宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

鍬ヶ崎の高所移転(6)=金より大事な理想主義

2011年11月14日 | どうなる住宅問題


復興予算はどこにいった。住民は地域復興の理想主義者たれ


予算の事はひとまずおくとして、被災住民は、地域復興の理想主義者でなければならない。この事では鍬ヶ崎の有志がさっそく「鍬ヶ崎モノレール」構想を打ち出したようだ(11月12、岩手日報)。まことにもって夢のある話である。鍬ヶ崎の漁師さんたちの見聞はインターナショナルで、さすが世界を駆ける男たち、と溜飲を下げる思いである。なんらかの形で実現してほしい。

このブログの方の理想主義は、あまりにも現実的で、ちょっと格が落ちるが、鍬ヶ崎の高地移転の続きである。行政は(この場合は岩手県や宮古市)、せっかく高地移転の費用は全部国が見ると言っているのであるからこの事には肯定的に集中力をもって対応してほしい。予算的にも、もう少しの一押しで被災住民の理想主義に近づくように思えるのである。

行政は、高地移転の成功のために、強いインセンティブ(=移住優遇策)をもって鍬ヶ崎の被災者に訴えるべきだ。民間のデベロッパーの手法を取り入れてニュータウン構想の絵をチラシに描き、道路、学校、区画割り、価額など、なるべく詳細に宣伝する事も必要である。行政は、そのような手法を取り入れてでも、現在なし得る最高度の災害復興計画(理想主義)を掲げて被災住民を高地住宅地に誘致するべきである。

反面ではもちろん、被災者側の高地移転への意欲もなければならない。

鍬ヶ崎の被災者は一応仮設住宅や非災害地の借家などで、当面の住まいは確保しているようであるが、前に書いたように、内面はおだやかではない。
私が知っているかぎり、友人のKさんは被災跡地に基礎を打ち早々と住宅を新築した、半壊であった近所のNさんはもともと新築であった家を修理してすでに住んでいる。親戚のSさんは、盛岡にも土地をもっていて、どちらに建てるか考えているようだ。そしてコンビニや八百屋さん、酒屋さん、飲食店も、4~5店、仮店舗などで営業を始めている。ほか酒造店、仮設ながら郵便局も建った。廃業と言っていたのっぽホテルも営業再開の準備に入ったという。被災跡地に駐車場をつくった人も居れば、作業用プレハブを建てた人もいる。
すでに動き出した人、そうでない人、鍬ヶ崎の将来のあるべき姿については皆、人それぞれ熱い意見をもっているはずである。鍬ヶ崎の高所移転については、それなりに意見をもち、自分の立場を超えて真剣に考えてくれるものと思う。また、ある意味での高所移転であった佐原団地や中里団地、日の出町、崎鍬ヶ崎などには、鍬ヶ崎の元住民も多い、その人たちの意見もほしい。移転事情、住み心地など聞いてみたい。

こうして考えてみると、鍬ヶ崎の被災住民、元鍬ヶ崎住民,の意見は貴重である。行政への反応も即答できるほど機は熟しているように思う。住民同士の対話次第、また住民と行政の対話次第であると思う。


【関連記事】鍬ヶ崎の高所移転(1)=仮設後の住宅は?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする