Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

大六天

2006-01-22 00:30:47 | ひとから学ぶ
 「モノクロの彩り」に〝万治の石仏〟を更新しながら、以前のデータを探していて、下諏訪町のあたりの資料上を徘徊していたら、大六天についてかつて触れた資料があった。諏訪大社下社秋宮から国道142号を和田峠方面に向かうと、右手に来迎寺がある。この西側に車道があって右折して30メートルも登ると東明館という建物がある。この裏に男性器を象った道祖神がある。写真はだいぶ以前に撮影したもので、解像度が下げてあって見にくいが、真中の石碑に「道祖神」と書いてあるのがかすかに読み取れると思う。高さ75センチ、径は30センチほどのもので、向かって右には新調された男根も祀られている。向かって左隣には「大六天」と刻まれた碑がある。一般的には「大」ではなく「第」があてられるが、修験道で山伏、とくに聖護院を中心とする本山派の人々の信仰したものといわれる。三界のうちの欲界の最高所第六天に住む天魔といわれ、身の丈二里、人間の千六百歳を一日として一万六千歳の寿命をたもち、男女に自由に交わり受胎させる魔力があるという。そして「他化自在天」とよばれるように、他人の楽しみを自由に自分の楽しみにしてしまう法力をもつという。想像もつかないような力を持つようで、そうした力にあやかろうという意味で信仰されているのだろう。
 あちこちでこうした信仰の対象物をみてきたが、第六天の碑は、ここでしかわたしは見ていない。関東甲信越を中心に祭祀対象とされた石神が分布しているようで、下諏訪町周辺にもいくつか見られるようだ。岡谷市小井川の第六天は、安政5年に村にコレラが流行ったとき、これを防ぐ意味で第六天を建てて信心したことで、人の種が尽きずにすんだという。
 この東明館の大六天のある場所を金精様と呼ぶという。医療を一般的に受けることのできなかった時代、継続的に家を、地域を維持していくことは、まずもって子どもが生まれることが必要で、そのうえで病気にかからずに成人することは大きな意味があったわけである。だからこそ、一生における節目節目を大事にとらえていたわけである。とくに子どものうちの儀礼、そして成人を祝うということも、それだけかつての人々の気持ちがよく現れていると思う。そういう意味でみてくると、医療の充実というものは、果たして人々を幸福にしてきたのだろうか、と疑問も湧いてきたりする。ただ生きていればいいというものではないはずなのに、多くの人々は生きていることはあたりまえと思っているに違いない。そして、生きていることへの感謝は薄らいでいく。一昨日、ニュース23で生まれながらの障害をもつ子どもたちのことを取り上げていた。昔なら、生まれてまもなく亡くなっていたものが、今では医療技術の向上によって命は長らえるようになった。そのいっぽうで、家族はそうした環境に対応できないでいる社会の狭間で、一生健常な暮らしを持つことのできない子どもに力を注ぐことになる。そうした事例は稀なことではなく、かなりの確率でこの社会に増えつづけている。第六天を信仰しても、どうすることもできない現実が「今」はある。
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