上の>続きを読む、を開くと再度「一年前の記事をふりかえってみる…」(2012.3)に飛ぶしかなく、直接、二年前の記事に行き着く。これは、少なくとも、私の中で、鍬ヶ崎の経済復興は3年間少しも進んでいない事を意味している。
工事などを通じて、国のいい分、県のいい分、宮古市のいい分は通っている。ランドブレインなどのコンサルタント、UR都市機構などのメガ設計会社、土木建設の大手ゼネコン、各種大手メーカー、大手サプライヤーの復興景気は進んでいるようだ。経済復興はそちらの方では大いに進んでいるようであるが、肝心の、人民の、人民による、人民のための、鍬ヶ崎の経済復興は進んでいるとは思えない。予算を握るものだけが繁栄するのは異常である。
また、販売所跡地など臨港地帯に大きな建物がどんどん建っても地区の復興の実感は生まれてこない。権利や利権だけが主張さているようだ。(権利の少々の拡大を許しても、復旧出来るところから復旧するという事は復興のたしかな基礎になるとしても…)これが地区住民が期待する鍬ヶ崎の経済復興なのか? という疑念が先に立つ。
住宅計画、防災・避難計画、都市整備計画などと並び、鍬ヶ崎の地場「経済の復興計画」には三年が経過しても実感が伴っていない。なぜなのかは分かると思う。役所も民間もみんな他所(よそ)様がやっているからだ。みんなに考えてもらいたいことだ。