源太郎のブログ

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札幌のモイワ

2009年10月29日 | 山行記

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 登ってみたくても、中々チャンスに恵まれない山がある。その一つに札幌の円山・藻岩山があった。北海道に行くとどうしてもメインの山に目が向いてしまい、低山に登る機会は少ない。10月の末、予定していた山行が中止になり、ぽっかりと空いた一日、やっと念願が叶った。

 円山は標高225m、藻岩山は531m、大正10年、共に天然記念物に指定されている。外国に行くと市街地の真ん中に広大な公園があったりして羨ましく思う事がある。例えばロンドンのハイド・パーク(253ha)、ニューヨークのセントラル・パーク(337ha)、ニュージーランド、クライストチャーチのハグレイ公園(150ha)等だ、因みに広いと思う皇居は115ヘクタールでハイド・パークの半分の広さである。円山と藻岩山は市街地を挟んではいるが一帯の物と考えれば、天然記念物の指定区域だけでも広さは約327haだからセントラル・パークとほぼ同じ広さだと言える。円山・藻岩山共に開拓時代から保護され「原始林」と呼ばれてはきたが、厳密に「原始林」と言えば、それは「過去において一度も人間による破壊を受けていない森林」と言う事になる。実際の所は人の手が全く入っていない訳ではなく、「原始林」に近い、「天然林」と言えよう。平地はカツラ、上部にはミズナラ、山腹にはシナノキ、エゾイタヤ、オオバボダイジュ等が生育している。一帯には学術的に貴重な植物が生育していると共に、藻岩山だけに限っても、植物の種類は400種以上にも及んでいると言う。そんな所が、地下鉄の駅から歩いて10分も掛からない所にあるのだ。

 飛行機、バス、地下鉄を乗り継いで最寄りの地下鉄「丸山公園駅」に着いたのは朝の10時過ぎ。Tシャツ1枚ではちょっと肌寒い感じだったが、抜ける様な青空が気分をウキウキさせた。デイパックを背負った人達や小学生の一団が、同じ方向に向かって歩いている。登山口のある公園の入り口までは地下鉄を降りて7分程度。公園に入ると背の高いスラリとした巨木が林立している。紅葉も丁度真っ盛り。積もった落ち葉も美しい。

 数分で「円山八十八ヶ所」と呼ばれる登山口に着く。四国の八十八ヶ所に因んで道中に八十八体の観音像が祭ってあるのだ。登山口の大師堂を抜けるとすぐ登りに入る。向かう円山はその昔、アイヌの人々に「モイワ」(小さな山)と呼ばれていたほんの小さな山なのだ。途中の木々が実にすばらしい。長く保護され、原始に近い姿を保っているからだろうか。市街に近い山だけあって、散歩がてらに登る人や子供連れも多い。抜ける様な青空に反し、濡れた落ち葉が滑る。思わず、下って来た人に聞いてしまった。「どうして、こんなに落ち葉が湿っているのですか?」、曰く、「今朝まで雨が降っていたからですよ!」、どうして、お前はそんな事を知らないのか、と言わんばかりの顔をしていた。横浜は雨は降らなかったんだけどな~。頂上には40分で着いた。少し速足だったとは言え、40分で登れるなら、散歩気分もうなずける。頂上にいた人から「旦那さん、若いね~」、声が掛かる。私のTシャツに目が留まったのだ。いや~、お兄さんじゃなく、旦那さんと言われたのがちょっと気に入らなかったが、「これしかないんですよ~」と応じた。頂上には目の前にビルで埋め尽くされた札幌の市街が広がる。本当に目の前なのだ。今日はもう一つ登らなければならないので長居は出来ない。下りは円山動物園経由の周回ルートで下山。25分で大師堂のある八十八ヶ所に着いた。週末だった為か、沢山の人が三々五々歩いている。市街地に出ると円山の淵に沿って歩き、旭山公園にある登山口に向かう。街路樹の紅葉も綺麗だ。45分程歩いて登山口に着いたのは丁度12時過ぎ。そろそろお昼だ。羽田で買った鯖寿司を登山口に座って食べ、腹ごしらえをして歩き出す。頂上までは約1時間半、幾つかのピークを越えて行く。円山ほど樹相は濃密ではないがさすが天然記念物に指定された区域のある山、しっとりとした趣がある。前夜の雨の為か、地面が少しぐちゃぐちゃして滑り易かったが、青空や紅葉と木々の間から見える市街地のビル群のコントラストが面白い。だが、頂上は別世界だ。頂上直下に大きな駐車場があるのに加えてロープウェーまであるから、「札幌の展望台」に観光客が溢れていた。眺望は360°。市街地の反対の西側には山々が見渡せる。余りの喧騒に早々に退散する事にして南東の下山ルートを取る。2~3分もすれば、元の静寂が戻る。紅葉が逆光に映え、真赤に燃えている。45分程で下山口に着いた。舗装道路を歩いて札幌駅に行くバス停に向かった。午後3時過ぎ、北の大地は早い夕暮れの雰囲気を既に迎えていた。札幌駅からはJRの「快速エアポート」が出ている。飛行機が新千歳の空港を離陸する頃、夕闇がもうそこまで迫っていた。

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アコンカグア

2009年10月03日 | 山行記

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 成田からアメリカのアトランタを経由してチリのサンチャゴまで、飛行機で飛ぶと28時間。それからアルゼンチンのメンドーサまで飛行機でもう1時間、その先、登山口に近いロッジまでバスに乗って3時間、泊まったロッジから登山口まで車で15分。日本から南北アメリカの最高峰アコンカグア(6962m)の登山口までの行程を、途中経過を省いて、簡単に言って仕舞えばこんな所だ。確かに遠い。が、現地の言葉で「石の歩哨」を意味するアコンカグアの頂上へ向かう歩きはそこから始まる。登山口の標高は2900m。私が行った12月はカラッと青空の広がる、明るい日差しの溢れる、空気がちょっとひんやりとした所だった。この場所に、再び下山して来るのは2週間後だ。取敢えず標高4230mのベースキャンプ(BC)まで2日間の行程。荷揚げのミューラと呼ばれる馬の群れが引っ切り無しに行き来している。その度に赤い土埃が舞う。初日の標高3368mのキャンプ地までは約3時間半の歩程、オルコネスの谷を流れる川沿いのなだらかな道が続く。二日目、8時過ぎにキャンプ地を立ち、何度か徒渉を繰り返して4230mのベースキャンプ(BC)に着いたのは夕方の5時過ぎだった。谷の奥まった所に位置するベースキャンプは色とりどりのテントで溢れている。ヘリポート、診療所、ロッジのある賑やかな場所だ。まあ、アコンカグアの本格的な登山はここから始まる、と言って良いだろう。我々は、ここで高度順化の為滞在し、上部キャンプとの登り下りを繰り返した。

 高度障害、と言う意味ではここが一つの関門と言って良いかも知れない。ここで、高度順化していなければ、この先に行くのは難しい。診療所で酸素の「血中濃度」を測る事が義務付けられている。いよいよ、BCを立つ最後の日、相棒がこれに引っ掛かった。が、執念と言うのは恐ろしい、彼は夜っぴて3リッターの水を飲み続け、見事翌朝のチェックをクリアーしたのだ。トイレに行く為、一時間毎にテントを這い出る物音に、おかげで私は一晩中殆ど一睡も出来なかった。

 BCに着いてから数日後、テントを撤収して上部キャンプへの移動を開始。小刻みに標高を上げる為、行動時間は1日に4時間程度と短い。その日は再びBCに下山。翌日、再び5600m地点に移動してテント泊。もっぱら日本から持ってきた日本食を食べる。が、食欲が極端に落ちている。翌朝、食欲が殆ど無く頭痛がする。起きてみると、テント内のペットボトルが凍りついている。暫くすると、頭痛も治まった。やはり、睡眠中は呼吸が浅くなる為酸素摂取量が下がるのだろう。その日、高度順化の為、標高5600mから最終キャンプ地の標高5900mまでを往復し荷揚げも行った。翌日、同じ行程を繰り返し、再び5900mの最終キャンプに着いたのは午後の3時前。頭痛、食欲不振、疲労、寒さ、長く続いた狭いテント生活に体が既にぼろぼろになっていた。翌日はいよいよ、頂上を目指す日だ。

 殆ど眠れずに迎えた朝、起床は、3時45分。殆ど食欲の無い所、口に入る物を無理やり腹に入れるのに1時間、出発の準備にもう1時間。午前、5時45分、極寒のまだ薄暗い中テントを後にした。登山口を出てから9日目、既に疲労がたまり、テントを出る時には既に疲労困憊の状態であった。頂上までの標高差は1000m以上。寒いが、幸い風も殆ど無く天気も良い。長い歩行と我慢の末、午後3時5分、アコンカグアの頂上に着いた。南北アメリカの最高峰の頂きからは雪に覆われた数多の峰々が光り輝いていた。そして30分後、下山開始。来た道を戻りキャンプ地に着いたのは夜の9時過ぎであった。標高5900mから6962mの間の行動時間15時間余は私にとっては過酷なものとなった。

 下山は早い。頂上に立った翌日、標高差1670mを下りBCに戻る。その翌日には登りに二日掛かった道程を1日で下り、ようやくロッジのベッドに横になる事が出来た。部屋の鏡に映った凍傷になった鼻や醜く腫れ上がった自分の顔を見て、アコンカグアの登頂は、この「顔」を代償に成し遂げられたのだと知った。

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