広い野原に一人たたずむ。野原は「藤原京跡」。西暦694年から710年までの16年間、日本の首都であった場所だ。「藤原京」は中国に倣い日本で本格的に作られた条坊制を持つ都城であった、と言われる。今は大和三山と呼ばれる畝傍山が西、天香久山が東、そして耳成山が北にその優美な姿が見えるだけで何もない。奈良の「平城宮跡」では「平城遷都1300年祭」が行われ賑わいを見せているがここ「藤原京跡」は見向きもされない。「平城京」が1300年なら、「藤原京」も1300年なのに、だ。片方は始まった方、もう片方は終わった方だからなのだろうか。
その奈良に10月の末、「1300年祭」と「正倉院展」に合わせて訪れた。「平城遷都1300年祭」は「平城宮跡」を中心として、奈良県内の寺社もこぞって参加し、今年の春から秋にかけて198日間開かれた。日本国内で数多く開かれる「祭典」がしばしば目標に達しない中、メイン会場の「平城宮跡」を訪れた人の数が250万人の予想が363万人と目標を大きく越えて成功裏に終わった。奈良県全体の訪問者の数も1200万人が2000万人と大幅に増えると言う。「飾らず本物を見せる路線が成功した」とは主催者の弁だが、「1300年前から変らない自然を含めて、歴史の舞台をそのまま見せる工夫が人々の心をとらえた」のだろうとも言う。「平城宮跡」の会場へは主要な駅から無料のシャトルバスが運行し、「会場」内の特別の展示施設を除いて入場は無料だ。メイン会場には都合3回訪れただけだが色々な意味で配慮の行き届いた運営ぶりに感心した。このイベントでもご多分にもれずボランティアの人達の活躍に支えられていた。当日は「平城宮跡」の事をより詳しく知りたいと、事前にアレンジして、我々は2時間半のガイドツアーに参加した。その日の2日程前、私の所に電話が掛り、我々のグループの構成等詳しく聞かれ、会場までの行程や諸注意が知らされた。当日、我々の事を熟知したガイドが待っていて教室での約30分のレクチャーから始まった。会場には「遣唐使船」の復元展示、「遺構の展示館」や再現された古代の庭園等、色々な展示があったが、何と言っても最大の見ものは150億円を掛けて建てたと言う「大極殿」と「朱雀門」だ。「大極殿」の巨大さを見るだけで、かつての「平城宮」のイメージがふくらむ。
「平城宮跡」は東西1200m、南北1000m、広さ130ヘクタールに及ぶ。地上にはかつての遺構は何もない。今は何も無い広い「野原」が「世界遺産」に指定されている。かつて「都城」であった「野原」は他にもあるが、「平城宮跡」だけが「世界遺産」の指定を受けている訳は何だろうか? それは、唯一つ、「木簡」が出土するからだ。「平城宮跡」の湿潤な地中の環境が「木簡」を腐らせず今に伝えているのだ。それは、あたかも地下に眠る「図書館」だとも言える。
我々は「正倉院展」にも行った。今年の目玉は19年振りに出展された「正倉院」を代表する宝物として名高く、世界でただ一つ残っていると言われる「螺鈿紫檀五絃琵琶」だ。会場に入る為には並ばなくてはならない。入場する時間が遅かったせいで待ち時間は約30分程で済んだ。が、中に入ると「琵琶」を近くから見る為の別の「列」がある。「列」に並ぶ事を諦めた人は「遠方」から垣間見るしかない。私は勿論並んだ。列は「琵琶」を中心として、左に折れ、右に折れ、だんだん近付いて行く。相撲の仕切りのごとく、近付くに従い気分が盛り上がる。荘厳な「琵琶」が照明の中に浮かぶ。誰が、何時、何処で造ったのか? そして、如何、運ばれてきたのか?想像は尽きない。1000年以上も前に造られたであろう「楽器」が、「真新しく」そこに存在する事はまさしく「奇跡」だと思う。