源太郎のブログ

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大津岐峠

2009年07月28日 | 山行記

 「会津駒ですか~?」、と、歩きだしてすぐ、聞かれてしまった。「違います、大杉岳です」。皆の歩きだす方向とまったく逆だったからだろうか。尾瀬の入口、御池から、いざ、歩きだしてすぐ、「係り」の人が飛んで来た。何だか、変だぞ~、と思って声を掛けたのだろう。それ程、場違いの方向だった。成程、下山するまで、会ったのはたった一人だけだった。このエリアが最も賑う7月の3連休、御池の駐車場は人と車で溢れていた。やはり、7月だった富士山の五合目から歩き始めた時と同じだ。

 それにしても、何日も前から天気予報に一喜一憂したことか。微妙に変わる予報も、出発する前日には「曇りのち雨」、加えて日本海沖に低気圧が発達し、風雨が強まると出た。最近起きた北での出来事が脳裏を横切る。ま、無理をしないで行こう、と腹を括る。

 初日、東北新幹線、那須塩原駅を桧枝岐に向けて10人乗りのレンタカーで出る。この道を行くのは何度目だろうか。数え切れない。今日は、急ぐ旅では無いから、殊更ゆっくり行っても目的地までは概ね2時間程度。出る時は降っていなかった雨、途中から小雨になった。昼過ぎ、桧枝岐に着く。早速、桧枝岐名物、「裁ちそば」の店に寄る。「裁ちそば」とは、つなぎを使わない十割そばが特徴。そばを切る時に重ねて、裁つように細く切る事からこの名前がついたと言う。長く辺境の地であった桧枝岐は「つなぎ」の材料が手に入らなかった為の苦肉の策でもあったのだろう。

 初日は、天気が良ければ、近場を散歩がてら歩くつもりだったが、生憎の雨、小屋に直行する事にした。それにしても、ちょっと早い。桧枝岐から15分程の七入山荘に着くと、案の定、まだ、と言われてしまった。時間つぶしに、雨の中近くの「ミニ尾瀬公園」に向かう。普段なら、通り過ぎてしまう所だが、たまたま「白旗史朗」さんの尾瀬の写真展をやっていた。

 二日目、まだ雨が少し残っている。早朝、近くのバス停からバスで御池に向かう。連休中とあって予定よりちょっと遅れて来たバスはハイカーで既に満席状態。補助椅子を出して、辛うじて座る。20分程で人と車で溢れる御池に着くと既に雨はあがっていた。

 大杉岳、大津岐峠(おおつまたとうげ)へ向かう登山口は御池からの車道を10分程歩いた所にひっそりと小さく口を開けている。登山口を出て間もなく、空が青みを帯びてきた。青空が広がって来たのだ。悪いと、半ば諦めていた天気が良くなると、喜びが倍加する。時々振り返ると燧ヶ岳が大きく眼前に広がっていた。2時間弱で大杉岳に着いた。ここから先は幾つかのピークを昇り降りする稜線歩きが続く。時々現れる「田代」が美しい。が、鬼門は随所に現れる木道だ。余り歩く人がいない木道は苔で薄く覆われ、雨上がりには殊更滑りやすいのだ。それを、徹底的に避けた。本当は、木道の脇を歩くのは良くない事なのかも知れないが、数々の怪我を目撃した経験で、背に腹は変えられないと感じた。 

途中の「電発避難小屋」の下で、会津駒から縦走してきたと言う青年が休んでいた。「一人」を楽しんでいた彼は、突然のグループに当惑したに違いない。この先も大津岐峠まで、登り下りが続く。もうすぐ峠だと言う頃、雲行きが怪しくなってきた。燧ヶ岳の頂上は雲に覆われ雨が降っているようだ。間もなく、我々の所にも雨が落ちてきて雨具を着る。雨具を着ると止む、とは良く言うが、その通りになって、大きな木柱の建つ峠に着くころには雨雲は通り過ぎていた。峠で一休みすると、1時過ぎ、キリンテへ向けて下山を開始。最後の1時間半ほど再び雨に降られたが「天気の神様」に感謝する一日となった。

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小御岳

2009年07月09日 | 山行記

 小御岳(こみたけ)、と聞いて、すぐ何処の山、と答えられる人は少ないかも知れない。元は、立派な一人前の山だったのだが、今では見る影もなく、ましてやこの山を目指して、遠路「お越になる」人は殆ど皆無に違いない。この山が生まれたのは今から70万年前にさかのぼる。10万年前にはもう一つの兄弟の山が近くに生まれた。それが「古富士火山」と呼ばれる山だ。そして、兄弟の山の間に登場したのが富士山である。今から、たった1万年前の話だ。富士山は兄弟の山を土台にどんどん噴火を続け、とうとう兄弟を飲み込み日本一高い山へと成長したのだ。犠牲となった小御岳は、今では頭頂部のみの10m程が富士山の5合目に辛うじてその姿を残している。

 その、小御岳に登った。集合は富士急行線の河口湖駅。バスが5合目まで出ている。が、バスを待っているのは我々を除けばほぼ全てが外国人だ。これは凄い。いくら、日本に来た記念に有名な日本一高い富士山に登りたいと言っても、随分と乱暴な話だと思う。スバルラインを通って5合目まで小一時間。濃密な木々の茂った樹海を切り開いた道を行く。座席に座れない人が何人か居る位の混みようだ。随分と緑豊かな空間を抜けて、突然「繁華街」のど真ん中、とも思える5合目に着いた。そこは、喧騒の巷。これから富士山に登る意気軒昂な人と、ボロボロになって放心状態で戻って来た人が交錯する場所だ。喧噪を避けて、休憩所の片隅で身支度を整えると、いざ小御岳に登る。とは、言っても頂上までは、ほんの1~2分。誰も、気にも留めない筈だ。頂上には冨士山小御嶽神社がある。創建は承平7年(西暦937年)と古い。富士講の盛んだった江戸時代には冨士山と並んで、小御嶽神社もその信仰の対象になっていたと言う。

 小御岳登山は、登って降りて、5分で終了。山上の「繁華街」を離れて、お中道に向かう。少し歩けば、もう静かな世界が広がる。コケモモ・ベニバナイチヤクソウ等結構花も咲いている。見上げれば、頂上まで続く赤い火山灰の大地、見下ろせば広々とした樹海の中に河口湖や精進湖が見える。梅雨の時期、これ程の視界があれば文句はない。やがて「御庭」と称する自然の庭園が現れる。自然の妙、とはこの事なのだろう。歩き始めてから2時間弱、スバルラインを渡って、今度は「奥庭」に向かう。7~8分下ると奥庭山荘に着く。小屋の脇にカメラの砲列。何事、と見れば、脇の小さな庭の水場に野鳥のルリビタキが水浴びに来ているのだ。ここはバードウオッチングでは有名な所らしい。地上では余り見られない高山特有の野鳥が集まってくると。川の無い富士山で、水場は貴重なのだ。山荘のご主人が毎日下界から水を運び上げていると言う。庭の端にはオダマキとクロユリが咲いていた。今日の行程で、ここまでは歩く人も多いかも知れないが、この先に行く人は少ないようだ。「遊歩道」が終わり、歩き難い山道になるからかも知れない。先に進むと、すぐ道は狭くなり、野草が生い茂る。空気が良いせいか見た事もない様な地衣類の群生も。下るに従い、植生が微妙に変わり木々の下を分厚い苔類が埋める。途中、出会った人が、「あそこにイチヨウランが咲いていますよ」、と教えてくれる。そう簡単には見られない貴重な花らしい。

 その日のコースは前半と後半のコントラストが面白い。山荘を出てから2時間弱、しっとりとした雰囲気の良い樹海の中の下りが続く。最後はちょっと早足になって、3合目のバス停に着くと間もなく来たバスに乗って河口湖駅に戻った。

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