宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

田老「第一防潮堤」の今(7)

2013年08月20日 | どうなる田老

2013年夏、お盆前に宮古に帰省した時、田老「第一防潮堤」について所管官庁を訪ねた ──

 

宮古市都市計画課を訪ね、かさ上げ工事の事をきく



筆談ノート1


宮古市都市整備部都市計画課、田老第一防潮堤のかさ上げ工事を聞きに訪問した。担当者はなにも分からなかった。図面一つ示すわけでもなく自分から知識は「住民説明会で得た程度」と言っている。現地看板には「問い合せは都市計画課」と書いてあるのに、結果「県の方に聞いてほしい」と県の宮古事務所を教えられてそちらに回るはめになった。(席は立つが)これでは、この職員は職務放棄をしていると言わざるを得ない。主管は岩手県だから、という事を言いたいのだろうが、国の方針、県の方針をただ下に流すだけの山本市政の姿だと思った。こんなことで市民の現地からの疑問はどうなるのか? 地区住民の意見や具申は誰がどう受け止めるのか? 宮古市職員として宮古市民からの負託は一身に受け止めなければならないだろうに…。県の事業であろうと国のものであろうと主体的な説明義務は免れないない事は分かりきったことではないのか? ── 用がたりない。万事このように被災住民に接していると思うと背筋が寒くなった。

(「宮古市都市整備部都市計画課復興まちづくり推進室」にて)

 話題にしたその他の問題

(1)鍬ヶ崎の避難道路の問題

(2)鍬ヶ崎のラウンドアバウトの問題


 

岩手県宮古土木センターを訪ねる…



筆談ノート2 


岩手県の宮古事務所(土木センター)では3人の県職員が対応してくれた。田老「第一防潮堤」のかさ上げ工事について質問した。工事内容はパラペット工法であるという以上には何も伝わってこないように思った。最初から「その質問は受けたくない」「言質は取られたくない」姿勢がありありであったのだ。工法の有効性についてすこし突っ込んで質問したら分厚いハンドブックをめくってみせてくれた。「そのままでないかいっ」というパラペットの図面の載ったページがあった。日本土木工学(業)会編集の「自然災害の手引き」というA6判仕様のあんちょこであった。「ハンドブックは何時のもの?」「今次震災前、昭和からのもの」という。「ふるいでないかいっ」と思ったがもう言うのをやめた。そんなあんちょこ工事の防災施設が今次津波で死屍累々であった事を知らないのか!? 闇が深すぎる。汗がひいていく…。ほか1~2枚の図面も机上にあったが見せるでない、説明するでない…。(そのせいで私の記憶の方もハンドブックの名前や年代など正確ではない…)。指さして、そこにある田老防潮堤の設計図面を貰いたいと申し出たら、部長に聞いてくると待たせられた。本庁(盛岡)に問い合わせて自宅に電話すると言う。後日、北海道の我が家に「担当部署に確認したところ、行政文書開示の手続きが必要となります」とファックスが届いた。行政情報センター宛の請求書の見本と一緒だった。

 ■私は前に「外観だけでなく構造の面からも田老の万里の長城は消滅する。その弱体化によって役に立たない防潮堤になるだけである。かさ上げの設計図はひた隠しに隠している」と書いた。まさしく「知らしむベからず依らしむべし」の官僚機構がなまで生きていた。住民はなにも分からず右往左往するだけであろう。役人は自分がよって来た由来も知らない…

■ 宮古市職員が岩手県土木センターに職務をそらした(ふった)のと同じでここの職員も本庁に職務をそらした(ふった)時点で県職員としての職務放棄を行っている。それぞれうまくいったと思っているだろうが許される事ではない。情報開示違反、説明責任違反、市民への誠実義務違反、職場放棄である。自覚はあるのであろうか?

■このような環境で効果ある立案・設計ができるとは思えない。で? センターでないとして本当はどこで誰が設計しているのであろうか? 設計責任者は? しかし、事態は進行している、現場の工事の管理・監督は誰が? ──はっきり言って、マニアル設計以降の現場工事はすべて受注業者が主導権を持っているのではないのか、と思う。明確にできないのであれば当然にも工事はストップ。設計は取り消しするべきである。

(「岩手県沿岸広域振興局土木部宮古土木センター復興まちづくり課」にて)

 話題にしたその他の問題

(1)第二防潮堤、第三防潮堤について(14メートルへのかさ上げ)

(2)第二防潮堤、第三防潮堤について(第一防潮堤からの切り離し)

 ※<呼称>第二防潮堤、第三防潮堤については二つの防潮堤を総称して宮古市都市計画課でも宮古土木センターでも「第1線堤」(第一防潮堤は「第2線堤」)という呼称を使っていた。呼称の一本化をただしたが両官庁とも無関心であった。

※※<管轄>(1)(2)については管轄が違うといって取り合ってくれなかった。「第1線堤は水産庁の管轄でこのセンター内でも扱う部署が異なる」といってそれ以上の説明なし、ナビゲートもなしであった。「復興まちづくり課」とはどこ管轄省庁? 区別立てするなら名乗るべきだ。

※※※ <後日の事> 宮古土木センターでは管轄が違うといって取り合わなかったが、後日、次のような現地看板の写真を、田老のあるブログで目にした。


「防潮堤に関する説明の看板が設置されました」

ブログ被災地ガイド岩手県宮古市田老地区を案内する男の想い日記>135田老のローソン大盛況 2013.7.29 より

写真ははじが切れているが現地に立てられた看板だという。なるほど第一防潮堤のパラペット工法に触れているところが見える(下の方)。しかし、「田老地区海岸災害復旧事業」と言いながら上記(1)(2)に関しては全く触れられていない。主管の問題で触れていないのだ。他所の事には手をつけない。これが公共工事の実態である。工事や業者の縄張りが関心ごとで、防災の効果や効果的な連携工事には関心がないのである。効果的な防災は絶望的だ…

  [関連記事] 田老「第一防潮堤」の今(4=まとめ)



田老「第一防潮堤」の今(8=続き)につづく


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コメント (3)
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