長(この地域の自治会の年度は1月から新年度)に電話で亡くなったことを告げたという。
 「そうなんだ」と捉える程度かもしれないが、これが近所で問題になっている。
 その① 新年度になるから葬儀は新しい隣組長が執行することになるのに、電話で連絡した。本来なら、直接隣組長の家に出向いて「お世話になります」と告げるのが本来だろう。隣組長は、隣組の全員に対して、それぞれの家に出向いて葬儀があることを触れるわけだから、当事者がその隣組長に電話ではまずいだろう、というこになる。
 その② 旧組長とは比較的仲がよいから出向いて「黙っていて」と告げたのだろうが、実は隣組のなかでいろいろもめごとがあるとかかわるのがこの亡くなった方の家なものだから、その行動が気に入らない、と問題になっている。亡くなった方の隣の家では、大晦日に花火を揚げた(花火士の資格があって)りして、もし、亡くなったというこがわかっていたら花火など揚げなかったという。
 その③ 隣組に子どもたちがよそへ家を造って出たため、家は残っているものの隣組から抜けた家がある。実はこの家から今回亡くなった方の先代のつれ合いに嫁っている。だから親戚筋にあたり、隣組は抜けたものの母親だけはこの古い家に一人で住んでいる。にもかかわらず、この家に知らせたのは、葬儀の前の晩だという。本来なら真っ先に知らせてもよい関係なのに、5日間くらい知らせなかった。
 ふだんのつき合いでもいろいろもめていたため、そんなことがなければ「ふーん」程度のことだが、隣組中で話が盛り上がっている。それでもってこのごろは葬祭センターがあちこちにできて、そういう会場で葬儀をする人がほとんどになりつつある。それでも地域の集会施設(公民館や改善センターなど)のようなところを利用する人はまだいる。もちろん葬祭センターを利用した方がお金はかかる。三が日がはさまれたということもあって、隣組の葬儀の打ち合わせまで間があった。この間、葬儀をどこで行なうかが隣組中で話題になった。見栄で葬祭センターでするか、金銭に細かいから集会施設でやるか、そんな二者択一でどっちだろう、と話がつきなかったのである。「ふーん」といって話題にもならないのにくらべれば、どう思われようと話題につきないほど盛り上がるのだから、きっとこの事実は忘れられないだろう。
 さて、そんな話を聞いて、わたしは自宅で夕食をとりながら、妻とこんな話になった。亡くなった日から葬儀までが長かったとはいえ、そんなに隣組中で盛り上がれるのにくらべれば、自分の隣組はあっさりしたものだ、という話である。元旦に新年会はあるが、ほかに女衆が顔を合わせる機会は、冠婚葬祭がなければ集会所の掃除当番の時くらいだという。そんな程度だから、葬儀があっても隣組がかかわることは少ない。盛り上がって近所の悪口を言ったりするような環境はない。気楽でよいかもしれないが、つきあいが希薄すぎるかもしれない。
 新年会のことを書いたら、BLsさんに驚かれたのでいかにも田舎かと思いきや、地域は田舎なものの元旦の1日でつき合いが終わるという超短いつき合いの話でした。
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