人には何かを「収集する」と言う性癖がある。切手・ミニカー・コイン・骨董等々だ。「性癖」と言ったら語弊があるが所謂、物を集める「趣味」だ。その「趣味」が高じると「征服慾」になることがある。微に入り細に渡り徹底的に集めまくり他を凌駕しその収集分野の頂点に立ち「征服」したい、と言う欲だ。関わりの無い人間からすれば、その様は時として「狂気」と映らない事も無い。
「物」を集める、と言うのとはちょっと違うが、ひたすら「三角点」を集めた人が居た。生態学者・人類学者として名高い今西錦司氏(1902-1992)だ。13歳で京都の愛宕山に登ったのを皮切りに83歳で1500座、都合77年間で1552の三角点を極めたと言う。その今西錦司氏の足跡を辿る「今西錦司 三角点を巡る 1550山登頂記録」展が茨城県・筑波市の国土地理院で過日開催され足を運んでみた。
日本山岳会の会長も務めた今西錦司氏が1992年亡くなると赤線が引かれた1281枚の地図が国土地理院に寄贈された。今回の展示は、その地図を元に開かれたものだ。会場に入るとまず驚かされたのが壁一面に描かれた巨大な日本地図。氏が登った三角点のある全ての山が日本地図に描かれていた。文字通り北から南まで、数々の離島も加えて隅々の山を登った事が一目瞭然だ。日本百名山を全て登ることすら大変なのだから、その15倍の数の山に登る労苦は想像に難くない。だが、氏にとっては、むしろ「労苦」と言うよりは「収集癖」が高じた「歓喜」だったかもしれない、と言ったら言い過ぎだろうか。登った山のルートを赤線で地図に入れる、と言うのは山に登る人々の共通の「喜び」かもしれないが、氏はこう言っている「これで満足がいく、と言う赤線が全部入った時、その地図を見るのがうれしゅうてな。その地図には俺の精神がこもっているのや」と顔をほころばせたと言う。展示の中には普段は中々目にする事の無い行動記録が記載された地図等があった。地図を如何に整理・保管するかは人夫々個性がある。氏はその「整理法」についてこうも書いている「私も地図をもちだすときには八ッ折にして、私の図のうの中へ入れて歩くが、かえるや否や、このたたんだ地図を開いて、まず歩いてきた道に赤鉛筆で太く赤線を入れる(略)私の場合はひろげた地図をふたたび畳まないで、念入りにしわをのばしたうえ、これを箪笥式になった引きだしにしまいこむのである(略)なにしろ右書き時代の地図を、おおかた揃えていたところへ、あらたに左書き時代の地図がはっこうされたのだから、地図がおおすぎるのである。(略)その他に台帳というか台地図というか、山には絶対にもってゆかない、そのうえに各山行の赤線を集積した地図がある。これほど紛失のおそれのない地図はないであろう」日本山岳会「山」1977年6月。つまり、氏は山で使った地図に赤線を入れ広げたまま入れる事の出来る小さな箪笥のようなマップケースに保管、それに加えて山には絶対に持って行かない同じもう一枚の地図にも赤線を入れて「台帳」として保管していたのである。だから失くす心配は無い、と言っているのだ。我々が地形図を買いに行くと店では大きな引出しのついたキャビネットに収納されている。氏はそのキャビネットを、多分特注し、「箪笥」と称して自宅に持っていたのだ。「収集家」の面目躍如で「お見事」と言う外ない。
因みに、私の「性癖」と言えば、「行動記録」を残す事、だろうか。仕事柄、「記録」には特に拘りを持っている。山を歩く人なら「行動記録」を書いている人は多い。私の場合は朝起きてから帰宅するまで、何処で何をしていたか、何処に何があったのかをひたすら記録する。多い時は1時間に20回も記録する事もある。溜めてしまったら後から整理するのは不可能だから、記録の整理は翌朝、必ず数時間かけてやることにしている。私の唯一の「財産」とも言っても良い「行動記録」はA4のファイルで現在74冊になってしまった。
「物」を集める、と言うのとはちょっと違うが、ひたすら「三角点」を集めた人が居た。生態学者・人類学者として名高い今西錦司氏(1902-1992)だ。13歳で京都の愛宕山に登ったのを皮切りに83歳で1500座、都合77年間で1552の三角点を極めたと言う。その今西錦司氏の足跡を辿る「今西錦司 三角点を巡る 1550山登頂記録」展が茨城県・筑波市の国土地理院で過日開催され足を運んでみた。
日本山岳会の会長も務めた今西錦司氏が1992年亡くなると赤線が引かれた1281枚の地図が国土地理院に寄贈された。今回の展示は、その地図を元に開かれたものだ。会場に入るとまず驚かされたのが壁一面に描かれた巨大な日本地図。氏が登った三角点のある全ての山が日本地図に描かれていた。文字通り北から南まで、数々の離島も加えて隅々の山を登った事が一目瞭然だ。日本百名山を全て登ることすら大変なのだから、その15倍の数の山に登る労苦は想像に難くない。だが、氏にとっては、むしろ「労苦」と言うよりは「収集癖」が高じた「歓喜」だったかもしれない、と言ったら言い過ぎだろうか。登った山のルートを赤線で地図に入れる、と言うのは山に登る人々の共通の「喜び」かもしれないが、氏はこう言っている「これで満足がいく、と言う赤線が全部入った時、その地図を見るのがうれしゅうてな。その地図には俺の精神がこもっているのや」と顔をほころばせたと言う。展示の中には普段は中々目にする事の無い行動記録が記載された地図等があった。地図を如何に整理・保管するかは人夫々個性がある。氏はその「整理法」についてこうも書いている「私も地図をもちだすときには八ッ折にして、私の図のうの中へ入れて歩くが、かえるや否や、このたたんだ地図を開いて、まず歩いてきた道に赤鉛筆で太く赤線を入れる(略)私の場合はひろげた地図をふたたび畳まないで、念入りにしわをのばしたうえ、これを箪笥式になった引きだしにしまいこむのである(略)なにしろ右書き時代の地図を、おおかた揃えていたところへ、あらたに左書き時代の地図がはっこうされたのだから、地図がおおすぎるのである。(略)その他に台帳というか台地図というか、山には絶対にもってゆかない、そのうえに各山行の赤線を集積した地図がある。これほど紛失のおそれのない地図はないであろう」日本山岳会「山」1977年6月。つまり、氏は山で使った地図に赤線を入れ広げたまま入れる事の出来る小さな箪笥のようなマップケースに保管、それに加えて山には絶対に持って行かない同じもう一枚の地図にも赤線を入れて「台帳」として保管していたのである。だから失くす心配は無い、と言っているのだ。我々が地形図を買いに行くと店では大きな引出しのついたキャビネットに収納されている。氏はそのキャビネットを、多分特注し、「箪笥」と称して自宅に持っていたのだ。「収集家」の面目躍如で「お見事」と言う外ない。
因みに、私の「性癖」と言えば、「行動記録」を残す事、だろうか。仕事柄、「記録」には特に拘りを持っている。山を歩く人なら「行動記録」を書いている人は多い。私の場合は朝起きてから帰宅するまで、何処で何をしていたか、何処に何があったのかをひたすら記録する。多い時は1時間に20回も記録する事もある。溜めてしまったら後から整理するのは不可能だから、記録の整理は翌朝、必ず数時間かけてやることにしている。私の唯一の「財産」とも言っても良い「行動記録」はA4のファイルで現在74冊になってしまった。